竜ヶ峰帝人には忘れられない記憶というのが、良いものも悪いものも含めてたくさんあるけれど、筆頭すべきものはきっとどれだけ歳を重ねても変わらないのだと思っている。目を伏せれば瞼の奥できらめくそれは、胸にふわりと明るい光を運んでくれる。
まだ小学生になるかならないかの、自分の胸辺りまでしかないふたつの身体。子供に似合わない不信と不安と不機嫌でいっぱいにした、黒檀と真紅の4つの瞳。どこかませた子供たちの、けれど歳相応に柔らかくて小さい手。
その手を握り締めて、目を合わせて、微笑みかけた瞬間の子供たちの表情を、10年経った今でも帝人は覚えている。
安心したくせに泣きそうな、けれど泣けなくて苦しそうな、義弟たちの表情を。
はめられた、と帝人は苦虫を噛み潰したような顔をした。大学進学と同時に引っ越してきた真新しいアパートの、自分たちの住みか。しかし突如として帝人が引きずり込まれたのは自室ではなく、高校進学のために同居し始めた双子の義弟たちに与えた部屋だった。
「帝人くんって、ほんと往生際が悪いよね」
目の前で義弟が笑う。確か彼は今日から学校行事のため三日ほど家を空けるはずだったのだが、いったいなにをしたのやら、朝見送った時と同じ格好で微笑んでいる。
「こんな状況になってでもまだ、認めないなんて」
「・・・・・・・どういうつもりかな、臨也」
吐き捨てるように帝人が囁く。臨也は帝人をベッドの上に押し倒して覆いかぶさったまま、それはそれは綺麗に笑った。
「既成事実作っとこうかなって」
まるでちょっとそこまでお使いに行ってきます、と同じくらい軽く臨也はとんでもない発言をぶちかました。手足が自由ならば今すぐそのへらへらした顔面を一発ぶん殴ってやりたいのだが、あいにく臨也に抑えられていて文字道理手も足も出ない。
冷静に冷静に、と己に言い聞かせながら、唯一の脱出口である扉のほうを見て帝人は愕然とした。この部屋はアパートの五階に位置しているので、窓から逃げるのだとしたらそれなりに怪我をすることを覚悟しなければならないというのに。
「・・・・なんでこーゆー時ばっか君らは手を組むのかな、静雄」
絶対零度の視線の先には、気まずそうに顔を背ける、しかし扉の前から動こうとしないもうひとりの義弟。ちなみに彼も臨也と同じく今日から不在の予定だった。普段は挨拶代わりに罵詈雑言を交わすくらい仲が悪いくせに、いつのまに共同戦線を張るほどになったのか。
「臨也、静雄」
ちょっとばかりやんちゃをしている義弟たちに、帝人は厳しい顔で最後通知を告げる。
「今すぐ退きなさい」
びくり、と静雄が身体を震わせる。もう何年も共に過ごしてきたのだ、帝人の逆鱗に触れたらどうなるか、骨の髄まで染み込んでいるはずなのにびくともしない。否、メンタル面が脆い静雄はぐらついているようだが、残念なことにどうにかふんばっている。臨也にいたっては顔色ひとつ変えていない。
「無理だよ、帝人くん。俺たちもう限界だから」
吐息が触れそうな距離で、臨也が言う。何が限界なのか、帝人はもう何年も昔から気付いていたけれど、知らないふりをしていた。何も見えないことにしていた。まさかそのツケが、今になってやってくるとは露ほど思わず。
「知ってるよね? 気付いてるよね? だったら認めようよ。俺たちが、帝人くんを愛してるってこと」
もちろん親愛じゃなくて恋愛だよ、と言われてしまえば、帝人にもう逃げ道はなかった。
片手ほども歳の離れた義弟たちが、自分を好いてくれていることは知っていた。帝人も血の繋がらない弟たちが大好きで、だからこそ目をそむけてきた。愛してる、と何度も囁かれ続けてきて、それにぼくもだよ、と応え続きてきたけれど、一貫して親愛という態度を取り続けた。
「・・・・・ぼくはね、確かに非日常的なことが大好きだけど、立ち位置としては観客を貫きたい」
帝人の言葉を臨也も静雄も黙って聞いている。根はいい子達なのに、と帝人は彼らの友人である少年が聞いたら真顔で即否定しそうなことを思った。
「だからね、ぼくは性犯罪者になるつもりはないんだよ」
瞬間、帝人は頭を傾け思いっきり上に上げた。すなわち、臨也の顔面へと。
「っ!?」
後頭部に嫌な感触と鈍い痛みを感じ、次いで帝人を拘束していた臨也の手が離れる。重たい音を立ててベッドから転落した臨也の身を案じつつ、帝人は懐に忍ばせておいたボールペンをあまりのことに目を見開いて硬直している静雄へと投げた。
と、と、と、と、軽い音を立ててボールペンが壁に突き刺さる。運動神経は異常に良い静雄は楽々それらを避けていたが、もとより帝人の目的は静雄を傷つけることではない。帝人の目的は、静雄を扉の前からどかすことと、もうひとつ。
「なっ!?」
「ちょっと大人しくしててね、静雄」
ボールペンで服ごと壁に縫い付けられた静雄の横に立つ。その気になれば動けるのだろうけど、その場合確実に壁が壊れる。さすがの静雄も自室を壊すことには躊躇いがあるようだ。
「臨也、静雄、愛してるよ。これは本当」
だけどね、と帝人は縋りつくような視線を向ける義弟たちに優しく微笑んだ。
「さすがに六つも歳の離れた義弟たちに手を出したらどうなるかってことくらい、ぼくにだってわかる。性犯罪者はごめんだよ」
「手出すのは俺たちであって帝人くんじゃないよ」
「黙ってなさい、臨也」
赤くなった顔を手で抑えている臨也へとボールペンを投擲する。臨也の顔に一筋の赤い線を刻んだそれは、臨也の顔の真横へ深々と突き刺さった。
「ぼくは汚い大人だから、足掻けるだけ足掻くよ。当分帰ってこないから、自分たちでなんとかしなさい」
さよならの代わりに愛してるよ、と囁いて。帝人は義弟たちの叫び声をBGMに自宅から飛び出した。行き先は決めていたけれど、これからどうするかなんて、帝人自身にもわからないまま。
それこそ 叶う筈のない夢物語を恋い慕うようなものなのです
お題は選択式御題さんよりお借りしました。