逃げたかったわけではない。拒みたかったわけではない。
言い訳にしか、ならないけれど。
コンコン、とひかえめにノックされた扉に今行く、と声をかけると、刹那は夕食の支度をしていた手を止め、玄関へと向かった。
「おつかい、ご苦労様。ちゃんと買えたか」
「あ、うん。買い物は出来たんだけど・・・」
歯切れの悪い返事を返す少年に、刹那は首をかしげた。よく見れば、少年の後ろに誰かいる。
「ん? 客人か・・・?」
どなたですか。そう声をかけようとした時だった。
「刹那」
何度も聞いた、そしてもう聞くはずのないその声に身体が硬直した。この声を忘れるはずがない。だけど、だけど。
「ライ、ル・・・・・」
「やっと見つけた、刹那」
2年前と何も変わっていない姿で、ライル・ディランディがそこに立っていた。明るいブラウンの髪も、綺麗な翠玉の瞳も何も変わっていない。
思わず、刹那は。
「ひ、人違いだ!」
叫び声を上げて勢いよく扉を閉めた。
そりゃないだろ! という声が辺りに響き渡ったのは言うまでもない。
「で、どういうことなのさ、刹那?」
今でこそ落ち着いてソファーに座っているが、あれからしばらくの間、玄関先では恥ずかしいやり取りが繰り返されていた。刹那は恥ずかしくてまともに少年の顔見ることができない。
「このおにーさん、刹那の知り合いってことでいいんだよね?」
「・・・・もう会うこともないと思っていたけどな」
ため息を漏らしながら、刹那は少年の質問に答えた。その答えに、黙ってコーヒーを(少年が淹れてくれた。刹那は落ち着いてコーヒーを淹れられるような状態ではなかったので)飲んでいたライルが眉を寄せた。
「俺はしつこいんだってこと、忘れてたな」
「まさか2年もずっと捜し続けているとは思ってなかった」
「逃げた刹那が悪いんだろ」
ライルの指摘にばつが悪くなった刹那はそっぽを向いた。刹那は説明してくれないと判断した少年は「どういうことさ、おにーさん?」とライルに説明を求めた。
「このおねーさんがな、仕事が終わったとたん、仕事仲間どころか婚約者である俺にさえ何にも言わずに勝手にどっかに行っちゃったってことさ、少年」
「うっわ、それは刹那が悪い」
「だろー。おかげで捜し出すのに2年もかかっちまった」
「ライル!」
勝手に意気投合している2人に刹那は声を張り上げて抗議した。いや、ライルの説明は間違っていないのだが。
「なんで」
絞り出した声はかすれていて、今にも泣き出しそうだった。
「俺なんかを、選んだんだ」
その声に場の雰囲気を読んだ少年はライルに「後はよろしく。事のいきさつは明日訊きに来るから」と耳打ちして帰っていった。それを見届けたあと、刹那はライルを見つめた。
「俺なんか忘れて、平穏な生活を始める事だって出来たはずだ」
「そこに刹那がいないのなら、何の意味もないさ」
「だって、俺は!」
さらりと返したライルに刹那は動揺して声を張り上げた。
「お前の両親を、妹を、兄を・・・・・殺したのは俺だ。そんな俺が、お前と一緒にいて言い訳がない。お前の」
家族になっていいわけがない。囁くように言葉を吐き出したとたん、刹那はライルに抱きしめられていた。
「あのさ、俺が何のためにそれを贈ったと思ってんだよ」
ちゃらり、と刹那の胸元で鎖につながれた指輪が揺れた。同じものがライルの胸元で揺れている。デザインも全く同じそれは、ライルから贈られたものだ。指輪を贈られる意味くらい、刹那だってわかっている。
「俺は刹那となりたいんだ。他の誰のもない、刹那と。全部終わったら正式に申し込もうと思ってたのに、勝手にどっか行っちゃうしさ。ほんと、計画狂いまくりだ」
「ライ、ル・・・・」
「俺の言いたいこと、わかるか?」
こてん、と首を傾げると、ライルはまだろっこしそうにため息をついた。刹那を抱きしめていた腕を離すと、改めて刹那と向かい合う。
「俺と結婚してください」
呆然とする刹那の胸元から指輪を取ると、ライルはそれを刹那の左手の薬指にはめた。
「嫌、か?」
怖々と、まるで怒られる事を怖がる子供のようにライルが尋ねてきた。刹那はがし、とライルの両頬を両手で掴んだ。ライルが驚いて瞠目したが、当然のごとく無視をして。
「こんな俺でよければ」
にっこりと微笑んで、触れるだけの口付けをライルの唇に落とした。
「結局はめでたしめでたしってこと、ライル?」
「ま、そうなるかなー」
窓の縁によりかかりながらそう問いかけてくる少年に、ライルは幸せそうに笑いながら答えた。刹那が世話になっているというお隣さんへの紹介は先ほど済ませた。かっぷくのよい奥さんから結婚祝いだと大量に野菜をもらい、刹那はそれをしまうのに大忙しだ。ちなみにライルはサボっている。
「まぁ、一応は祝辞を言っておくよ。おめでとさーん」
「ありがとうございます。一応って何だよ」
「いや、刹那相手だと苦労するなと思って」
「もう充分経験済みだって」
「そっかー」
のんきに楽しくおしゃべりをしていたら、家の奥から手伝え! という怒声と共に野菜が飛んできた。危機を感じた少年はさっさと逃げてしまった。ちくしょう、裏切り者め。
「刹那ぁー、もらいもんのかぼちゃを投げるのはやめようぜ。つかよく投げれたよな、かぼちゃなんて」
「そう思うのならさっさと手伝え。まだまだ山のようにあるのだから」
「はいはい」
返事をしたものの、ライルはエプロン姿で家事に勤しむ刹那の背後に忍び寄り、そっと抱きしめた。ふわり、と2年間前と何も変わらない甘い香りがする。
「刹那、俺今すっげぇ幸せだから」
「そうか」
俺もだ、ライル。かすかに頬を染めて返した刹那がどうしようもないくらい愛しくて、ライルはその紅い唇に吸い付いた。
これが、自分が2年間捜していた幸せなのだと実感しながら。
もういちど出逢わせては貰えませんか
お題はas far as I know さんよりお借りしました。