「やっほー、今日もまた派手にやってんな。てかお前未成年だったよな? 帝人にバレる前にファブリーズしとけ、ファブリーズ」


 街灯の明かりも届かないような薄暗い路地裏に、その場の雰囲気に不釣合いなくらい明るい声が響く。乱れた髪をかき回しながら煙草を吸っていた静雄は背後を振り返った。自分のそれとは違う色合いの金髪を揺らして、ひとりの青年がくつくつと笑っていた。


 静雄はこの男が苦手であった。しかし静雄以上に臨也がこの男を嫌っているようなので、人間LOVEと豪語している臨也が自分と同じくらい憎む誰かなんて見たことがなかった静雄は、この義兄の親友にどういった対応をするべきなのか決めかねていた。臨也のようにあからさまに憎んでいるわけではないが、いつも飄々としていてつかみ所がなく、その笑顔の下で何を考えているのかいまいちわからないのでやりにくい。かといって臨也のように言葉を巧みに操って人をからかうわけでもなく、どちらかといえば静雄が好む、自分の感情に素直な人間であった。


 しかしそんな感想を抱けるようになったのも成長したつい最近で、昔は最愛の義兄にいつもべったりとくっついていた彼に子供じみた嫉妬を向け、何度か臨也と手を組んで喧嘩を吹っかけたりもした。病院送りにしたりこっちがされたり。今となればなんの落ち度もない彼に喧嘩を売っていた自分を恥じて、彼と顔を合わせる度に胸の奥に苦い思いが溜まる。


 静雄の複雑な心境を知ってか知らずか、紀田正臣はひゅぅと楽しそうに口笛を吹いた。


 「で、こいつら何者さ」


 まるでボールでも蹴るかのように、正臣は足元に転がっている男を蹴る。顔が血だらけの者、コンクリートの壁に上半身埋まっている者、足や腕が曲がってはいけない方向へ向いている者、数え上げればきりがないその男たちは全員、近隣高校の制服を着ていた。


 「さあ? 妙なイチャモンつけてきたんで、とりあえず黙らせただけです」


 「ふぅーん、お前のこと知らないわけねぇよな。有名だし、お前ら・・・・・お」


 いいもの発見、と正臣が嬉しそうな声を上げた。汚れた地面に突っ伏した男の腕の、正臣によって露出されているそこには。


 「・・・・・・?」


 「あーわかんねぇって顔してるな。それでいいんだ。わからなくていい。こりゃたぶん、アイツ個人からのお前への嫌がらせかなんかだろうから」


 青いバンダナを腕に巻きつけた男の身体を踏みつけて、正臣はひとりなにもかもわかったような顔をして笑っている。わからなくていい。その言葉から、静雄はなんとなくこの件に義兄が絡んでいることを察した。


 「つまりは、お前たちと帝人の仲が前々から気に入らないしこの前の騒動でますます気に入らなくなった俺らの後輩が、ちょっとばかしねちっこい嫌がらせをしかけたわけだ。馬鹿だなぁ、あいつ。こいつら使うだなんて、自分がやってますって大声で帝人に叫ぶようなもんなのに。あ、帝人に知って欲しいのか。あのガキ、は」


 気にいらねぇ、とそこで初めて正臣は飄々とした笑みを消し、深く眉を寄せ地面につばを吐き捨てた。アイツ、が誰を指すのかはわからないが、相当嫌っている人物らしい。帝人の交友関係を全て把握しているわけではないので、彼が言う後輩が誰かはわからない。興味もない。一生出会わなければそれでいい。


 それよりも気になるモノが、ある。


 「この前の騒動って・・・・なんで」


 知っているんだ、とは言わせてもらえなかった。


 「ん? あ、だってお前、一週間も帝人がどこで寝泊りしてたと思ってんだ」


 暗にそれくらい頼っている仲なのだと知らしめる言葉に、静雄は無意識のうちに歯軋りをしていた。気に入らない、とやはり思う。直接示すわけではなく、からかうようにちらちらと見え隠れさせる、その言葉選びが気に入らない。


 お前たちじゃ入り込めない仲なのだと、哂うこの男が気に入らない。


 「とうとう帝人が新しい扉開けちゃって。俺としては大変寂しいわけよ」


 哂う。男は哂う。逆光で静雄からは男の釣りあがった口元しか見えない。だから、彼が哂っていることしかわからない。


 「俺の帝人、泣かしたら殺すから」


 一瞬だけ日が翳り、男の顔が見えた。濃い影を残すその顔は、もう哂ってはいなかった。


 静雄は黙っている。当然の権利だと思うからだ。彼には、その台詞を言う権利がある。帝人を泣かせるような真似はしないつもりだが、もし、静雄が帝人を泣かせてしまったら彼に殺される、それでも構わないと思う。


 静雄は正臣から帝人の隣という場所を奪ったのだ。


 その場所は今までずっと正臣の場所だった。帝人の隣で笑って、帝人を笑わせて、一緒にいたのは彼だった。静雄と臨也がやって来る、あの日まで。しかも静雄たちは奪い取ったその場所、一時期手放した。手放さざるを得なかった。帝人が進学のために上京した、あの数年間。


 結局追いかけて上京するまでに5年かかってしまった。その間、帝人を守ってきたのは正臣なのだ。


 「泣かせるつもりは、ありません」


 正臣の瞳を真っ向から見つめて静雄は言う。冷たい、触れたら魂まで凍りついてしまいそうな正臣の瞳から逸らさず。


 「今まで、ありがとうございました」


 好奇心旺盛な義兄のことだ、静雄の知らない六年間は様々な厄介事に首を突っ込んではかき回すということを危険を顧みずに繰り返していたのだろう。だから静雄は礼を言った。帝人を守っていてくれてありがとう、と。


 その役目はもう、静雄のものだ。


 「へぇ、やっぱお前、フツーにしてりゃあそこそこいい奴なんだけどなぁ」


 先ほどまでの触れるもの全て切り裂きそうな雰囲気はなんだっただと大声で問い詰めたくなるほどの明るさで、ニカッ、と正臣が笑った。


 「でも俺の帝人を取ったから、俺、お前らが嫌いだね。特にお前の兄弟。あいつに会ったら言っといてくれよ。次はブチ殺すって」


 何をされたのか知らないが、本当に殺人を犯しそうな勢いで正臣は殺すと繰り返した。別に静雄は臨也がどうなろうと知ったこっちゃないしむしろ常々あいつ死なねえかなあとか思っているので結果的には万々歳なのだが、ふと、臨也が死んだら帝人が泣くかもしれないと言う考えが頭の隅をよぎった。それは嫌だなと、思う。帝人が泣く姿は見たくない。それはたぶん、正臣も同じ。


 静雄も正臣も、泣き顔よりも笑う姿を見たいと願う人は同じなのだ。


 「じゃあ俺は帰るわ。あ、こいつらの後始末はしといてやるから、たぶんもういちゃもんつけられるようなことはなくなるぜ」


 最後に倒れている男を蹴飛ばして、正臣は大通りへと姿を消した。その背中が雑踏の中に消えたことを確認した瞬間、ガク、と静雄の身体から力が抜けた。だた会って話をしただけなのだが、意識している以上に緊張していたらしい。だせぇ、と自分自身に悪態をつく。


 苛立たしげに壁を殴りつけた静雄の、胸ポケットのケータイが静かに震えた。面倒なので相手も確認せずに通話ボタンを押す。もしもし、と聞こえてきた声は義兄のものだ。


 『あ、静雄。もう学校終わった?』


 「ああ。なんかあったのか?」


 『ううん。静雄、今どこにいる?』


 静雄が居場所を伝えると、よかった、と帝人が微笑む気配がした。


 『スーパー寄ってキャベツ買ってきてくれない? 夕飯にロールキャベツ、再チャレンジしようと思って』


 静雄も食べたいでしょ、と言われ、そういえば前回ロールキャベツを食べた時にそんなことを考えたなと思い出した。しかしその旨を帝人に伝えただろうか。


 『今度は失敗しないようにするよ』


 だから早く帰っておいで。そう囁く帝人に会って抱きしめたいと静雄は思った。へにゃりと笑う彼を、強く強く抱きしめたいと思った。





    











 お題は風雅さんよりお借りしました。