ふと聞こえた声に目線を下へと向けると、誰もいないはずの旧校舎の裏に一組の男女が立っていた。誰も近寄らない建物の、さらに人気のない裏側で男女が行うことなんてたかがしれてる。本来なら見ないふりをしてその場から立ち去るのだが、それをしなかったのはその男女に知り合いが、ややくせのある黒髪に人目を引く褐色の肌をした少女がいたからだ。
ティエリアがぼんやりと見下ろす中、顔を真っ赤にさせた男がしどろもどろで少女に『告白』をした。それはまりにも型にはまりすぎていて、このまま告白の例文として使えるような、そんなありふれた台詞を鼻で笑った。自分なら、もっと上手く伝えるだろう。
「すみませんが、俺はあなたとは付き合えません」
これまた例文として使えそうな台詞で断った少女は、表情を暗くした男を一瞥すると踵を返してその場から立ち去った。
ティエリアもそれだけ確認すると、さっさと窓から離れた。
下から感じた、射抜くような少女の視線から身を隠すかのように。
「邪魔する」
ノックと同時に入ってきた侵入者にティエリアは眉をひそめて舌打ちした。ノックも「邪魔する」の言葉もなかった昔と比べたら、これでも成長したほうなのだろうが、ノックと同時に入ってこられたのでは返事をする暇がない。
「返事を待て、といつも言っているだろう。声と同時に入ってこられたら返事が出来ない」
「わかった。次は善処する」
全く反省していないような表情で答えた侵入者、刹那にティエリアはため息を吐いた。善処する、なんて今時の若者は意味すら知らないだろう。どこでそんな言葉を覚えてきたのやら。そして使うのだったら行動しろ。
「兄さん、英和辞書持っていないか?」
「そこの本棚にある。だが君専用の辞書を買ったと思ったが」
「ネーナに貸したまま返ってこない」
「・・・・明日返してもらって来い」
「ネーナは借りたということすら忘れているのかもしれない」
薄く笑ってそう言う刹那にティエリアは眉をひそめた。無口な彼女に友人関係はそう広くない。だからこそ、そんな友人を作るなとは言えない。
「あぁ、そういえば、今日の放課後」
「なんだ」
「兄さん、覗いていただろう?」
刹那が本棚から辞書を探すのに夢中でこちらを見なかったのが幸いした。動揺して手に持っていたペンを落とした姿など見られたくない。
「・・・・・偶然見えただけだ」
「なんだ、つまらない」
「・・・・・覗いて欲しかったのか?」
「別に。兄さんじゃなかったら殴っていた」
さらりと物騒な台詞を口にした刹那に苦笑しながら「英和辞書、こっちにあったぞ」と机の上に放置してあった辞書を投げ渡す。受け取った刹那が「本棚にあるって言ったくせに。嘘つき」とぼやいたのは無視。
「なぁ、それだけか?」
「なにがだ」
「俺が告白されて、言うことがそれだけなのかってことだ」
「・・・・何を言えと?」
苦々しく吐き捨てる、その言葉は震えてはいなかっただろうか。刹那が告白された事なんて今までに腐るほどあったし、その場面をティエリアが目撃した事もまた、腐るほどあった。だが、もはや日常と化していたその光景に刹那が感想を求めたなど、これが初めてだった。
ティエリアのその台詞に、刹那はそれまでの平然とした、どこか余裕すらうかがえる表情を崩し、傷ついたような顔で乱暴に踵を返した。
「刹那」
名を呼べば、びくり、とその華奢な身体が震える。
「ぼくたちは、兄妹だ」
「・・・・いくじなし」
低い囁きと共に、バタン、と強く扉が閉められた。
「・・・それでもぼくらは、兄妹なんだ」
消えてしまいそうな音量で吐き出された呟きがひとつ、足元に落ちて砕けた。
あまりにも似ていないティエリアと刹那の兄妹という看板は、もちろん表向きのものだ。実際、二人の間にはこれっぽっちも血の繋がりはない。刹那の肌を見て分かるように、人種すら異なるのだから、周りがその事実に気付くのにそう時間はかからなかった。
ただ、幼少期を同じ孤児院で過ごし、同じ日に孤児院を飛び出した、ただそれだけの関係。
ティエリアのほうが年上だったから、二人が兄妹を名乗るようになったのは当然ともいえた。ティエリアが株で荒稼ぎした資金を使い、二人は生活してる。
問題は、たくさんあった。
けれど二人とも、気付かないふりをした。
刹那が当然のように「兄さん」と呼んだ、あの日から。
ティエリアが当然のように「妹だ」と紹介し始めた、あの日から。
二人はたくさんのものを、押し殺して生きてきた。
(そうしなければ、耐え切れない)
額に手を当てて、天井を仰ぐ。胸を焦がす感情を、どこかに置き去りにしてしまいたい。
(何も言う事がない? そんなわけ、ないだろう!)
本当なら、刹那に寄ってくる男共全員叩きのめして、二度と彼女に近づけないようにしてやりたい。その目に刹那を映すことが出来ぬよう、目玉をくりぬいてつぶしてやりたい。
だけどこの感情は、『兄』であるティエリアが持つべきものではない。
『兄』という立場にいるからこそ、ティエリアは刹那のそばにいれる。
『兄』という立場にいるからこそ、ティエリアは刹那に何も言えない。
苦悩をあらわすかのように、ため息がひとつ、ティエリアの唇からこぼれた。だけどそれすらも、『兄』には相応しくない。
悩む事すら相応しくない。ティエリアは眼鏡を外すと、そっと瞳を閉して。
胸に渦巻く炎が全て燃やしてくれればいい、と静かに願った。
紡がれてゆく未来に貴女の姿があったならば、
ただそれだけで幸福でいられたのに
(この想いも全て、灰に還ってしまえ)
お題は風雅さんよりお借りしました。