つい一昨日までは騒がしかった室内も、今や閑散としていて人気はない。部下は出かけているのか別室に待機させているのか知らないが、赤林がコンビニから帰ってきた時にはすでに、その部屋には男がひとり、何をするでもなくただソファーに座っているだけだった。
しんとした空気を破ることに今更抵抗など覚えるはずもなく、ずかずかと赤林はその空間へと侵入する。男―――――四木が座っているのとは別の、出入り口に背を向ける形で置かれているソファーへと腰を下ろそうとしたところで、今まで赤林に文字通り目もくれなかった四木が小さく囁いた。
「止めておいた方がいいですよ」
「? なんのことですかい?」
続きを促したのに四木はそのまま黙ってしまった。こちらを一瞥すらせず、ただ黙っているその姿は異常とも奇妙とも思えた。首を傾げて、しかしもう口を開く気のなさそうな四木に話しかけるのも面倒だったのでそのままソファーに座ろうとして、
今まさに己が尻に敷こうとしていたそこに、ひとりの少女が横たわって眠っていることに、ようやく気がついた。
「・・・・・・・人の好みに口出すつもりは毛頭ないんですがねえ、四木さん」
「なんですか」
「女子高校生ってマズくないですかい?」
「・・・・・・・・・・・」
こちらを向いた四木の顔は相変わらず無表情だったけれど、心なしか雰囲気がしょっぱいような苦いようななんともいえないものに変わっているような気がした。気になったが四木が説明するはずもないので、赤林はまじまじと少女を眺める。ソファーに横たわって目を閉じている少女からは健康的という単語が欠落していて、その薄い胸が上下していなければ死人が目を閉じているかのようだ。
「・・・・・どうなっても知りませんよ、私は」
溜息と共に四木が再び何事か囁いたが、やはりわけがわからないし、本人も詳しく語るつもりはないらしい。それなりに不穏な言葉だったのでもう少し明確に話してもらいたかったが、相手が四木なので赤林も諦めて少女を眺める作業に戻ると、
「これでも成人していますが、なにか?」
ぱちりと少女が目を開いて開口一番そう吐き捨てた。起きていたのか、と驚くよりも先に、どう見たって高校生にしか見えない少女が成人女性だという事実に愕然とする。確かに制服も来ていないし平日の真っ昼間から堂々と寝ているあたり、只者ではないと思っていたが。
少女、もとい女性はけだるげに上半身を起こすと自分の乱れた黒髪を手櫛で梳いた。しかしそれほど外見に興味がないのかそれとも諦めているのか、ほんの二、三回程度で手を止めた。
「おはようございます、良く眠っていましたね」
「三日も徹夜させられれば誰だって死んだように眠りますよ。なんか人がずいぶん減っていますけど、何かあったんですか?」
「いえ、ただ女性の寝顔を不特定多数の異性の前にさらすのはどうかと思ったので」
「プライバシーを気にするよりもぼくの人権を尊重してください。もう四日もここに監禁されてるですけど」
「行動は制限していないので、正しくは軟禁です」
「解放する気はないんですね」
女性と四木、内容はともかく表面上は穏やかでにこやかな会話が飛び交う。女性が会話の流れからいって嫌味のつもりのだろうがその雰囲気を全く感じさせない笑みを浮かべたところで、味気ない携帯の着信音が室内に響いた。
「首尾は?」
自分の上着のポケットから出した携帯に女性が語りかける。名乗り上げることすらせず用件だけ促すその姿はどこか手慣れていて、その童顔とは正反対だけれども様になっていた。女性は数回相槌を打ったり続きを促したりすると「御苦労さま」とねぎらいの言葉で締めくくって通話を切った。
「居場所がわかりましたよ。詳細はパソコンに転送させています。別料金で捕獲まで請け負いますが?」
「いいえ、身内は身内でカタをつけますから。もうお帰りいただいて結構ですよ」
「では料金をいつもの口座に指定日までに振り込んでおいてください」
女性はソファーの脇に置いてあったショルダーバックを取ると立ち上がった。赤林には彼らがどんなやり取りをしていたのか知らないが、なんとなく、心当たりがあった。ついでに彼女の正体というか職業もおのずと理解する。女性の名前も面識はないが知っていた。どおりで四木が機嫌よさそうにすわけである。
「ではまたのご利用をお待ちしています」
「軟禁されたのに待っているんですか?」
「それなりに楽しかったですから。ここは日本刀とナイフが飛び交ったり悪気はないとはいえちょっとのことで机壊されたりお気に入りのボールペンが汚れなくて済みますし」
「でしたらずっとここにいても構わないんですよ」
珍しく四木が楽しそうに提案すると、女性はにっこり笑った。赤林はその笑顔に悪寒と吐き気がした。そっと腕を見れば見事に鳥肌が立っている。最近の若者は嫌だねえ、と心の中で呟いた。
「ここはぼくの場所じゃないので、遠慮します」
ばっさりと断られたくせに、予想していたのか気にしていないのか、四木は涼しい顔をいてそうですか、と微笑んだ。本気なのか冗談なのか判断しにくい四木だが、赤林の長年の勘が今の提案は八割本気だったと訴えてきた。
「じゃあぼく、迎えが来たみたいなので失礼します」
そういって女性が指さした窓の外、この建物の前で金髪の男が佇んでいた。顔をあげてここにいる女性に気付いたとたんぶんぶんと大げさに両手を振るその男の顔に、赤林は見覚えがあった。ぞわ、と底知れない何かが背筋を這いあがってきて、弾かれるようにっ振り返るとその視線の先にいた、出入り口に手をかけてこちらを見つめている女性と目があった。にっこりと女性が微笑むが、その笑顔が綺麗だとは、思えなかった。
底なし沼の底で会いましょう
お題は00さんよりお借りしました。