どうしようかな、と帝人は思考をめぐらせた。視線はパソコンの画面に固定したまま、しかし頭はすぐ隣のベッドで寝転がっている、始終不機嫌そうに眉を寄せた親友の対処のことでいっぱいだ。ぶそっとしたまま帝人のベッドでくつろいでいる彼はそうとうご機嫌斜めで、対処を誤ればずるずると尾を引くことは目に見えていた。
原因はわかっている。というか心当たり選手権とかあったらぶっちぎりで一位を取りそうなモノがある。帝人は内心どうか不機嫌の理由が心当たりであるアレではなくいまだ続く残暑とかそんな適当なものであってくれと願いながら、恐る恐るその心当たりを口にした。
「あのー・・・・正臣?」
「なんだよ」
「そんなに臨也と静雄が嫌い?」
その人名を唇に乗せた瞬間、そのまま刻みついて消えなくなるんじゃないかと思われるくらい深い皺が正臣の眉間に出現した。よりいっそう傾斜を増した彼の機嫌に、帝人はもうどうしたらいいのかわからない。
「ていうか、臨也が嫌いなんだね」
「・・・・・よくわかるよな、お前」
「いや、あれだけお互いに殺気出し合ってたら馬鹿でもわかるよ。臨也が静雄以外を嫌うなんて珍しい。あの子は上辺だけは取り繕う子だから」
「なに? もうそんなに仲いいの、アイツらと?」
「これでも兄弟になったからね」
仲がいいに越した事はないさ。そう笑うと、正臣の眉間の皺がさらに深くなった。つい先ほど最悪の顔合わせを終えたばかりで、知り合ってまだ一時間も経っていない状態でよくもまあここまで嫌い会えるのかと感心するばかりである。帝人が義弟たちと打ち解けるにも少々時間を要したが、どうやら仲良くなるのに時間はかかっても溝を深めるのに時間は要らないらしい。
困ったな、とは思うけれど、帝人に仲裁の意志はない。これは臨也と正臣の問題であり、そこに帝人が介入する余地は欠片たりとも存在しない。できれば仲良くね、と言うけれどそれが戯言の類であると、帝人も自覚していたし正臣も承知していた。
「てゆーかいきなり義弟とかナニゴト? アニメだったらこのまま数年後には押し倒されるフラグだぞ」
「そんなフラグはへし折るから」
不吉な台詞を呟く正臣にボールペンを投げつけて、帝人は先週の父の言葉をそのまま繰り返した。
「『引き取り手がいないから引き取ってきちゃいました、テヘ☆』」
「は?」
「って父さんが」
息子の目から見てもなんともアレな父だが、よく聞けば昔大層世話になった知人夫婦が事故で他界し、引き取り手のいなかった子供たちを引き取ってきたのだと言う。込み入った理由があるのならば帝人に異を唱える気などないし、なにより両親が非常に乗り気なのでいまさら何を言っても変わるまい。
「あいからわずすげぇ親父さんだよなあ」
「それをあら素敵で受け止めちゃう母さんも母さんだけどね」
しかしそれぐらい懐が深くなければ結婚まで行き着かなかったのだろう。とりあえずふたりが出会ってくれたことに感謝。
「臨也も静雄も人見知りする子だから、最初は大変だったよ。おかげで修理屋さんとホームセンターの店員さんと顔見知りになれたし。割引とかしてもらえるからいいんだけどね、別に」
「帝人さーん、目ぇ笑ってませんよー」
羽が生えたかのように財布から旅立っていく紙幣を思い出しながら帝人は力なく笑う。それでも帝人は、新しく家族となった幼子たちを忌避しようとは思わなかった。
「あの子たちはけっこう頭いい子たちだよ」
イスの上で身動ぎすると、己の体重でイスがぎぃ、と低く悲鳴を上げた。たん、と床を軽く蹴ってイスを半回転させる。ベッドに寝転がったまま、正臣はぶそっとした顔でこちらを見つめていた。
「大人がいつも子供に優しいわけじゃないって、あの子たちは知ってるからね」
「なにそれ、そんなの当たり前だろ」
ごろり、とベッドの上で仰向けになりながら、正臣は手近にあったクッションを抱き潰した。八つ当たりのように力を込められて、正臣の腕の中でクッションが変形していく。
「子供だからちやほやしてもらえんのが当たり前って考え、俺、大っっ嫌い。大人だって虫の居所が悪い時くらいあるだろ。それが当たり前じゃん」
「うん。でも普通あのくらいの子供ってさ、周囲の大人に愛されてることを当然だと思ってる節があるよね」
自分の幼少時を思い返して、それはなんて恐ろしいことなのだと帝人は身震いする。愛してもらえて当たり前だなんて、思わないほうがいい。慈しまれていることを常だと思わないほうがいい。
人に優しくされて当然だなんて、思わないほうがいい。
「あの子たちはトクベツだから」」
常に奇異の視線に晒されてきた子供たちは、大人が優しい生き物ではないと理解せざるを得なかった。臨也は経験から、静雄は本能で、大人は頼るべき生き物ではないと悟った。『普通』のカテゴリーからはみ出した存在に人間は優しくしてくれないのだと理解した。
「ね、だからあの子達はトクベツ」
顔の高さまで上げた両手を組み合わせて、ひっそりとどこか楽しそうに嬉しそうに囁く。
「・・・・・だから嫌なんだよなあ。帝人、顔」
拗ねた子供のように唇を尖らせた正臣が、残念そうな恨みがましい口調で指摘する。しかし内容が端的すぎて帝人には理解できず、言葉の続きを求めて首を傾げた。
「帝人がそーゆー顔する時はたいてい厄介事が起きる時だ」
どうせ尻拭いするの俺だろーと天を仰ぐ正臣だが、彼が決して帝人を見捨てないことも、嘆きながらも帝人の好きなようにさせてくれるということも知っていたので、帝人は黙って苦笑とも失笑とも判別つかない笑みをそっと浮かべた。
「バターナイフを凶器にしたり笠立をぶん投げてくるような奇想天外な連中、お前大好きだもんなー」
「まあね。でもだからあの子達を義弟として扱うわけじゃないよ?」
会う前から決めていた。それこそ、家族が増えるのだと父から聞かされた時から。どんなに醜い子でも、どんな問題児でも、黙って受け入れるのだと決めていた。家族になるというのは、そういうことなのだと思っているから。引き取り手がいないと言うからいったいどんな問題児なのかと心配していたが、蓋を開けてみればなんて事はない、ちょっと性格が捻じ曲がっていたり力が強かったりするだけだ。
たまたま、父が連れてきた子供たちが、帝人の好む分類に属していただけ。その偶然を、どこかの誰かは運命と呼ぶかもしれないけれど。
「これからきっと楽しくなるよ。今までも楽しかったけど、これからは少しにぎやかになるね」
「別に俺はこのままでも良かったんだけどなー」
「ぼくは良くない。人生は短いんだよ。少しでもおもしろおかしく生きたほうがお得なんだから」
それが帝人の人生を謳歌するための持論であった。人生をおもしろおかしくするためには手を抜くべからず。自分のやりたいように生き、やりたいように死ぬ。駄目人間の見本であるような主張だが、それでも帝人が周囲から浮いていないのは、なるべく他人に眉をひそめられるような行為を避けるという持論も持っているからだ。しかしそれは敵を増やすと後々面倒だからとりあえず上辺だけは取り繕っておこうという理由からなので、まあ臨也のことをとやかく言えるほど己の性格がお天道様に顔向けできるようなものではないと帝人は自覚していた。
相変わらず正臣は機嫌悪そうに帝人のクッションを抱き潰している。彼が帝人の持論をどう思っているのか直接尋ねたことはないし、これからも尋ねるつもりはない。結果に反映しない過程をはぶくのが、いつのまにか帝人の癖になっていた。どうせ、正臣は心の中でどう思うとも帝人の好きにすればいいと言う。帝人が正臣に対して、そう思っているのと同じように。
帝人は愉快そうに目を細めて、楽しみだね、と再度歌うように囁いた。何かが劇的に変わっていく瞬間あるというのならば、帝人の人生がまさにその瞬間を迎えている。急速に朽ちていく過去を偲ぶかのように帝人は旨に手を当てて深く目を閉じた。この一秒が帝人の人生の葬式であった。
深く沈めて花水葬、浮かべたるは
お題は歌舞伎さんよりお借りしました。