目の前の机にずっしりと積まれた分厚い本の山を、ロックオンは目を白黒させながら見つめた。人ひとり殴り殺せそうなくらい分厚いそれらはどうやら全て植物図鑑のようで、ロックオンは恐る恐るその山を作り上げた少女を見つめた。


 「えーと・・・なにこれ?」


 「植物図鑑だ」


 「いや、それは見りゃわかるんだけど」


 付き合いだして初めて自室へ呼び出されたと、喜びと期待に満ち溢れて来てみればこれだ。扉を開けるまでのわくわくとかどきどきとかを返して欲しい。とりあえず一冊手にとってぱらぱらめくる。植物図鑑だが内容は花に限定され、他のもめくれば中身は花についてだ。


 「なんで花オンリー? 植物図鑑ってもっとこう、植物なら草でも樹でも手当たりしだい載せてるんじゃないのか」


 「俺が選んだからな」


 簡素なベッドへ腰掛けた刹那が同じように一冊手にとって眺めている。刹那が直々に花ばかりを扱っている図鑑を集めて、それをなぜ自分の前に山積みにするのか全くもってロックオンにはわからない。


 「『別れる男に花の名前をひとつ教えなさい。花は毎年咲きます』」


 「へ?」


 「川端康成が自身の作品の中で書いた言葉だ」


 知っているか、と目線で問われ、知らない、と首を振って返した。川端康成という作家なら聞いたことがある。かなり昔の、日本の小説家だと記憶している。しかし彼の作品は呼んだことがないし、件の文章にも覚えはない。


 知らない、けれど意味はわかる。確かに花は毎年咲くから、その花を見るたびに嫌でもその名と共に思い出されるだろう。別れた男の心に自分を刻もうとする女の意地とでもいうのだろうか。


 しかし、その言葉と目の前の大量の図鑑を繋ぎ合わせると。


 「・・・・・・・・別れ話なら聞かねえぞ」


 拒むように両手で己の耳を塞ぐ。勇気を出して告白してまだ一週間と経っていないうちに別れ話なんて。


 「別れ話ではないから、聞け」


 隣に座った刹那の両手がやや強引にロックオンのそれを引き剥がす。別れ話ではない、という言葉に安堵しながらもいぶかしんで眉を寄せる。


 「別れるつもりはない、けれど俺たちはいつ死ぬかもわからないから」


 別れ話よりも残酷な台詞がロックオンの胸をえぐった。反射的に耳を塞ごうとする両手を、刹那のそれが押さえる。


 「ロックオン」


 「嫌だ」


 「ロックオン」


 「聞きたくない。刹那、そんな話聞きたくない」


 聞きたくないではなくて考えたくないのだ。先の見えない未来なんていらない。死ぬかもしれない、それは仮定の話だけれども、仮定だとしても彼女が死ぬ話なんて聞きたくない。


 私立武装組織なんて物騒な組織に身をおいて、しかもその最前線で戦っている以上、考えなくてはならない問題だとは理解していた。しかしそれは脳の話であって、感情はそんなもの投げ捨ててしまえと悲鳴を上げている。


 (もう嫌だ、何かを失うのは嫌だ、それがもしもの話でも、考えておかないといけない話でも嫌だ嫌だ刹那を失うなんて)


 焦がれて焦がれて、やっとこの両手で触れることが出来るようになったのに。


 もしこの温もりを失ったら、きっと自分は発狂してしまうに違いない。


 「ロックオン!」


 べし、と強く刹那の両手がロックオンの頬を挟んだ。目と鼻の先にあるのは赤褐色の瞳。瞬きすることすら許してくれない苛烈な瞳で、刹那はロックオンの瞳をのぞきこんでいる。


 「怖いのはお前だけじゃない」


 怒りを押し殺した静かな声にロックオンは目を瞬かせた。同時に自問する。どうして今まで気付かなかったのだろうか。昔味わった消失感に怯えて自分のことで手一杯だったなんて、そんなのは言い訳にしかならない。


 自分が彼女を失う恐怖に怯えているのなら、彼女もまた自分を失う恐怖に怯えているということに、気付かない、なんて。


 「刹那、俺・・・・・・」


 「わかっている」


 何を言っても言い訳にしかならなくても、それでも今何か言わなくては後悔するだろうという強い焦燥感から口を開いたものの、唇から出たのは意味もない単語だけで。自己嫌悪に陥りそうになるロックオンを刹那は優しく抱きしめた。


 「アンタは嫌がるだろうとわかっていたけど、無理にでも考えてけじめをつけておかないといけないだろう。うやむやなままずるずる引きずって、そうして傷付くのは残された方だ」


 残された方、と言った瞬間、小さく刹那の身体が震えた。顔には出ていないけれど、彼女も怖がっているのだという確かな証拠だ。


 「俺たちは思い出しか残せない。でも、俺はそれで生きられる。ひとりになっても、アンタが残してくれた思い出に縋って生きることが出来る。アンタに花の名を教えて、毎年その花が咲くたびにアンタを思い出すことが出来る」


 「だから、植物図鑑?」


 「よく考えたら、俺は誰かに教えられるほど花の名前を知らない」


 恥じるようにそっぽを向いた刹那の頬が心なしか赤くなっているのが見えて。ロックオンはゆるゆると小さく笑った。


 思い出だけで生きられる、というのはたぶん嘘だろう。そういう生き方も出来るのだろうけれど、しかし人は過去の遺産に縋って一生を過ごせるほど強くはない。それはロックオンも目の前の少女も例外ではなく、どんなに鍛錬を重ね戦場を駆け抜けてもきっと克服できない。


 しかしだからといって悲嘆に泣き崩れて後を追うような真似はお互いが絶対に許さない。ロックオンも刹那も自分が死んだことを死ぬ理由にはされたくない。


 思い出だけでは生きられない、けれど思い出だけで生きるしかない。ならば、その思い出は多いほうがいい。


 「・・・・刹那は、タンポポって知ってるか」


 唐突な問いかけに刹那は首をかしげた。名前くらいは聞いたことがあるのではと思ったが、刹那の出身地を思い出して苦笑した。オアシスに行けば植物ぐらいあるだろうけれど、たぶんタンポポは咲いていない。


 「黄色い花で、そこそこ気候が安定している場所なら咲いている。ほら、この花」


 手近にあった図鑑をめくる。1ページまるまる使って載せられている写真には、明るい黄色の花が写っている。


 「この花はきっと、刹那に似合う」


 英語名はdandelion。こんなに可愛らしくも、フランス語でライオンの歯を意味する名を与えられ、生命力も強いこの花は戦場でひたむきに前を見つめる刹那にそっくりだ。


 「だから覚えておけ。この花はお前だから。俺もこの花を見てお前を思い出すから」


 だからどうか、彼女も自分を思い出して欲しい。こうやってふたり、植物図鑑をめくったことを。刹那が思い出に縋って生きるというのなら、ロックオンもまた刹那を想って生きよう。狂うその直前まで、ずっと。


 「これが俺の花ならば」


 大人しくタンポポの写真を凝視していた刹那がふいに顔を上げてロックオンと目を合わせた。


 「ロックオンの花は、どれだ」


 「・・・・考えてなかったな」


 自分の花は、と問われてもなかなか思い浮かばない。思わず誕生花の桃が浮かんだが、24の男に桃の花は似合わない。


 「じゃあ刹那が決めてくれ」


 どさり、と刹那の目の前に植物図鑑の山を築く。きょとん、と目を瞬かせた刹那はおずおずとそのうちの一冊を手に取った。花なんて見たこともなかったのだろう、文字と写真を追う刹那の目は真剣だ。


 その隣で同じように図鑑を手に取ったロックオンは、それをめくるでもなく懸命に図鑑と睨めっこしている刹那を眺めた。彼女を想うだけで生きられる、そう信じて。できればそうなれるくらい強くなりたいと、願って。





 今この瞬間が後になって輝かしいになればいいと切に願った


 











 お題はテオさんよりお借りしました。