組織に属しているものは大小の差はあれど誰にでもひとつ、敷地内に自室が与えられる。外から通うよりも手っ取り早い上にそもそも自宅など持っていないものが大半だから、皆当然のように敷地内で寝食を済ませている。帝人も例に洩れずそう過ごしているが、週末だけは敷地外のとあるマンションへと帰っている。そこは決して帝人の持ち家でも実家でもないが、それでも帰る場所であることは確かだった。


 帝人は作った夕食を片付けると、手招きされるがままソファーに座った。このマンションを一棟全て買い取った人物であり帝人の養い親でもある男が、にぃ、とまるで子供のように笑いながら大理石でできたチェス盤を片手に座ったのを見たあたりから、なんとなく予想をしていたのだが。


 電子チェスが主流の時代であるにも関わらず、臨也は頑なに手動でのチェスゲームを止めようとはしない。確かに帝人も駒を動かす際の、大理石同士が触れ合う硬質な響きを含んだ音は嫌いではなかったから、臨也のこの頑なさもわからないわけではないのだ。


 白と黒の駒が交差するゲームが始まってからどれぐらい経ったかはわからない。今のところ勝負は五分五分で、特に負けているわけでも勝っているわけでもなく、心にいくらかの余裕はあった。


 「君、来週から静ちゃんに貸し出すから」


 突然降ってきた声に、ポーンを持つ帝人の腕が止まった。足を組んでソファーに深く座り込んだ臨也は、にやにやと不敵な笑みを崩さない。


 「静ちゃんなんかに貸し出すのは癪だけどね、今回一番早かったし、前線に使えない奴送ったって意味ないし。まあ、精々死なないように気をつけてね。俺は君の命まで静ちゃんに貸し出したつもりはないから」


 それが来週から自分が配属される部隊についてだと理解するのに少し時間がかかった。ゆるゆるとまるで布に液体が染み込むかのように消化していった事実を、帝人は呆然と受け入れる。


 「思っても見なかったって顔、してるね」


 「・・・・・・ぼくは、あなたのところへ行くのだと思っていました」


 太陽が東から昇って西に沈むのを当然だと思うのと同じなように、なんの疑問もなく、自分は臨也の後ろに立つのだろうと思っていた。他の誰かのところへ行けるはずもなく、行くつもりもなく、臨也の為に働いて臨也の為に死ぬのだと、思っていた。


 臨也の為に働くことが至上の喜びであるとは思っていない。幾人か知っている臨也の信者である少年少女とは違い、帝人は臨也を最低の人間だと思っているしそこそこ軽蔑もしている。鬼のよう、悪魔のよう、と罵ったことだってある。彼は決して良い養い親ではなかった。だがそれでも七年前に臨也に拾われたことも彼に拾われなければ死んでいたであろうことも事実であるから、帝人は黙って臨也の傍にいる。


 「ぼくはあたなの、ものなのに」


 ぐっと拳を握りしめて反論めいたものを囁く帝人も、臨也はまるで顕微鏡越しに微生物でも観察するかのような目つきで眺めた。そんな彼の反応すらも帝人は予想していて、余計に拳に力を入れる。


 七年前に拾われた。七年間側にいた。その間ずっと、自分が臨也のものであるということを、疑ったことはない。


 「そんな台詞は俺に勝ててから言ってよ」


 軽く鼻で笑い、臨也は嘲りの言葉を投げつける。


 「同じ部隊に策士はふたりもいらないよ。つか、なに? 君の策が俺の以上だなんて思ってたの? 思い上がりもいい加減にしなよ」


 思い上がりなどしているつもりはなかったのだけれど―――自覚がない時点ですでにうぬぼれているということなのだろう。臨也の言葉の数々は帝人の心を抉った。臨也の言葉は甘いものであったことなど数少なく、その嘲笑にも慣れているはずだった。それなのにどうしてか、帝人の拳は震え噛みしめる唇に加えられる力は強い。


 「静ちゃんには貸すけどね、忘れないでよ。君は俺のものだ」


 傲慢に言葉を続けながらも、かたん、と駒を置く臨也の手は止まらない。帝人も頭と手を動かすが、鈍い思考回路では勝負を拮抗させるので精一杯だ。次々と駒が奪われ、盤上の砦はもう丸裸に近い。


 帝人は自分のものだと言うくせに、臨也は帝人を振り返ったことなどない。時折、戯れのように振り返っては石を投げては帝人の反応を愉しんでいくだけ。最低な人だと、今更罵らない。そんなことはもう、出会った瞬間から感じていた。


 「チェックメイト」


 細く美しい指に握られた臨也の黒い駒が帝人のキングを倒す。カツン、と石が触れ合う高い音と共に盤上にキングを模した駒が転がった。手下をなぎ倒され砦を壊され全てをはぎ取られた王様を帝人はただ見下ろす。


 「それ、片付けておいてね」


 にぃ、とそれは楽しげな笑みを口元にたたえた臨也が去り際にそう言い残した。これでもう何回目の負けなのか、数えるのは馬鹿馬鹿しいくらい。残されたのは俯いたままの帝人と、白と黒が散乱した盤。


 蹂躙された白い王様に誰かの顔が重なったように見えたけれど、それはきっと幻に違いない。


 俯いたまま、唇を噛みしめたまま、帝人は黙っチェス盤に手をかける。その手はわずかながらとはいえ震えていて、その事実に帝人は、あぁ、と息を漏らした。手が震えるほどの激情の矛先が誰に向いているのか、そしてその激情の源となっている感情の名がなんというか、帝人はもう気づいてしまった。


 噛みしめた唇から力を抜くと、舌先に残るのは鉄錆の味。唇を静かに濡らすその液体を舌で拭いとって、帝人は小さく笑う。この屋敷には鬼がふたりいたのだ。


 











お題はゴシップさんよりお借りしました。