死の果てに、神はいなかったけれど。


 きっと彼が、待っていてくれると信じていた。


 彼がいるのなら、死ぬ事なんて怖くはない。

















 まるでトランザムを使った時のような、暖かな光に包まれている。その中を、刹那は誰かに手を引かれて移動している。それは分かるのに、手を引いている人物が誰だか分からない。だが鍛錬のし過ぎで硬くなった自分の手とは違う、しなやかな白い手はきっと女性のものだ。


 〈こっちよ、刹那〉


 柔らかな声。揺れる薄紫の髪。


 「アニュー・・・・?」


 濃密な光のせいで、周囲には霞がかかったような状態でほとんど何も見えない。だけど刹那は、彼女が微笑んでいる事が分かった。


 「なぜ? アンタは俺が・・・・・・殺して、しまったのに?」


 〈ごめんなさい、詳しくは言えないの。私の役目はあなたを彼のものへ連れてくるだけだから〉


 「彼・・・?」


 それは誰? 問いかける前に、アニューの手が刹那の手から離れた。代わりに頬に添えられる、懐かしい感触。


 〈刹那〉


 息が止まりそうだった。


 〈ひさしぶり、刹那〉


 この声を、忘れるわけがない。この感触を、忘れるわけがない。


 「ニー、ル・・・・?」


 〈おう〉


 優しく笑う、彼もまた死んだはずの人間。


 (俺は死んで死後の世界に来たのか)


 不思議と恐怖や後悔はなかった。それはアロウズとの激戦の中、いつも明日死ぬかもしれないと思って過ごしていたからだろう。ああ、でもきっと違う。


 きっと、そこに彼がいるからだ。


 「ニール」


 言いたいことがたくさんあった。したいことがたくさんあった。しかしいざ会ってみると胸がつまり、刹那は彼の名を呼ぶだけで精一杯になってしまう。


 「ニール、ニール、ニール」


 手を伸ばす、そこに彼がいる。その手を取ってくれる。


 〈刹那〉


彼が呼んでくれる。昔のような、優しい声で。


 もう寂しくない。もう悲しくない。もうひとりぼっちではない。刹那は彼の胸に飛び込もうと、一歩を踏み出した、その時。


 〈刹那〉


 聞こえたのは彼とそっくりな、しかし彼ではない声。


 光の中に散るのは、出撃前にフェルトがくれた、小さな花。


 あぁ、あの花は、どうなってしまったのだろうか。


 (フェルトが俺に、くれた花)


 中東の砂漠に埋もれるようにひっそりと、けれど根強く咲く花。


 (もう一度、見てみたい)


 ふるさとの、花を。


 (もう一度、会いたい)


 彼と同じ顔をした、けれど全く違う男に。


 〈それでいいんだ、刹那〉


 刹那の心を読みとったかのように、ニールは笑った。嬉しそうな、しかしその反面、酷く寂しそうな笑顔だった。


 〈生きたい理由が出来ただろ。今ならまだ間に合う〉


 「でも、俺はお前を残してはいけない。俺はお前を」


 愛しているんだ。刹那は泣きそうな声で、ひたすら愛を囁いた。ニールは苦笑すると、俺もだ、と甘く囁いた。


 〈ありがとな。俺が死んでも、まだ俺を愛していてくれて〉


 「当たり前だ、馬鹿・・・」


 〈我ながら最悪な死に方だったと思うぜ。結局俺はお前のためには生きられなかった。最後の最後まで、自分の敵討ちしか考えられなかったんだ〉


 だけどな、と。ニールは顔を歪ませる刹那の頭を撫でた。


 〈あいつはお前のために生きてくれる。なぁ、もういいだろ。なんにも兄貴らしい事できなかった俺のぶんまで、あいつを愛してやってくれ〉


 「ニール・・・・」


 〈刹那、愛している〉


 だから、生きていてくれ。彼にそこまで言われてしまっては、刹那にはもうどうしようもなかった。最後の別れを惜しむかのように、彼の手と自分の手を絡める。


 「愛している、これからもずっと。それだけは絶対に変わらない」


 そう、と刹那は微笑んだ。目じりからこぼれた涙は、悲しみではない。


 「俺は一生、お前たちを愛し続ける」


 急激に薄れていく光の中、最後に彼の笑顔が見えた気がした。

















 刹那、と名前が呼ばれ。


 目を開ければ、そこには端整な顔をくしゃくしゃに歪ませたライルが、半壊したコックピット内に覆いかぶさるように立っていた。


 「ひどい顔、だな」


 「・・・っ! お前、ひとがどれだけ心配したと・・・・」


 激昂したライルの声は、最後には聞き取れないほど微かなものになってしまった。痛む身体をむりやり動かし、刹那はライルの胸に寄りかかった。


 「・・・・死んだかと、思った」


 「すまない」


 「兄さんに、連れて行かれちまったのかと思った」


 ライルは刹那の身体を抱きしめた。まるで、刹那が自分の胸に存在する事を確かめるかのように、強く。


 「・・・ニールに、会った」


 「!」


 「でも、帰って来た」


 自分の手を、ライルの手と絡めて。刹那はふと、外に目をやった。


 何もかも飲み込むような暗闇と無数のきらめきを背に、青く輝く地球が見えた。


 自分たちが、護ったもの。


 「・・・・綺麗だな」


 「え、あ、ああ、そうだな」


 戸惑いながらもしばしそれを眺めていたライルは、怖々と刹那に尋ねた。


 「・・・・・兄さんのところに残らなくて良かったのか?」


 自分からその答えを求めたくせに、その表情はまるで怯える子供のようで。刹那はなんだか自分が彼をいじめているような錯覚に囚われた。


 絡めた手先に力を込めて。微笑をひとつ、投げかけて。


 「あの地球で、お前と生きていきたいと思ったんだ」


 ともすればプロポーズの言葉と思えるような、純粋な望みが答えだった。


 ライルからの返事はなく。抱きしめられた腕の力の強さが、彼の気持ちを雄弁に語っていた。


 刹那はなんとなく瞳を閉じた。額に感じる柔らかな熱。次いで目じり、鼻先、頬。


 唇に降りてきたそれを拒む理由は、どこにもなかった。

















 そういえば、この花の種類はなんだったのだろうか


 砂塵が吹き荒れる砂漠にて、足元に堂々と咲き誇る花を見つめながら刹那はふとそんなことを思った。結局フェルトからもらった花はあの激戦の中で失くしてしまい、もう一度見ることは叶わなかった。だから、直接見に来たのだ。


 「ライル、この花の名前を知っているか?」


 「んー? えーと・・・・ごめん、わかんねぇや」


降参というふうに両手を挙げる彼に、そうかと短く呟いて刹那は再び足元の花に視線を戻した。小さな黄色い花弁が、風に吹かれて揺れる。


 「・・・・そろそろ行くか」


 「いいのか? CBは休止状態だし、時間なんて腐るほどあるぜ」


 ジープの運転席で、ライルは目を丸くして言った。中東育ちの刹那とは違い、白人であるライルにとってこの砂漠の気温はつらいはずだ。しかし彼は、そんな様子はおくびにも出さない。


 「いいんだ。もう、充分見た」


 「そうかぁー? なら、いいんだけど」


 刹那が助手席に乗り込むのを確認すると、ライルはエンジンをつけた。風の音以外静かだった砂漠に、エンジンの音が響く。


 「刹那」


 「なんだ」


 「運転しにくいんだけど」


 持ち上げたライルの左手は刹那の右手としっかりつながれていた。駄目か、と小首を傾げる刹那にライルは顔を紅く染める。


 「いや、駄目じゃねぇし・・・・むしろ大歓迎なんだけど」


 「なら問題ないだろう」


 ごにょごにょと呟くライルに、刹那は意地の悪い笑みを向けた。追い討ちをかけるように、繋いだ手に力を込める。


 「行くぞ、ライル」


 「りょーかい」


 砂塵が二人を包む。エンジンの風にあおられ、小さな花が揺れていた。





 


 

















 しろくま様より、『ライニル刹で死後の世界』でした。


 ライ刹企画のくせにニル刹要素が多くてすみません・・・・もうこれライ刹といえるのかどうか・・・・


 素敵なネタありがとうございます! おかげでとっても甘々なものができあがりました。とても楽しかったです