バイト先であるペットショップから帰宅したアレルヤが目にしたものは、居間のソファーに突っ伏しながらどよ〜んとした空気を部屋中に撒き散らしている双子の片割れであった。
「・・・・・・・・・・」
それを見た瞬間両目を瞬かせたアレルヤは、まぁそのうちいつものように騒ぎ出すだろうと放っておくことにした。彼がここまで落ち込むことは珍しかったけれど、どうしたのどうしたの大丈夫!? などと騒げば余計彼の機嫌を損ねることは理解していた。
それに、彼がここまで落ち込む原因なんてわかりきっている。
(あ、だから刹那も)
今朝出会った隣の少女の奇行を脳裏に浮かべて、アレルヤは小さく苦笑を漏らした。声をかけるなりビクッ! と飛び上がった挙句動揺しまくり階段ですっ転んだものの華麗に受け身を取って脱兎のごとく逃げ出した刹那とは、そういえばここ最近顔をあわせていない。
夕食の材料がつまったスーパーの袋を机に乗せたアレルヤは、ふと目を向けたダンボールにみかんがきっしり詰まっていることに首をかしげた。妹を連れて他県へ赴任した父親からの贈り物であるそれらは、半分を隣家へ譲るはずだった。
「ハレルヤ、刹那にみかんあげといてくれなかったの?」
「あー・・・」
のろのろとこちらを向く、その顔は暗くよどんでいたものの呆けたような表情は見られない。みかんのことはしっかりと覚えているのだろう。
「やろうにも顔をあわせるたびに逃げられてよぉ・・・・やれるはずねぇーだろ」
「・・・・・」
再びソファーに顔をうずめたハレルヤを横目で確認すると、手近にあった袋にぽいぽいとみかんを投げ入れた。時計を確認すると五時をすこしまわったくらい。今ならまだ夕食の支度の邪魔にはならないだろう。
「ハレルヤ、ちょっとでかけてくるね」
返事はないが、そんなもの最初から期待していない。そもそも聞こえているのかさえわからない。重症だなぁ・・と思いながら、アレルヤは歩いて数秒のお隣の戸を叩いた。
適当にノックをして声をかけてから勝手に入る。最近、アリーはこれをやったら少し怒るようになったが、昔からの癖なのでどうにもやめられない。そもそも始まりは刹那がわざわざ玄関まで行くのが面倒、と言ったことからで、さすがに女子高校生になってその無用心さはどうにかしたほうがいいんじゃないだろうか。
「刹那、お届け物」
「っ、アレルヤか」
台所で夕食の支度をしていたらしい刹那は一瞬ビクッと身体を震わせたものの、アレルヤの顔を見るなり安堵の息を吐いた。
「うわ、すごい量のみかん。親父さんからか」
「うん、今年は豊作で安く売られてたんだって。そうそう、ソーマが高校決めたらしいよ。奨学金を利用して、こっちの学校受けるみたい」
「本当か!? じゃあ来年は一緒に通えるといいな」
仲の良かった妹の近況を伝えると、刹那は嬉しそうに目を細めた。みかんの袋を置いて、手伝うよ、と彼女の隣に立った。どうやら今晩はシチューらしい。
トントン、と包丁が軽快な音をたてる。しばしの沈黙がわずらわしくないのは、長年幼馴染をやっているからか。けれどあえて、アレルヤはその沈黙を破った。
「刹那、ハレルヤとなにかあった?」
沈黙は答えだ。飛び上がりはしなかったが、ぼとりとにんじんを落とした刹那は明らかに動揺している。
「・・・・何も」
「でも、避けてるよね」
「っ! ・・・・すまない」
謝罪すべきはハレルヤであって自分ではないのだけれど、混乱している刹那に追い討ちをかけるような非道な真似はしない。不器用だな、と思う。刹那だけでもない。ふたりとも、本当に不器用だ。
「何かあったわけじゃない。何もなかったんだ。ハレルヤは、何も悪くない。悪いのは、何かあったのは・・・・俺のほう、だから」
「刹那」
アレルヤは口元に人差し指を当てて微笑んだ。その仕草を、刹那はわからない、というふうに首を傾げる。
「最近、ぼくは耳鼻科に通っていてね」
唐突に、わざとらしく嘘をついた。
「よほど大きな声じゃないと、何も聞こえないんだ。だからもし、刹那が小声で独り言を言ってもぼくにはなにも聞こえない」
刹那がハッと目を見開く。ためらうように視線を手元のにんじんとアレルヤの顔にさまよわせている刹那に笑いかけて、アレルヤはじゃがいもの皮むきに取り掛かった。
「・・・・わからないんだ」
たっぷり十分は経った頃に、か細い声が響いた。
「気付いてしまったら、もう、戻れなくて」
「今まで俺はどんな顔をしてあいつの隣に立っていたんだろう」
「どんなふうに笑っていたんだろう」
「それがわからないままだと、なんか、変なことしてしまいそうで、怖くて、避けた」
うっかり漏れてしまいそうになったため息をアレルヤは口内でしっかりと噛み砕いた。怖い、なんて。なにが? 嫌われることが? ありえない。幼少の頃から慈しんで、愛でて、共に過ごしてきた少女を、自分たちが嫌うはずがない。
昔は4人だった。そこからソーマが抜けて3人になって。ずっと一緒にいて。一緒に笑って、けんかだってして、たまに離れかけたけど、それでも結局3人でいた。きっと、これからも。
(どうして気付かないのかな)
刹那が、ハレルヤが隣にいるのを当然と思っているのと同じように。
ハレルヤも、刹那が隣にいるのを当然だと思っていることに。
「刹那」
にんじんもじゃがいもも切り終えて、シチューはルーさえ入れればもう完成だ。壁際の時計を見れば、そろそろ退散しなくてはいけない時間になっていた。
「言ってみないとわからないことってあるよね。言わなくてもわかっているんだろうなんて、思わないほうがいい」
きょとんとこちらを見つめる刹那に、今アレルヤが与えられる精一杯のアドバイス。じゃあね、と手を振って扉を閉めた、その隙間から見えたのは微笑みだった。言葉は聞こえなかったけれど、彼女の唇は確かにありがとうと囁いていた。
後はもう当人たちの問題だ。アレルヤにできることはないもない。これ以上のおせっかいをしては馬に蹴られてしまいそうだ。
(刹那、ハレルヤ、ぼくはね)
ふたりが幸せならばいい。アレルヤにとって、ハレルヤは大切で、刹那も大切な少女だ。大切すぎて、この関係に名前がつけられないくらい。だから、ふたりが幸せになってくれればそれでいい。寂しいなんていわない。きっと恋人になっても、ふたりは当然のようにアレルヤ、と呼んでくれるだろうから。
「ソーマが受験に受かって、こっちにくるまでにはなんとかなってればいいんだけどなぁ・・」
自分と同じくらい刹那を大切にしている妹が、決してハレルヤと刹那の仲を快く思っているわけではないと知っているアレルヤは、どうしたものかと悩みながら帰路に着いた。
What will be,will be
お題はテオさんよりお借りしました。