どういうつもりだクソガキ、と。
殺人くらい軽く犯してしまいそうなくらい殺意と怒気と不快感に満ちた瞳で見つめられて、黒沼青葉はクソガキってあんただって俺とひとつしか歳違わないでしょうオッサン、と唇から音として発したらすぐさま第二次世界大戦も真っ青な殺し合いの火蓋が切って落とされることが確実な感想を心のロッカーにしまっていこんで、少なくとも外面だけは善人のような笑顔で首をかしげた。
「わぁ〜腹立つ笑顔。殺してぇー」
「人の顔見て殺意湧くとか、ほんとどこの刑務所から脱獄してきたんですか紀田先輩。すみやかに極刑に処させられることを祈ってますよ」
「死ねよお前」
早々にキレた正臣を見て、つまらない人だなあと青葉は再認識する。これで相手が帝人だったら、こちらの10倍くらい毒々しい台詞をすぐさま笑顔で返してくるだろう。仮に紀田が帝人並みに罵詈雑言を連ねてきたとしても、青葉は帝人以外に罵られて喜ぶ趣味はないのでやっぱりつまらない人という認識で締めくくるのだが。
キレた正臣をよそに、青葉は素早く眼球だけを動かして周囲を確認する。10年も昔に捨てられた工場跡地は夕刻という時間帯もあいまって、物陰からは幽鬼でも出てきそうな雰囲気が満ちている。元工場なだけあって面積は無駄に広いし、いざとなればただのトタン板で仕切られている壁を壊すなりして逃げ道などいくらでも作れる。多少痛い目は合うかもしれないが、青葉には殺されない自信も病院送りにされない自信もあった。なによりも帝人を優先させる正臣が帝人の不利益になるようなことは、それが心の底からこいつ死なねえかなあと考えている青葉相手であっても、絶対にしないと理解しているからだ。
「それで、こんな場所に呼び出していったいなんの用ですか?」
まあ用件など予想はついているのだけれど、あくまで自分は何も知らないという姿勢を崩さないまま、青葉は不穏に両手の指の関節をポキパキ鳴らしている正臣に尋ねた。
しらばっくれんじゃねえよ、と正臣は反吐でも吐くかのように吐き捨てた。
「帝人の義弟にちょっかい出しやがって。しかもわざわざブルースクウェアだってわかるようにして」
苦虫を十匹どころか三桁くらいの数を一気に噛み潰したような正臣とは正反対に、青葉は唇の端をつり上げて深く深く笑った。それはよくトランプなどで見かける、ジョーカーの絵札に描かれている道化師そっくりの笑み。
何の為なのかと、正臣は尋ねたいのだろう。そんなこと、わざわざ尋ねるまでもなく決まっている。正臣だってそれを承知の上で、しかしあえて尋ねているのだ。
青葉が帝人の付属品にちょっかいをかける、その理由なんて。
「気に入らないからに、決まっているでしょう」
青葉の主にべったりとはべりつく、血のつながりもないくせに家族の絆なんて脆い物に縋っている、あの子供たちが心の底から気に喰わないから。
「俺だけ悪者扱いはないですよ、紀田先輩。先輩だってあいつらのこと、気に入らないくせに」
常に帝人の盾として彼の前にしか立つことができない青葉と違って、正臣は帝人の隣に立っていたのに。その位置を奪われて侵略されて突き落とされて正臣がどう思っているのか、青葉には手に取るようわかる。
青葉があの子供たちを嫌っている以上に、正臣は憎んでいるはずだ。恨んでいるはずだ。だって、あの子供たちが立っている場所は正臣のものだったのだから。あの位置で笑っているのは彼のはずだったから。
「まあ、それを抜きにしてもあいつら嫌いですよ。先輩だって知ってるでしょう? ブルースクウェアはあの静雄ってやつに潰されたようなもんなんですから」
「あれはダラーズにお前が手ぇ出したからだろ。結局吸収合併されて形の上でも残ってんだからマシじゃねえか」
それに、と正臣は心底馬鹿にしたような目で青葉を見た。
「たかが12歳のガキにチーム全滅させられて、それを4年も引きずるなんて情けねぇの」
痛いところを突かれて、青葉は無意識のうちに奥歯を砕けそうなくらい強く噛み締めていた。
4年前、まだ青葉も帝人も高校生だった頃、まだダラーズが正体不明のカーズギャングとしてそれほど名が知れていなかった頃、まだ青葉がブルースクウェア単体で動いていた頃、まだ帝人の異常性も彼の家族の危険性も全く知らなかった頃。
たまたま夏休みで上京してきていた帝人の義弟に、青葉率いるブルースクウェアは壊滅寸前まで追い込まれたのだ。
その後紆余曲折を経て、ダラーズの傘下としてブルースクウェアは活動を再開したのだが、今でも当時の記憶は青葉に深く刻み込まれており、己の青さばかり目立って静雄に対する憤りというより無知な自分に羞恥が沸き起こる。だから、静雄に対して怒っているという抗弁は嘘ではないが、実際のところ下っ端とはいえメンバーをけしかけて襲わせるほどあの事件に関して憤っているわけではない。
大きな理由はやはり、気に入らないから。
「なんで紀田先輩はキレないんですか? あいつらすごくずるいのに」
家族だからという理由だけで帝人の隣に立つなんて。青葉はまだ、彼の前にしか立てない。振り返ることなんて許されていない。だから彼がどんな顔をして青葉を見つめているのか、そもそも青葉は彼の視界に存在しているのか、確かめることができない。
「気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない気に入らないきにいらないきにいらないきにいらない気に入らないキに入らナいきにイらっ」
「うるせーよ、クソガキ」
骨同士がものすごい力でぶつかり合う重い音と衝撃が青葉の頭部を襲った。あやうく噛みそうになった舌の安否を確認して、青葉はいつのまにか目の前に来て握りこぶしを作っている正臣を睨みつけた。
「なにするんですか、先輩。脳細胞が死滅したらどうしてくれるんですか」
「帝人を否定するようなガキはそのまま死んでしまえ」
「っ、なにを」
青葉には正臣の言葉が理解できなかった。青葉が帝人を否定することなどあえりえない。青葉は帝人の手足で、そこに意思は必要なく、ただ彼を肯定するだけだ。そのためのブルースクウェアだ。だから、青葉は正臣の言葉を理解するわけにはいかなかった。
それなのに、正臣は青葉を冷たい瞳で見下した。
「お前が気に入らねえって駄々こねてる現状は帝人が望んだ結果だ。それを否定するって意味がわからねえほど馬鹿か、お前」
はんっ、と正臣は鼻で笑った。青葉を見下して、鼻で笑った。
「お前に理解されるほど、お前は俺のこと知らねえだろうが。理解したつもりになって人の気持ち捏造してんな」
言いたいことだけ言うと、正臣は言葉に詰まっている青葉に背を向けた。そのまま立ち去るかと思えば、突然、なにか思い出したかのように足を止めると顔だけ青葉のほうを向いて。
「それから、お前俺だけじゃなくて帝人も理解しているつもりなんなら、それこそ大馬鹿だね。あいつは誰にも理解できないし、されようとも思ってないし、されるつもりもない生き物なんだから」
「・・・・・・それ、そのまま先輩にお返ししたい台詞ですよ」
「別に俺も帝人を理解してねえよ。あいつがそう思ってるって、知ってるだけ」
理解することと知ることは大違いだ、と呟いて正臣は今度こそ振り返らずに立ち去った。青葉は思い描いていたのとは違う終わり方にあぁーあ、と失望をあらわに叫んで天を仰ぐ。やっぱり紀田先輩もあのガキどもも全部まとめて死ねばいいのに、と囁きながら、最後の正臣の横顔がどこか寂しそうに見えた自分の眼球を抉り出してしまいたいと思った。
狂気ではないと啼く鳥
お題は歌舞伎さんよりお借りしました。