臨也がキモいんです。年下幼馴染の友人達に呼び出された帝人は、注文したポテトをつまみながらぱくちりとその大きな瞳を瞬かせた。平日だというのに学校帰りの学生でにぎわったファーストフード店内で、帝人はてっきり自分が聞き間違えたのだと思ったのだが、目の前の少年たちは冒頭の台詞を再び繰り返した。
「臨也がキモいんです」
「・・・・それはいつものことではないでしょうか、新羅さん?」
「いつも以上にキモいんですよ、帝人さん」
なぜか制服の上から白衣を羽織るという、校則に真っ向から喧嘩売るような格好をした少年がため息をつく。帝人が保護者的立ち位置に立ってしまっている少年に少なからずやっかいごとを背負わされているこの少年に、帝人はすみませんね、と軽く頭を下げた。
「いつもいつも臨也さんが迷惑をかけて。どうもぼくの躾が不十分だったみたいで」
「いえいえ、あれの躾なんて世界のブリーダーたちが泣いて嫌がることをやってのけた帝人さんには感謝の雨あられを降らせたいくらいですよ。あなたというストッパーがいなかったら、今頃うちの学校は潰れてます」
いえそんなことは、と否定しようとした帝人の唇は、しかし何の台詞も紡げずただ酸素を求める金魚のように開閉するだけ。否定しきれないところに虚無に近い悲しみを覚える。臨也のせいで色々と酷い目にあっている来神高校の職員には、今度上等な菓子折りでも持って行ったほうがいいのではないかと真剣に考えた。
腰まである髪を無意識に一房いじくりながら、帝人は臨也の被害者リストのトップを常に独走している少年の名を口にする。臨也関係でなにかあったのだとするならば、彼が関わっている可能性は非常に高い。
「また静雄さんにご迷惑をかけているんでしょうか? でしたらいつものように、4/3殺しにしておいてください」
「いや、4/3殺しは普通に死んでますって」
律儀に突っ込んだ新羅は軽くスルーし、先ほどから黙ってシェイクをすすっている少年に目を向ける。その頬に赤い線が刻まれているのを見つけて帝人は眉を寄せた。彼の顔はとてもかっこよいいから、絶対に傷つけるなと厳命したはずなのに。
「あぁ、また頬に傷が。すみません。ナイフは見つける度に折っているんですけど、どうしても追いつかなくて」
静雄の頬に刻まれた一筋の傷跡を指でなぞる。瞬間、静雄がいっさいの動きを止め、反対に隣の新羅が盛大に噴き出した。両極端をいく彼らの反応に首を傾げるも、帝人は上着の胸ポケットから常備している絆創膏を取り出すと、ペタリと静雄の頬に貼り付けた。
「んー、それほど深く切れてないみたいですし、もうほとんど治りかけていますけれど、せめて絆創膏くらいは貼りましょうね?」
約束ですよ、と強く言えば静雄は大きく頷く。高校生になってもまだこの素直さを持っているから、帝人はいつだって静雄を可愛いと思うのだ。
「でもそれ臨也じゃないよね? カラーギャングに喧嘩売られたんだっけ?」
「ああ、のしつけて返してやったけどな」
「それはブルースクウェアですか? それとも黄布賊?」
すぅ、と帝人の瞳が細くなる。どちらのカラーギャングもトップがトップなだけに、徹底的に躾がされている。静雄のような目立つ高校生に喧嘩を売るような輩を、あのふたりが手元に置くはずがないとわかっているものの、自然、帝人の声は鋭くなる。
「いえ・・・・そこらへんの、雑魚でした」
「そうですか。気をつけてくださいね。カラーギャングも侮ると痛いですから」
もはやカラーギャングではすまされないほど大きくなりつつある組織を作った者としての、何も知らない子供への忠告。汚い世界へ片足どころか両肩までどっぷり浸かっている大人からの、警告。
「それで・・・・臨也さんがいつも以上に気持ち悪くてウザいということですが」
具体的にはどうキモいのか。社会人である帝人に臨也の高校生活はわかるはずもない。しかし臨也がまだろくに言葉もしゃべれない頃からの付き合いなのだ、彼の素行なら把握している。言動のひとつひとつが最悪に気持ち悪くてウザいのが臨也の常だというのに。
「最近、臨也は静雄に喧嘩売らないんですよ」
新羅が口にした一言を、不覚ながらも帝人は気持ち悪いと思った。
「あとなんか妙に機嫌よかったり」
「俺はこの前あいつがスキップしてるとこ見たぞ。鳥肌が立った、鳥肌が」
「今にも鼻歌歌いだしそうだったしね」
るんたるんた歌いながら軽やかにステップを踏む臨也を想像してしまい、帝人はあまりの気持ち悪さに顔を青くした。似合わない。似合わなすぎてもはや視力による暴力だ。帝人なんて無駄に付き合いが長いから余計気持ち悪く感じられる。
「それは本当に臨也さんですか? 臨也さんのマスクかぶった偽者かなにかじゃないんですか? ていうか偽者って言ってくださいお願いですから」
「現実逃避したくなるのはわかりますけど、これ、残念なことに臨也本人がやっていたまぎれもない真実です」
縋るように尋ねた帝人を新羅が突き落とす。気持ち悪い。それは本当に気持ち悪い。なにか変なものでも食べたのではないだろうか。紫色のキノコとか。
「臨也さんが気持ち悪くなったのは、だいたい何時頃でしょうか?」
「ええと・・・確か今月の半ば辺りからです。約束がどうとか、10年待った、とか口走っているのを耳にしましたけど」
「約束、ですか・・・」
頭の中でカレンダーを思い浮かべた帝人は、あ、と小さく声を上げた。
「そうか・・・だから約束、か」
「帝人さん?」
ひとり全てを悟った帝人に、静雄が説明を求めて声を上げる。とは言え帝人にも絶対という保証はないし、どう説明していいかわからない微妙な問題なので、帝人はどうしたものかと眉を寄せた。なにしろ張本人である帝人でさえ忘れかけていたモノなのだ。
というか。
「ちょっとばかし・・・・・ぼく、ピンチかもしれません」
「え?」
「は?」
唇から漏れ出た独り言に、新羅と静雄が怪訝な顔をする。まあそりゃそうだろうなあと納得しながら、とりあえず臨也の奇行の原因とおぼしき思い出を語るために帝人が口を開いた瞬間。
「みっかどくーん!」
どこでもドアでも所持していたのではないかと疑うくらい唐突に、どこからともなくハイテンションの臨也が現れて帝人に抱きついた。帝人の半分以下だった頃ならともかく、立派に成長した彼のタックルを受け止めるのは少々キツい。
天敵の登場に、静雄の手の中で紙コップが原型をなくした。往来ならまだしも狭い店内で暴れられたらこちらも被害を受けかねないので、ひとまず静雄の世話は新羅に任せて帝人は抱きついたままの臨也の頭を叩いた。
「離れてください、臨也さん」
「はぁーい」
躾の賜物か、笑顔のまま臨也は大人しく離れる。しかし身体を密着させんばかりの勢いで隣に座るのはどうしたものか。そろそろ本当に静雄の血管が切れそうなので、帝人はさっさと確認すべき用件を話した。
「臨也さんがウザいと苦情が寄せられたのですが」
「うん?」
「臨也さん、まさか本気でぼくと結婚するつもりですか?」
瞬間バキャとなにか破壊音が聞こえた。見れば目を見開いた静雄の手に真っ二つに折れたトレーが握られている。あれの修理費誰が払うのだろうかと非常にどうでもいいことを考えながら、帝人は新羅までもが驚愕に硬直しているのを見て首をかしげた。
「静雄さん、トレー壊れていますよ」
「え、あ、その・・・・って、そうじゃなくて」
「帝人さん、今のお話はどういうことですか?」
わたわたとうろたえる静雄にかわって新羅が口を開く。臨也は説明する気がないのかさきほどかたニコニコ笑ったまま、一言も喋ろうとしない。仕方なく、帝人は渋々と苦い思い出を語った。
「よくある話ですよ。18歳になるまでに好きな人ができなかったら結婚してあげますよっていう、漫画とかでよく見かける戯言」
「あー、ありますよね、そーゆーの。実行に移そうとしている人は見たことないですけど」
「そこはぼくの計算ミスです。まさか臨也さんがここまでしつこかったとは・・・・」
「ちょ、なんで本気で悔しがってるのかな、帝人くん!?」
悔しそうにほぞをかむ帝人を見て臨也が慌てる。なんでと問われて答えを出そうとしたが、帝人は言葉に詰まったのであいまいに微笑んで誤魔化した。
改めてじっくりと、成長した教え子の容姿を網膜に焼き付ける。まだ片手で数えられる程度の歳から整っていた顔は、18歳を目前に控えた今、路上ですれ違う女性という女性が振り返って良い男発見とよだれたらしそうな作りにまで成長している。静雄のような男らしいつくりではない、雄雄しいと言うよりも綺麗という形容詞が当てはまる彼の顔を見ていると、神とはえこひいきするイキモノなんですねと聖書に喧嘩売りたくなってくる。自分はこんなにも平々凡々な容姿をしているというのに。
13年前の言葉はただの戯言のはずだった。同い年の友人があまりいない、親しく接していた女性が家族を除けば帝人だけだったせいで色々と勘違いをしていたはずの、まだ年端もいかない幼子の戯言。叶うはずも叶えるつもりもなかった、吹けば飛んでしまうような儚い夢。
まさか、実現させる気でいたなんて。
「あと十日も経てば晴れて俺も18歳だし、もう婚姻届は帝人くんのサイン待ちにしてあるし、うちの親は昔っから帝人くんを嫁にする気満々だし!」
つまり外堀は全て埋めたと。
第二の外堀ともいえる帝人の両親は年齢と恋人いない歴がイコールで結ばれる娘の恋愛事情に諦めにちかい感情を持っているため、もはや犯罪者じゃないなら誰でもウェルカム! な状態だ。そこに昔からの顔見知りでしかも外面だけは文句なしに育った臨也が娘さんをくださいと現れたら、涙流すほど喜んでこんなものでいいならどうぞと率先して差し出しかねない。
嬉しそうに帝人の腕に引っ付いてくる臨也の顔面を手のひらで押しつぶしながら押し返す。見えないイヌシッポとイヌミミが全力で上下している幻覚が見えたような気がして、帝人は先ほど胃に納めたポテトが胃液と血液と共に逆流してくるような感覚に襲われた。
さてこの危機をどう切り抜けようか臨也さんの頭ぶん殴ってあの時の記憶だけ削除できないかなとかなんとか考えながら、高く振り上げたトレーを臨也の後頭部めがけておろした。しかしトレーが臨也の意識を奪うよりも早く鋭く唐突に。
はらはらと臨也の髪が何本か地面に落ちる。しゃがみこんだ臨也の右頬にはまるで刃物で切られたような傷。先ほどまで臨也の頭があったすぐ後ろのソファーの背もたれ部分に突き刺さっているのは、柄を折られ立派な武器になった、バニラシェイクについてきたプラスチック製のスプーン。
「つまりは、あれだ」
帝人が目を瞬かせて向かいの席を見れば、いつのまにか新羅は出口付近まで逃げ去り、残っているのは座っていた大型ソファーを片手で持ち上げている静雄。嫌な予感がした。いな、予感などではなくもはやそれは確信に近い。
「お前が死ねば、全部は丸く収まるっつーことだな」
乱暴だが的確に的を射ている結論に帝人が唖然としている間に、懐からナイフを取り出した臨也が静雄といつも以上にに激しい戦争を始めだした。他の客は静雄がソファーを持ち上げた時点で全員外へ避難しているしているので、帝人も素早く入り口でへらへら笑っている新羅と合流した。別にこうして見守らなければいけない理由などないのだが、放っておけば確実にこの店は物理的な意味で潰れるのでどこか適当なタイミングを見計らって止めなくてはいけない。
「それで、帝人さんはどうするんですか?」
飛んでくるイスやらガラス片やらを器用に避けながら新羅が尋ねてくる。相変わらずその顔は笑顔のままで、帝人は遥か昔からこんなふうに笑う新羅が少し苦手だった。少なくとも帝人の前では感情を表に出す臨也のほうが、まだいくらかやりやすい。
「どうしましょうかねえ。さすがに学生結婚は世間の目が厳しいですから。とりあえずあの婚姻届は燃やします」
「違いますよ、帝人さん」
きらりと太陽の光が反射して、その奥の瞳を隠すように新羅の眼鏡のレンズが輝いた。
「帝人さんはどうしたいんですか?」
ああ、やはりこの子供は苦手だ。
帝人は組んだ手で瞳を覆いながら、かすかな、見間違いかと目を疑ってしまいそうなくらいかすかな微笑みをその唇の端に浮かべて黙ったまま、ただそこに立っていた。
撃ち抜いた心臓の数だけ愛を孕む
お題は歌舞伎さんよりお借りしました。