彼女と過ごしてきた16年間。男女の差など意識しないほど幼い頃からの付き合いで、喧嘩したり気まずくなったり色々あったけれど、幼馴染という看板を背負っていたためか、特に何の問題もなく過ぎ去った16年間。


 まさか、今になってひびがはいるなんて思いもしなかった。











 「ハレルヤ、揚げ物作りすぎちゃったから刹那んとこに持って行ってあげて」


 「あいよー」


 台所で夕飯を作っていたアレルヤがてんぷらを盛り付けた皿を渡してくる。自分と同じ背格好に同じ顔なのに、自分には似合わないであろうエプロン姿が様になっているのがやけにむかついた。


 ハレルヤは双子の兄弟であるアレルヤと2人暮し。刹那は父親と2人暮し。安さだけが自慢であるぼろいアパートのお隣さん同士、こうして助け合うことは珍しくなかった。


 「すいませーん、晩飯持ってきましたー」


 汚れが目立つドアを数回ノックすると、後は勝って知ったるなんとやら、返事を待たずに上がりこんだ。


 「刹那ぁー」


 「おい、なに人ん家に勝手に上がりこんでんだ」


 ぺたぺたとリビングまで行くと、刹那の父親であるアリーが干しするめをつまみに酒を飲んでいた。いつもだったら夕食の時間であるはずなのに、夕食が始まる気配もなければ終わった気配もない。


 「ん、親父さんだけ? 刹那は?」


 「あいつなら俺が帰って来たときにはすでにあんなんだ」


 アレルヤ作のいも天をさっそく口に放り込んだアリーが指差したのは、『ノックしろ馬鹿親父。さもなくば死ね』と乱暴に書かれたプレートがかかっている扉。中に照明はついていないうえに人の気配はないが、刹那が自室にこもっている事は確かなようだ。


 「親父さん、またなんかしたんじゃないスか? 刹那のガンプラ壊したとか」


 「バカヤロー。2年前にあいつのお気に入りを踏んづけて壊しちまって以来、あいつの部屋には進入禁止になってんだぞ。壊せるわけがねぇ」


 「そこは誇らしげに言うとこじゃない・・・・」


 とにかく、刹那が不機嫌になる理由の90%を占めるアリーが関係ないとなると、ハレルヤにはさっぱり見当もつかない。


 「おい、お前ちょっとあいつの様子みてこい。このままじゃ今晩の晩飯は酒と干しするめと天ぷらだけだ」


 「あー・・・・家に行けばアレルヤがなんか作ってんで、どうぞ」


 「お、わりぃな」


 あいつも思春期かねーと思い悩む駄目な父親の世話はアレルヤに任せ、ハレルヤは恐る恐る扉をノックした。


 「刹那、入るぞ」


 返事など最初から期待していない。とにかくノックしたという事実があれば、彼女から拳を贈られることはないだろう。聞いていないほうがわるい、とハレルヤは心の中で言い訳を呟くと、極力物音を立てないようにこっそり部屋へ入った。


 部屋の中は物陰すら見えないほど暗かった。照明どころかカーテンを開いてすらいないようだ。ハレルヤは目が暗闇に慣れるまでの数秒、じっと大人しく立っていた。暗闇の中下手に動いて彼女が溺愛しているガンプラを踏もうものなら、明日の朝日を拝むことができなくなる。


 ようやく慣れてきた暗闇の中、所狭しと置かれた棚囲まれた部屋の中央に小柄な人物が座っているのが見えた。


 「刹那、電気つけるからな」


 一応断りを淹れてから照明のスイッチを押す。瞬く間に部屋を照らした光に、暗闇に慣れきっていた瞳が悲鳴を上げた。


 「うお、まぶしー・・・おい、起きてるかー」


 肝心の刹那といえば、先日見かけた水色の袖なしワンピースを着たまま、床に座り込んで視線を空中へ向けている。思考を放棄しているのか魂が抜けているのか、思わず一歩後退さってしまうような光景だった。


 「せーつーなー」


 「ハレル、ヤ・・・・?」


 刹那の目の前で両手をぶんぶん振って。ようやく覚醒した彼女は状況を把握できていないのかきょろきょろと辺りを見回した。


 「へ、今何時だ!? 夕飯の買い物!? 親父は!?」


 「あー説明するから落ち着け、な」


 わたわたとパニックに陥って立ちかけた刹那の両肩をつかんでひとまず座らせ、大きく深呼吸をさせた。


 「親父さんならウチに飯食いに行ってる。だからお前も来い。どうせ今からじゃ夕飯間に合わねーだろ」


 「え、あ、ああ・・・・すまない、ごちそうになることにする」


 「はいよ。ちなみに今夜は天ぷらうどんだ」


 「そうか」


 楽しみだ、と返す刹那の笑みはどこかぎこちない。ハレルヤは舌打ちをすると両手で刹那の頬を挟んだ。


 「はひぇひゅひゃ、くしゅしぃい」


 「誤魔化そうとしてんじゃねーよ、ばーか。何かあったかくらい、俺にだってわかる」


 じろり、と睨むとばつが悪そうに視線をそらされる。自分たちの間に隠し事など不可能だ。伊達に幼馴染の看板を背負ってはいないのだ。


 「今日、ネーナたちと街に行った」


 「前言ってたあれか」


 「適当に映画観て、適当に昼食を食べて、適当にゲーセンで遊んで」


 刹那は口に出してしまうのを恐れるかのように数秒ためらった後、視線を床に向けて小さく囁いた。


 「ナンパ、された・・・」


 「はぁ?」


 その三文字を脳みそが理解できなかったらしく、ハレルヤは数秒間フリーズしてしまった。視線を床に固定していた刹那はそんなハレルヤの状態にも気づかず、ぼそぼそと言葉を続ける。


 「アイスを買っていたら、隣にいた客と目が合って」


 「いきなり運命だとか言われて」


 「なんだかよくわからないうちにケータイの番号を交換していて」


 「来週の日曜日、また会うことになった」


 「俺は・・・・・こういった状況になった場合どうすればいいか分からない」


 紡がれていく台詞は、右の耳から入って左の耳から抜けていく。もはやハレルヤの脳は彼女の唇から漏れる言葉を完全に拒否しているようだ。


 心のどこかで思っていた。


 お互い幼馴染という看板を背負ったまま、ぬるま湯につかったっているような生暖かい関係のまま、ずっと生きていくのではないかと。


 刹那はずっとこのままガンプラ一筋で、彼氏なんて作らないで、自分はそんな彼女に苦笑しつつも幼馴染だからずっとそばにいれて。


 そんな、都合のいい未来を。


 頭のどこかで描いていた。


 たぶんこれはツケなのだろう。自分の気持ちから逃げまくって何も言わないで何も伝えないで肝心な物は何ひとつ残さないでそのくせ心地良さから抜け出せずに居座った、そのツケ。


 16年たまりまくったツケは背負うには重すぎて、ハレルヤは直視できずにいた、だから。


 今になって、払う羽目になるのだ。


 今になって、認識する羽目になるのだ。


 背負っていたのは、幼馴染という看板だけではなかったということを。


 「ハレルヤ?」


 刹那の声にようやくハレルヤは我に返った。訝しげにこちらを見上げる刹那になんでもない、と取り繕って。


 「とりあえず着替えてこい。飯にしようぜ」


 「ああ」


 くるり、と後ろを向いた刹那から逃げるように部屋を出て。ハレルヤは閉じた扉に寄りかかりながらずるずるとその場に腰を下ろした。


 その顔は自己嫌悪と嫉妬でどうしようもなく歪んでいた。





 















 お題は群青三メートル手前さんよりお借りしました。