八月もそろそろ終わりだというのにいまだ熱気冷めやらない池袋は、今日もすてきに歪で最悪に非日常的だ。久しぶりに足を踏み入れた池袋でお目当ての人物を捜す。情報を商売道具としているのだから、人探しはお手の物だ。ほら、見つけた。
「やあ、紀田くん」
「げ」
今しがた女性に声をかけてコンマ0.2秒くらいで断わられていた紀田くんが、まるで人の形をした汚泥かなにかを見るような目で俺を見る。嫌われているのは知っていたし特に気にもならない。
「こんなとこにいていいんですか」
「シズちゃんのこと? ちゃんと確認してきてるからだいじょーぶ」
それよりも、と本題に入ろうとした俺を紀田くんが制する。よほど俺との会話を早く終わらせたいのか、十日前と比べるとかなり躊躇いも消えたようだ。
「帝人、帰ってきましたよ」
「・・・・そう」
帝人くんが夏休みを利用して里帰りをしたのだと、紀田くんから聞き出して十日。帝人くんがいなくても太陽は東から昇って西に沈んだし相変わらずシズちゃんは単細胞生物だし波江は弟ラブとキモいし、そんな変わらない日々だった。
だけど、何か色あせていた。
不思議だな、彼は無色のはずなのに。
「土産もらったから、臨也さんのとこにもくるんじゃないんですかね」
ふらふらしてたら会えるかも、なんて紀田くんは言うが、シズちゃんの縄張りをうろちょろすると後でめんどくさいことになる可能性が大きいのでやめておく。第一必ず会えるなんて保障はどこにもない。俺は絶対に会いたいんだから。
紀田くんと別れた後ポケットから鈍色に光るひとつの鍵を取り出す。家主の許可なしに勝手に作ったそれを手のひらで弄びながら目的地へと急いだ。どれだけ時間が経とうが帝人くんが必ずやって来る場所へ。
がちゃり、と玄関のほうで物音が聞こえた。「ただいまー」とやや疲れた色を含ませた、十日ぶりに聞く彼の声に思わず俺は「おかえり」と返していた。玄関で靴を脱ごうと身をかがませたまま、帝人くんが大きな瞳をさらに大きくさせたまま硬直している。
「合鍵で入ったんだよ」
どうして、と疑問で顔をいっぱいにさせている帝人くんに見せびらかすように、指の先で鍵をくるくる回す。帝人くんが嫌そうに眉をひそめるのが見えた。たぶんどうやったら俺を懲らしめることができるかなんて、意味のないことをぐるぐる考えているのだろう。
ようやく落ち着きを取り戻したらしい帝人くんが靴を脱いで室内に上がる。紅茶まで持参してくつろいでいた俺の様子を見てまた眉をひそめた。ちょいちょい、と手招きしながら両手を広げたのに、帝人くんは見事なまでに俺のお誘いをスルー。ちえっ、女の子だったら俺がちょっと笑っただけでほいほい寄ってくるのに。
「はい、里帰りのお土産です」
「ありがとー。紀田くんに聞いたよ。実家に帰ってたんだって?」
帝人くんが池袋から姿を消したのに俺はすぐに気がついた。何か知っているのならきっと紀田くんだろうと思って尋ねたけど、すんなり吐いてくれなかったのでけっこう苦労した。まったく、無駄な労力は使いたくないのに。
「十日も帝人くんに会えなくて、俺、死にそうだったよ」
死因が帝人くんというのも、それはそれでいいかもしれない。
「臨也さんはおおげさですね」
「本当だよ? だって俺は帝人くんを愛してるんだから」
俺がその言葉を口にするたびに、帝人くんがゆがみそうになる表情を必死に取り繕っているのだとすでに気付いていた。気付いていて、それでも俺はいつか帝人くんが我慢できなくなるその時まで愛を囁き続ける。今更気付いたけどなんかこれ、嫌がらせっぽいなあ。純粋な愛なのに。
笑顔の下で唇を噛み締めている帝人くんを見ると、なんかこう、いい感じに背筋がぞくそくして堪らなくなってくる。泣き顔とかすごく見たけど、きっと彼は俺の前で泣くことはしないんだろうな。
なんでだろう。
腐れ縁の友人に『顔の良さを取ったら何も残らないどころかマイナス要素ばかり』と称された俺に騙されて寄ってくる女の子はかなり多い。俺を神かなんかと勘違いしているんじゃないだろうかと疑いたくなる(まあ実際そうなるように仕向けたのだけれど、だとしても思い通りになりすぎてなんか拍子抜けする)子もけっこういて、たぶんその子たちは俺が死ねと言えば簡単に死ぬ。
帝人くんは、違う。
俺みたいな非日常は大好きなくせに、俺といれば自分が求めていたものに出会えるってわかってるくせに、それでも帝人くんは俺をやんわりと拒む。
「会いたかった」
どうして。
「君にとても会いたかった」
どうして、君なんだろう。
非日常だらけのこの場所で、面白くもなんともない一般人の君なのに。
どうしてこんなにも、君に会いたくてたまらなくなったんだろう。
こっそり入手した君のケータイアドレス、それにアクセスすれば君の声を聞くくらい簡単に出来たのに。ボタンひとつ、押すだけでよかったのに。
どうして、そんな簡単なことができなかったんだろう。
君は一般人だ。俺みたいに性格歪んでないし、シズちゃんみたいに馬鹿力もないし、新羅みたいに首から上がない妖精を恋愛対象にしているわけでもないし、セルティみたいに殺しても死なない身体なわけじゃない。
君は非日常じゃない。
それでもたったひとつ、非日常に対する好奇心だけは、きっと。
俺たちから見ても、バケモノ並みに異常だ。
「帝人くん」
たったそれだけなのに。
異常なほど好奇心が強い、たったそれだけなのに。
どうして、君はこんなにも俺を惹きつけるの?
名前を繰り返すたびに、帝人くんが泣きそうな顔を見せる。その顔が見たくて、俺はひたすら帝人くんの名前を囁き続けた。帝人くんが今すぐ両耳の鼓膜を突き破ってしまいたいって、そんな顔をしているのさえ無視して。
「・・・・紅茶、ロールケーキご馳走するんでわけでください」
どこか諦めたような口調で言うと、帝人くんが腰を上げて台所へと歩いていった。わざとなんだけど、俺が持ってきた紅茶は帝人くんが好きな銘柄だ。あわよくば一緒に飲めるかな、なんて期待して二リットルのばかでかいペットボトルを買ってきたかいがあった。
そういえば、帝人くんからお茶に誘われるなんて初めてかもしれない。ご飯を一緒にすることはたまにあるけど、あれは食費を節約したい帝人くんの意見と帝人くんとご飯が食べたい俺の欲求がいい具合にかみ合った結果であって、帝人くんが乗り気だったわけじゃない。
どうしよう、今なら俺、嬉しすぎて死ねるかもしれない。きっと帝人くんはまた呆れ顔でおおげさです、なんてため息をつくのだろうけれど。
人間って案外恋心で死ねる生き物なんだよ。
真実と終わり或るいは 戯言
お題は選択式御題さんよりお借りしました。