旅行に行こうか、と臨也さんは言った。


 真に遺憾ながらも第三者の目で見るとぼくの彼氏と称するのが相応しいらしいこの人は、大変残念なことに有言実行な人だった。この人の言動の80%は頭だいじょうぶですかと尋ねたくなる内容なのでたいてい無視するか放置するかしているだけれど、夏の暑さにまいっていたぼくは今回の発言に対して適当に「あー、いいですね、旅行」と言ってしまった。その結果、今ぼくらは北海道にいる。


 「でっかいどー」


 北海道の地を踏んだのならば言わなくてはいけない気がしたのだ。


 忙しそうに行きかうビジネスマンやぼくらと同じ旅行者らしいお姉さんたちが、ぽかんとあほみたいに空を眺めているぼくを一瞥して、すぐに興味を失うか自分のすべきことを思い出したのかさっさと去ってく。夏休みという学生にとって嬉しい楽しい期間を満喫しようと思った人はぼくら以外にもかなりいるようで、空港は若者や家族連れで溢れかえっている。


 「うわ、やっぱりかなり涼しいね」


 がらごろと旅行用カートを押しながら臨也さんがぼくの隣に立つ。臨也さんの意見には激しく同意するけれど、あなた、東京にいた時も同じコート着てましたよね。


 今回の旅行は一泊二日の質素なものだ。行き先から宿泊先まで全て臨也さんが手配したものだから、てっきり一週間くらい行こうかなんて横っ面張り倒したくなる計画を練られるかと思っていたぼくは少々拍子抜けした。その旨を伝えると、臨也さんは苦笑しながら「だって君はまだ学生じゃないか」と至極まっとうな回答を返した。この人に常識があったことは今世紀最大の発見じゃないだろうか。


 「じゃ、とりあえずホテル行こうか。観光するのに、オマケ付きじゃ動きにくいからね」


 オマケ、のところで臨也さんはカートを指差した。ホテルは空港の近くをとったらしい。観光し終えて帰る時に、荷物と空港が近い場所にあったら便利だからだと言っていた。あと『俺と君の初旅行にふさわしい場所にしたよ!』と言っていたけれど、この世界にぼくと臨也さんに相応しい場所が、あの池袋以外のどこにあるというのだろうか。


 ホテルは本当に近くて、交通機関を使わずに親から授かった自前の足でたどりつくことが出来た。とりあえず、ものすごく高級っぽい外装をしていないことに感謝。臨也さんはともかく、ぼくは身の丈にあった場所で寝泊りをしたい。高校生の分際で彼氏と外泊旅行している時点で分相応という言葉にそっぽ向かれていたとしても。


 臨也さんが赤の他人用営業スマイルでチェックインを済ませている間に、フロントの天上に飾られている無駄に豪華なシャンデリアを眺めて時間を潰す。別に臨也さんの方向を眺めていると、臨也さんに突き刺さりそうな視線を向けているお姉さん方やちょっとでも会話する時間を延ばそうとやっきになっている受付嬢が視界に入ってくるからではない、決して。


 「ただいまー」


 「お帰りなさい。何号室ですか?」


 「506号室。六階だってさ」


 エスカレーターもあるけれど、さすがに五階分乗るのは手間がかかるので必然的にエレベーター乗り場へ向かう必要がある。よっこいしょ、と爺臭く(ぼくの場合婆臭く、だなあ)腰を上げると、臨也さんがにっこり笑いながら手を差し出してきた。


 「・・・・・なんですか、その手」


 「迷子になると困るからね。手、繋ごうかと思って」


 笑顔で嘘をついてくる臨也さん。たしかに人は多いけど、この歳で迷子になるほどぼくは馬鹿じゃない。お断りします。そう言ったのに臨也さんは強引に手を繋いできた。抵抗として力いっぱい爪を立ててみたけれど、脳みそがとろけてる臨也さんは痛覚を遮断しているのかもしれない。


 バカップルを続行したままエレベーターに乗り込んだときは、このまま死んでしまえるかと思った。しかしそうなるとぼくの死体は臨也さんと手を繋いだままということになる。死後も恥をかくことになってしまうのは避けたいので、ぼくは死ぬのを我慢した。


 臨也さんが手配したのは当然のように一部屋だった。これでダブルベッドだったら今すぐ東京に帰っていたけれど、ぼくの杞憂だったようで部屋はツインベッドだった。それでもまだ貞操の危機はついてまわるので釘を刺さそうと臨也さんを見たら、予想していたのか彼は肩をすくめて「安全は保障するよ」と言った。


 「卒業まで手を出さないって約束したしね」


 「意外です。守る気あったんですね」


 「心外だな。俺は約束を守る男だよ?」


 「寝言は寝てから言ってください」


 窓際のベッドに荷物を置いて陣取る。ベランダからは少し遠くのほうに海が見えた。さすがに水着は持ってきていないので、できてせいぜい砂浜を歩く程度だろう。それでも東京と比べると格段に綺麗な海なので、間近で見てみたいという気持ちを抑えきれない。


 「臨也さん。海行きましょう、海」


 「いいけど、明日は無理だから行くなら今日だね」


 「明日は何するんですか?」


 「ラベンダー。今がちょうど見頃なんだってさ。場所がちょっと遠いから、明日は慌しくなるよ」


 旅行なのに慌しいとはいかがしたものかと思ったけれど、今が見頃だというラベンダーは素直に見たいので黙っておく。北海道のラベンダー畑はけっこう有名だ。ネットでも綺麗だったとカキコミされていたのをよく見かけた。


 「とりあえず海行ってー。その前にちょっとあたりをぶらついてみようか。小腹もすいただろう?」


 「まあ否定はしませんけど、今時の女子高校生ほど摂取カロリーに厳しい生き物はいないので、そこのとこ考慮してくださいね」


 「いやいや、帝人くんはもっと太ったほうがいいよ。主に胸とか」


 「死んでください」


 人のコンプレックスを的確に指摘してくる不埒者に枕を投げつけてぼくは部屋を出る。財布兼荷物持ち兼恋人である臨也さんはどうせすぐに追いかけてくるだろうから気にせず廊下をガンガン突き進む。


 「帝人くん、何が食べたい?」


 「摂取カロリーが低くて美味しいご当地グルメ」


 「摂取カロリー云々はまあ置いとくとして」


 無視しちゃいけない部分を軽やかにスルーして、臨也さんは笑った。


 「甘いもの、食べたくない?」

















 臨也さんが案内したお店のアイスは悔しいことに文句なしの美味しさだった。これで観光客用の中途半端な味だったら思いっきり嫌味言ってやろうと思っていたぼくの計画は粉々に打ち砕かれたわけだ。


 「美味しいね」


 「・・・・・そうですね」


 「もっと素直に喜ぼうよ。せっかくの可愛い顔が台無しだ。でも安心して。どんな顔の帝人くんでも俺は愛してるから!」


 「はいはい、よかったですねー」


 人目を憚らない台詞に周りのお客さんがぎょっとした目でぼくらを見るけれど、の程度のやりとりは東京で慣れっこになってしまっているぼくは今更なんにも思わない。感覚はマヒしていくものなので。


 ぼくが注文したのは人気メニューだと言うベリー系の果物が詰め込まれたアイスクリームパフェ、臨也さんはコーヒーと昭和に天皇陛下のために作られたという名高いバニラアイス。乳脂肪16%でかつてないタイプのアイスクリームって書いてあったけれど、美味しいのだろうか。


 「臨也さん、それ、美味しいですか?」


 「美味しいよ。食べてみる?」


 はい、と臨也さんが一口にすくったアイスをスプーンに乗せて差し出す。もらえるものはもらっておく主義なので、ぼくは躊躇なくそれにパクついた。ん、確かに美味しい。


 なぜか臨也さんが気持ち悪いくらい相合を崩し、周囲からどよめきが漏れた。特に気にしないけど、ひそひそと指差されるのは気に入らない。動物園の動物の気分が少しだけわかったような気がする。


 「帝人くんってさー」


 「なんですか?」


 「なんやかんやで、俺のことすごく好きだよね」


 真夏の直射日光下に放置されたアイスクリームくらいでれでれな顔をさらす臨也さん。さすがにちょっと引いたけれど、まあ臨也さんなので仕方ないとする。承知の上で彼女やってるし。


 「・・・・・そうですね」


 まあ、彼女やるくらいには。うっかりとはいえ一緒に旅行に行くくらいには。強引に繋がれた手を振り払わないくらいには。仕方ないとはいえ同じ部屋に宿泊するくらいには。気にしないとはいえアーンって同じスプーンでアイス食べるくらいには。


 「まあ、否定しませんね」


 直接言ってやるようなことはまだ、できそうにはないけれど。





   











 お題は風雅さんよりお借りしました。