氷の上をすべるかのようになめらかに走りだした愛機の首筋を撫でながら、セルティは自分の背中にぎゅっとしがみつく少年の感触にどこか母性じみた感情を抱いて、しかしそんな人間じみた己の行動を酷く嘲笑った。どこまでいっても自分は所詮バケモノでしかなく、ためしたことはないが子供など孕める保障もない。毒されたな、とセルティは哂った。しかしセルティは自分を変えた新羅を愛していたし、そう悪い変化ではないんじゃないかと思っている。
そして今、セルティの後ろには自分と同じように毒され、変わりつつある少年がいる。
『健康診断の結果はどうだった、帝人?』
振り返らず、影でPDAを支えながら会話を試みる。同じように影で作り出したヘルメットをかぶった帝人が、取り巻く風の音に負けないように声を張り上げながら「問題なしです!」と叫んだ。
「健康体ですって! 残念ながら!」
『健康でなによりじゃないか。まあ、私たちには実感がわかない言葉だけど』
肩を揺らして笑う。きっと後ろの少年は苦虫を噛み潰したような顔をしているのだろうと思ったけれど、帝人ほど人生に絶望していないセルティは『生きている』ことが本当に楽しくてたまらないので、帝人には悪いが遠慮なく笑わせてもらった。
「セルティさんはたまにいじわるですね」
信号待ちで車体が止まった時を見計らって、帝人がどこか恨めしげに呟いた。
「ていうかみんないじわるですよ。ぼくが死にたいって知ってるくせに、死なないでって言うんですから」
『それが本心だからだろう。帝人、本心を偽るのはストレスを溜め込むんだ。だから私も言うよ。帝人には死んで欲しくない』
ぶそっと押し黙ってしまった帝人に、セルティはなんともいえない感情を抱いた。首から上があったならば苦笑していただろう。自分の首に関してはもう諦めかけているが、こんな些細な感情を伝えたいと思う多時はやはり、首が欲しいなあと少しだけ思う。
セルティは帝人と同じように『死ねない身体』を持っているが、帝人の苦痛はわからない。20年しか記憶を所持していないセルティには、おいていかれるという体験を、経験として持っていないのだ。
もしかしたら自分もまた、誰か大切な人においていかれたことがあるのかもしれない。バケモノ扱いされて迫害されたことがあるのかもしれない。しかしその記憶は少なくとも胴体には保管されていない。セルティが記憶している20年間は、そんな経験とは無縁の生活だったからだ。だから首が戻ったセルティならともかく、今のセルティに帝人を理解することは出来ない。
それでもセルティは色々な意味で、誰よりも何よりも『竜ヶ峰帝人』に近いイキモノだと自負している。
それは『死ねない身体』を持っている者同士という意味でもあり、人間というカテゴリーに決して属せないという意味でもあり、そう遠くない将来に大切な人を失うという意味でもある。
帝人が大切にしている人たちも、セルティが愛している人たちも、老いて死ぬことを避けられない人間なのだから。
だから絶対においていかれる。それは避けられない。新羅もセルティもそれを承知で共に暮らしているが、なんとなく、それを口に出して言うことは躊躇われた。現実を理解しつつも目をそむけている後ろめたさがうっすらと身体にまとわりつく。
(どうして、)
「どうして、ぼくたちみたいなのがいるんでしょうね」
セルティの心を読んだかのような帝人の発言に、セルティは内心飛び上がりそうなくらい驚きながらも、素早く『さあ? 神サマの気紛れか?』と打ち込んだ。
「神サマって、ぼくけっこう長く生きてますけど、会ったことないですよ」
『ふぅん。でも日本の天皇は先祖が神サマじゃなかったか?』
「一応そういうことになってますけどね。それを言ったら外国にだって、あっちこっちに嘘みたいな神話がごとごろしてるじゃないですか。牛と人間の子供がいたり、やたら浮気する神サマがいたり」
確かに今思えばそれはどうなのかと突っ込みたくなる神話はかなり多い。それを考えれば、神サマなんて案外いい加減なものなのかもしれない。
「でもぼくは無神論者ですので」
『え、でも私たちみたいなのがいるんだぞ?』
自分たちの存在自体が人外の存在を肯定しているのだ、神サマがいたとしても不思議ではない。だからとは言えないが、セルティは非日常的なことが大好きなこの少年は神の存在を信じているのだと思っていた。
「だって会ったことありませんから」
セルティの疑問に帝人はさらりと応えた。
「自分の目で見たことしか信じない主義なんです、ぼく」
だから静雄さんやセルティさんを見たときはすごく嬉しかったんですよ、と帝人は肩を震わせた。ヘルメットのせいで顔は見えないが、おそらく笑っているのだろう。
だって、と帝人は言った。
「自分を信じないで、ほかに何を信じるんですか?」
昔話に出てくる翁のような、積もり重なった膨大な量の人生経験の末に出された思想は外見は高校生、下手したら中学生にも見間違われる帝人には酷く不釣合いだが、今の帝人にはこれ以上ないくらい似合っていた。時折帝人は老獪な雰囲気を纏う。それはまるで陽炎のように不安定で、セルティが掴もうとすればすぐさまふっと溶けて消えてしまう。もしかしたらそれが、『竜ヶ峰帝人』というイキモノの本性なのかもしれない。
『・・・・・前々から思っていたんだが』
信号が青に変わる前に急いでセルティはPDAに打ち込む。
『帝人はものすごく人間っぽいよな。少なくとも昔の私よりは』
打ち込んだPDAを帝人に見せると、彼はぎゅっとセルティの腰に回している腕に力を込めた。それは肯定かもしれないし、否定なのかもしれない。喜んでいるようでもあり、ひどく嫌悪しているようでもあった。ヘルメットで表情が見えないので、力の込めたその意味をセルティが理解することはできない。
帝人の返答を待たずして信号が青に変わった。愛機のシューターが低い嘶きを上げて走り出した、そのすぐ前を
赤い
自動販売機 飛
横切 る
悲鳴 が 視界 見え
帝人 は 砕け
衝撃 痛 打
すさまじい轟音と共に、気がつけばセルティはビルとビルの間にある路地にシューターごと突っ込んでいた。慌ててハンドルを切ったため、方向感覚を失って思いっきりスリップしたのだ。セルティのすさまじい反射神経とシューターのフォローがなければ、今頃どうなっていたのか考えるのも怖い。
『帝人!?』
意味がないとわかりつつもつい癖でセルティは文章をPDAに打ち込んでいた。慌ててあの小さな少年の身体を捜す。とっさに影でカバーしたので、飛んできた自動販売機にぶつかることだけは避けられたはずだが。
『帝人!』
セルティは路地の隅で動くものを発見した。近付けばやはりそれは帝人で、ヘルメットのおかげで頭部に怪我はないようだが、他が悲惨な姿になっている。
「いっつぅ・・・・・」
来良学園の灰色がかかった青のズボン、その左足太ももの部分から。
青みがかあった槍が生えていた。
外側から内股部分まで直系4センチはありそうな、おそらくは歩道と車道を区別するために設置されていたのだろう凝った装飾とデザインの柵の一部がしっかりと貫通し、肉を押しのけて血と脂にまみれた先端部分を露にしていた。今はそれほど出血が派手ではないが、抜けばシャンパンのように血が溢れることは火を見るよりも明らかである。
「セルティさん・・・・?」
『帝人、足が!』
急いで足の怪我を伝えると、帝人は制服の青を黒へと変色させつつある傷口に目をやり。
「っ!」
おもむろに突き出ている先端部分を握り締めると、セルティが止める間もなく一気にそれを引き抜いた。血と脂ですべるだろうそれを気にした風もなくそこらへんに投げ捨て、むりやり引き抜いたせいで広がってしまった傷口を一瞥する。
『帝人、無茶をするな!』
「無茶じゃないですよ、ほら」
帝人が笑って指差すそこには生々しい肉と血管をさら赤黒い穴がぽっかりと存在して・・・・・・いたのは最初の数秒だけだった。
『!』
人体の再生のビデオを早送りで見ているような、そんな勢いで筋繊維が肉が血管が脂肪が皮膚が構築され、再生し、心臓の鼓動にあわせて血液が噴き出すよりも早くそこの制服の生地だけ破けている以外事故前となんら変わらない、普通の足が存在していた。
「ほら、平気でしょう?」
セルティが帝人を見れば、ヘルメットを外した彼はうっすら微笑んでいた。しかしそれはなにかを諦めているような表情で、セルティはこんな風に笑うのならばいっそ自分に縋りついて痛みに泣き喚いてもらったほうがマシだと思った。
「それよりも早くここを離れないと、野次馬とかあの白バイさんとかやってきませんか?」
『! そうだった・・・・・! 野次馬はどうでもいいけど、あの白バイが来るのはやばい!』
慌ててセルティが帝人を引っ張ってシューターにまたがるのと、煙草をくわえた静雄が飛び込んでくるのと、遠くでサイレンの音が聞こえてくるのはほぼ同時であった。
「あれ、静雄さん」
「セルティと・・・・帝人っ!?」
『静雄、さっきの自動販売機はやっぱりお前か!』
おおかた借金相手か臨也に投げつけたのだろうけど、タイミングと投げる方向が悪すぎた。なぜこうも狙ったかのように自分たちまで巻き込んでいくのか、時間があったら小一時間は説教したいところだが今は一分一秒も惜しい。
『ああもうっ! 静雄!』
サングラスの奥で目を瞬かせる、状況が良く飲み込めていない静雄にびしっとPDAを突きつける。
『私は白バイをまくから、お前は帝人を家まで送って来い! よく考えれば臨也避けとしてはお前が最適だしな』
「へ?」
「え、セルティさん!?」
混乱するふたりを残してセルティはシューターの首筋を軽く叩いた。それに応えるかのように嘶くシューターを発進させて、セルティはざわめく群衆の前へと飛び出した。ちらりと見えた白バイの影に怯えながら、セルティはデュラハンの名に恥じないスピードで池袋の街を駆け抜けた。
鎖葬
お題は選択式御題さんよりお借りしました。