目の前に所在なさげに立っている少年の名はなんだったか、静雄は脳みそをフル回転させてかれこれもう五分くらい考えているのだけれどいっこうに思い出せない。都市伝説になっている黒ライダーの友人宅で自己紹介されたときの、外見に合わないやたらとごつい名前だなという感想までは記憶しているのに、肝心なものがすっかり出てこない。


 「静雄さん?」


 自分も見つめたまま微動だにしないことを不審に思ったのか、少年がことりと首を傾げる。その仕草がなんだか小動物を連想させて、静雄の口元が無意識に緩んだ。


 「えーと、もうちょいで思い出すんだけどな・・・」


 あーとかうーとか唸っていると、さすがに静雄がどういう状態か察したらしい。少年は苦笑しながら「竜ヶ峰帝人です」と名乗った。


 「漫画みたいな名前でインパクトだけはありますから、忘れられるなんて初めてです」


 「わりぃ」


 「いえ、気にしていませんよ。少し新鮮で面白かったですから」


 くすくすと、本当に心の底から面白いというふうに笑っている帝人を、静雄は奇妙な生き物を見るような目で眺めた。池袋に住んでいるのだ、静雄の噂くらい聞いたことはあるだろう。けれどこの少年は、静雄がちょっと力を込めて殴れば枯れ木のように吹っ飛んでしまうだろう少年は、静雄の前で無防備に笑っている。怖いことなどなにもないのだと言わんばかりに。


 変な奴、と静雄は声に出さず呟いた。自分やその友人もけっこう変人だという事実は棚の上に投げ捨てて。


 「・・・あの、静雄さん。今って暇ですか?」


 何か考え込むようなそぶりをみせた後、言いにくそうに帝人が尋ねた。日曜日のまだ太陽が沈むまで何時間もあるような時間帯、年中無休の取り立て屋を生業としている静雄にしては珍しいことだが、リストの名は半分以上取り立てが完了しており、仕事は終わったに等しかった。だからこそ、こうして何もない公園でタバコを吸いながらのんびりしているのだ。


 その旨を伝えると、帝人は一瞬顔を輝かせ、しかし次の瞬間には再び言いにくそうに眉を寄せている。


 「静雄さんに手伝ってもらいたいことがあるんですけど・・・・」


 「いいぞ」


 あっさりと承諾した静雄に帝人がへ? と間抜けな声を上げる。セルティの友人に悪い奴はいないという何の根拠もない確信が理由だが、あながち間違っていないと思う。


 「で、俺は何をすればいい?」


 「えーと、そうですね、まずは僕の話を信じてもらうところからでしょうか」


 妙な台詞に静雄が眉をひそめる。追求しようとした静雄を遮るように、帝人が爆弾を、落とした。


 「未来が視えるって言ったら、信じます?」


 静雄は無言だった。帝人も無言だった。静雄は内心で「あれ俺の耳おかしくなったか耳鼻科でも行くかっていうか未来が視えるってこいつ電波な奴だったのか」とかなんとか、帝人に聞こえていたのなら名誉毀損で訴えられそうなことをつらつらと述べていた。有体に言えば酷く混乱していた。


 「・・・・静雄さん、信じてませんね」


 「・・・・いきなり信じろってのが無理だろ」


 辻斬りの犯人が妖刀ですと言われて信じた静雄だったが、今回ばかりは少し無理がある。第一、目の前の平々凡々な少年と予知なんて非日常的な単語がうまく結びつかない。


 そんな静雄の心境を悟ったのか、それとも疑われるのには慣れているのか、帝人は仕方ありませんねと薄く笑うと、目を伏せた。


 「そうですね・・・・・・・静雄さん、今から53秒後にそこの植え込み右斜め下45度を全力で殴ってください」


 わけがわからない指示に首を傾げるものの、とりあえず静雄は帝人が指差す場所を見据えて拳を構える。帝人が指差したのはそこそこの大きなの樹木を綺麗に駆り揃えた植え込みで、静雄が全力で殴ったらぼっきりと折れてしまうだろう。


 「いいのか、これ。絶対に折れるぞ」


 「大丈夫です。折れませんから」


 何を根拠にしているのか、帝人はきっぱりと笑顔で言い切った。静雄は半信半疑、帝人が数えるカウントダウンがゼロになった瞬間、思いっきり拳を振り下ろし。


 「みっかどくーぼべらっ!」


 突如として植え込みから出てきた臨也の顔面に拳がめり込んだ。


 「・・・・・・」


 「・・・・・死にましたかね。あ、駄目だ。生きてる」


 何度か地面にぶつかってバウンドしながらものすごい勢いで吹っ飛んでいった臨也を唖然と見つめる静雄とは正反対に、どこか冷めた瞳で臨也を一瞥した帝人はちっと軽く舌打ちをすると、突然静雄のバーテン服の裾を握り締めて歩き出した。


 「残念ながら鼻の骨と肋骨を骨折して全身に擦り傷を負っただけでぴんぴんしているので、面倒なことにならないうちにここを離れましょう。臨也さん、あと5分と18秒後に目覚めて追っかけてきますよ」


 早足で歩道を急ぎながら帝人が悔しそうな顔をする。そういえば彼は臨也に酷く気に入られてかわいそうだとセルティが話していたが、ここまで苛ついていたのか。


 「それで、僕の話は信じていただけたでしょうか」


 もういいか、と公園からずいぶん離れた路地で帝人が立ち止まる。首をかしげてこちらを見つめる帝人に、静雄は状況を把握できていないものの頷くしかなった。














 「いつから視えるのかって?・・・・そうですね、物心ついた頃にはもう視えていました。小学生の頃、担任の先生が事故で死ぬ未来を視ちゃって。あれはトラウマ決定ですよ。知り合いが車に押しつぶされてミンチになる瞬間が否応なしに視えるんですから」


 「原因? 血筋らしいですよ、母親の。や、うちの両親はいたってふつーなんですけど、母親の家では時々出るらしくて」


 「うーん・・・便利かどうかって、難しい質問ですね。たぶん静雄さんが思っているほど、使い勝手がいいものじゃありませんよ」


 「ほかに誰が知ってるかって? 両親以外はほとんど知りません。言ったって信じてくれませんし。そうですね、静雄さんが初めてかもしれませんね、自分から話したのは」


 「悪用? さあ、考えたこともありません。別にバイト代と仕送りで充分生きていけますし。あ、静雄さん次あの子ですよ。とりあえず三千円ほどお願いします」


 帝人が指差したのは栗毛の馬で、緑の芝生の上をぱっかぱっかと闊歩している。質問する口を一旦閉じた静雄は手持ちの雑誌とその馬の名称を照らし合わせると、こちらを物珍しげに見やる中年男性や女性の群れを掻き分けて販売所へ並んだ。


 静雄が今どこでなにをしているのかというと、一生足を踏み入れることはないだろうと思っていた競馬場で馬券を買っている。もちろん静雄の意志ではなく、驚くことにこれが帝人の言う『頼み事』であるからだ。


 「買ってきたぞ」


 「ありがとうございます。ちょうど始まるみたいですよ」


 フィールドを一望できる場所で柵に寄りかかっていた帝人の隣に戻ると、タイミングよくレースが始まった。帝人が指名した馬は圧倒的な速さで駆け抜け、堂々の一位をもぎ取った。


 「あ、勝った勝った。そこそこ稼ぎましたし、引き上げましょう。静雄さん、お腹すいてませんか? お礼に何か奢りますよ」


 「いや、いい。生活費入った財布落としてスッカラカンなんだろ? 金が入ったとはいえ、節約しとくべきじゃねえのか」


 でも、と食い下がる帝人の手を引いて無理矢理出口へと向かう。一気に大金を賭けずに少しずつ増やしていくのが帝人のやり方で、時間はかかったもののそこその金額を手にすることが出来た。


 なんでも一週間前に今月のバイト代と仕送りの金を入った財布をどこかに落とし、町中あっちこっち捜したものの見つからず、仕方なく『最終手段』を使うことを決意したのが今日の朝。


 その『最終手段』というのが、未来を視ることができるというなんともギャンブラー泣かせな裏技で金を稼ぐことなのだが、未成年である帝人がギャンブルに手を出すことは法律上不可能であり、かといって成人した知り合いがいるわけもなく途方にくれていたところに静雄と会ったのが今日の午後。


 「真っ先にセルティさんが浮かんだんですけど、よく考えなくてもアウトですし。新羅さんは急患で出かけてしまって不在で、遊馬崎さんや狩沢さんにでも頼もうと思ってたんですけど、おふたりともなかなか見つからなくて」


 「あー・・・・なんつーか、お前漫画並みについてねえな」


 全財産が入った財布を落とすなど、今時漫画でもベタ過ぎて滅多にお目にかかれない。漫画ではありえないだろーと笑うシーンだが、実際に同じ目にあっている人を目の前にすると気の毒すぎて笑えない。なんかもう、神様とか仏とか運命とかそんな感じのものに見放されているのではないだろうか。


 「だから本当に助かりました。ありがとうございます」


 競馬場から歩道へと向かう階段の途中、帝人が立ち止まってぺこりと頭を下げる。素直に感謝された事がなんだか気恥ずかしくて、静雄は誤魔化すかのように帝人の髪を乱暴にかき混ぜた。


 「苦労してんだな、お前」


 「そうでしょうか? なんだかんだで今回は事無きを得ましたから。たぶんこれからも食べていくには問題はないんでしょうね」


 帝人は自嘲気味に笑って、己の瞳を指差した。それが何を意味するのか、わかってしまった静雄は無意識のうちに一歩後退る。


 「お前、それを利用して金持ちになろうとか、偉くなろうとか思わねえのか」


 悪用しないのか、と尋ねた時、彼は考えたこともないと言っていた、だからおそらく、この質問の答えも似たようなものだろう。けれど静雄は何故か、気付けばそんな意味のない問いを投げかけていた。


 それを聞いた帝人は、その大きな瞳を瞬かせて、静雄が予想したのとは若干異なる答えを唇に乗せた。


 「しませんよ。だって、割に合いませんから」


 重労働もいいとこです、と帝人は唇を尖らせる。その意味がわからなくて、静雄はサングラス越しに視線で続きを促した。


 「一見万能っぽいですけど、少し先の未来までしか視えませんし、なにより疲れます。こんなふうにぽんぽん連発していいようなものじゃないんですよ」


 そう言われて初めて、静雄は帝人の顔色が若干悪くなっているのに気がついた。額に浮かんでいるのは人ごみが原因ではありえない脂汗だろう。大丈夫か、と声をかけると明らかに無理をした笑顔でなんでもない、と答えられた。


 「それに、お金持ちになったってつまらないじゃないですか」


 世の中の人間の大半が欲しがっているものを、帝人はなんてことはないようにつまらない、と言ってのける。


 「そこに僕の大好きな非日常はありません。お金で作ることはできるでしょうけど、そんなもの、池袋に溢れているそれらに比べたらただのゴミです」


 陶酔したような表情で語る少年を、なにか恐ろしいものでも見るかのように静雄は眺めた。脳裏に浮かぶのは、彼を紹介した友人の言葉。


 『帝人は私たちのようなもの(バケモノ)を心の底から求めて、愛しているんだ』


 変わった子だよ、と彼女は言った。化け物である自分以上に恐ろしい、と。


 『帝人は自分が求めるもののためなら、全力を尽くす。何も恐れず、振り返らない。静雄、私はこの子が怖いよ。この子の将来が怖い』


 きっとこの子は私以上の化け物になるんだろうね、と首なしライダーはヘルメットを揺らしながらどこか自嘲気味に笑った。


 「そうですね、たぶんぼくはお金持ちになって遊んで暮らしたり、偉い人になって世界を牛耳るよりも」


 止まっていた静雄の手を取って階段を降り始めた帝人が、心の底から嬉しそうに笑う。


 「こうやって静雄さんと一緒にいることのほうが、楽しく感じられるんですよ」


 瞬間、何かが胸に突き刺さった気がして、静雄はたまらずその場にしゃがみこんだ。帝人がうろたえる気配がしたが、構っていられない。熱を帯びた頬を隠すように、静雄は両手で顔を覆った。


 胸に刺さった何かは、当分抜けそうにない。





 巡り巡って辿り着いた君の言葉は僕に触れる頃にはでした














 お題はロザリーさんよりお借りしました。