その日、アリーをたたき起こしたのは休日の朝には絶対にならないはずの娘が持つ目覚まし時計のベルだった。どれだけ壁が薄いのか、隣の部屋であるにもかかわらずベルの音は容赦なくアリーの鼓膜を揺さぶった。
「うるっせぇぇぇぇぇぇ!」
「アンタのほうがうるさい」
文句を言うために開けた娘の部屋、その中から飛んできたのはガンプラにつかうためのはんだごてだ。下手したら死ぬ。アリーは己の反射神経に感謝した。
「近所迷惑だ。さっさと永眠するか死ぬかしろ。もしくは逝け」
「おい、なんやかんやで全部死ねって言ってるぞ」
「言ったが何か問題でも?」
早朝から聞くには辛い娘の毒舌にアリーのHPは激減していく。昔はもう少し可愛げがあったものだ、とアリーは過ぎ去った過去を思い返して嘆いた。
ふと娘の姿に違和感を覚えたアリーは首をかしげて娘の全身を眺めた。昔から直しても直して変わることのないくしゃくしゃの髪の毛に、ざくろのような瞳。他人からよく血の繋がりを否定される(しかも娘を紹介した瞬間に即刻で、だ。かなり傷つく)愛娘はいつもとなんらかわらないように見えた、が。
「・・・・お前、いつの間にそんな格好するようになったんだ」
「・・・・・不可抗力だ」
渋い顔でため息を吐いた娘が着ているのは、幼少の頃からどれだけ着させようとしてもがんとして首を縦に振らなかったスカートだ。紺色のジーンス生地の短いスカートに白いタンクトップ、さらに薄手のカーディガンを羽織っている。
「着たくて着ているわけじゃない。俺だっていつもの格好で行く気だった、のに・・・・」
何かを思い出したのか、一気に娘の顔が暗くなる。たかが服にいったいどんな思い出があるというのだ。
「何だお前、もしかしてデートか」
「・・・・・・死ね」
図星だったのか、今度は接着剤の瓶が飛んできた。地味に痛い。
「どっちだ?」
「はぁ?」
「だから、お前がデートすんのはどっちだって聞いたんだ。ま、十中八九ハレルヤのほうだろうが」
「なぜそこでハレルヤの名前が出てくる」
「じゃあアレルヤのほうか」
「人の話を聞け、馬鹿親父」
次に飛んできたのは物体ではなくアリー直伝のドロップキックだった。調子に乗って教えた人体の急所を的確に狙ってくるのでものすごく痛い。アリーは痛みに悶絶しながらも、娘の前で醜態をさらしてたまるかと歯を食いしばって耐えた。
「あの二人じゃないのか」
「なんでそこであいつらが出てくるんだ」
娘が彼氏を作るとか想像したくもないし連れてきた日には数々の修羅場で磨き上げたプロレス技をもって撃退してやると心に誓っているのだが、なぜだろう、刹那が彼氏にするのなら、なんとなくあの二人のどちらかという気がしたのだ。というか。
「お前、どっちかと付き合ってんじゃねーのか」
「・・・・・・・・・・・・とうとう脳みそ腐ったか、親父。葬儀の予約を入れておいたほうがいいか」
いつもより二割増しで紡がれる言葉は、けれどどこか覇気がないことをアリーは感じ取っていた。
「あいつらは関係ない。俺はもう出かける。朝食はスクランブルエッグを作っておいた」
「おう」
「夕飯までには帰る。昼食は自分でどうにかしろ」
行ってきます、と扉の外へ消えた背中は自分が良く知る娘のものではなく、青春を謳歌する少女のものだった。
刹那はこれまでの人生においてデートというものを経験したことがないのでわからないのだが、三度の飯より恋話が好きな友人によるとデートというものは集合時間より五分遅れていくものらしい。約束の時間に遅れていくというのは失礼ではないかと思うのだが、友人に念押しされたので刹那は首をかしげながらも五分遅れるように家を出た。
指定された集合場所はショッピングセンターの広場の時計塔だ。見れば相手はすでに集合場所に立っていた。刹那は慣れないスカートを不愉快に思いながらも小走りで相手に駆け寄った。
「すみません。待たせてしまいましたか?」
「いや、気にしなくていい。私も今来たところだ」
友人に教わった台詞を言うと、グラハムと名乗っていた男は爽やかに笑った。男がいつ着たのか知らないのでその言葉が本当かどうかはわからないが、刹那は感じた罪悪感をそっと胸に隠した。
「では行こうか」
「あ、はい」
グラハムに促されて刹那は歩き出した。今日の目的は先日上映が開始されたロボットアニメ映画だ。毎週かかさず観るほど大好きなこのアニメはグラハムも同じように大ファンらしく、心なしか彼の足取りは軽い。
そんな彼とは反対に、映画の看板を見上げる刹那の表情は硬い。
(本当は、ハレルヤと観に来るつもりだったが・・・・)
この映画が上映されると知ったとき、刹那が一緒に行こうと誘ったのはハレルヤだった。その時は二人の都合が合わなくてまたいつか、となったのだが。
いつの間にか二人分の入場券を購入したグラハムが入り口でポップコーンを片手に手招きしていた。
映画はおもしろかった。刹那お気に入りの機体が宙を駆け、家の小さなテレビとは違う大スクリーンで観る爆発シーンは圧巻としか言いようがなかった。不満といえば隣でグラハムが「おおお! それこそ武士道!」「む、不意打ちとは卑怯な」などと小声でぶつぶつ呟いていた事だろうか。けれども「行け、そこだ!」などと声援を小声で送っていたから同罪だ。
昼はグラハムが薦めるレストランで食事を取った。小奇麗なそこは自分みたいな小娘には相応しくないような気がして、心の中でそっとファミレスが良かったと呟いた。奢ってもらえるのだから文句など言えるはずがなかったけれど。
「飲まないのかい? ここはいい豆を使っている」
「・・・はい、そうみたいですね」
食後のサービスなのだというコーヒーを渋々一口すすって、歪んでしまいそうに眉を必死に隠した。真っ黒なコーヒーはどれだけ砂糖とミルクを入れようとも飲めたものじゃない。
(ハレルヤだったら、飲まないのかなんて言わない)
彼だったら上映中は静かにしてくれるし、ポップコーンだって塩味じゃなくてキャラメルにしてくれる。昼食はこんな神経を使いそうなところじゃなくてそのへんの気軽なファミレスだろう。刹那が食べられない食材があったら仕方ないと言いながらも食べてくれるし、食後のデザートはお互い一口づつ交換して食べ比べできる。彼の財布状況から考えて奢りじゃなくて割りかんだろうけど、それぐらいが調度いい。全部奢ってもらうのは申し訳ない。
(ハレルヤだったら)
もっと気が楽で、もっと楽しかっただろう。
(ハレルヤだったら、良かったのに)
彼となら、慣れない服でデートするのも悪くない。
「刹那?」
「っ」
グラハムの声で一気に現実に戻された。いぶかしむグラハムになんでもないです、と無理矢理取り繕った。今目の前にいるのはグラハムなのに、違う相手のことを考えていたなんて失礼だ。
(なんで、あいつの顔ばかり浮かぶんだ・・・・)
目の前にいるのはハレルヤではない男。なのに自分は先ほどからずっとハレルヤとばかり比べている。
(クソ親父のせいだ・・・・出る前に、あんなこと言うから)
心のもやもやを全て父親に押し付けて。とりあえず刹那は帰ったらアリーをぶん殴ることに決めた。
君の欠片を捜してる