相変わらずですね、と隣を歩く帝人が苦笑する。褒めているのか貶しているのかわからないその台詞が何に対してなのかわかった静雄は無言を貫き、いつものとおり胸ポケットから出した煙草をくわえライターで火をつけ・・・ようとした、そこでふと今自分がだれといるのか思い出して咥えた煙草をそのまま仕舞い込んだ。その動作を不審に思ったらしい帝人が首をかしげるのが視界の隅に映って、静雄はお前がいるから、と帝人を指差した。
「受動喫煙は身体に悪いって、テレビとかでさんざん騒いでるだろ」
「いやまあそうなんですけど」
珍しく帝人が言葉を濁した。なにかが喉につかえているような、まるで歯と歯の間になにかが挟まっているような、そんなもどかしそうな顔で静雄を見上げる。
「ぼく相手にそんなこと、気にしても無駄ですよ」
その言葉の意味を理解して、以前なら理解できなかったその言葉を理解してしまって、そこに含まれている自嘲とも自虐とも諦めともつかないやるせない感情に気付いてしまって、彼が背負っている悲しみや虚しさや絶望に触れてしまって、彼が流してきた血や涙の存在を察してしまって、静雄は奥歯が砕けそうなほど噛みしめて「無駄じゃねえよ」と囁いた。
「無駄なんかじゃ、ねえだろ」
悪かった、と静雄は謝った。
「クレーンの時も、さっきの自販機も。そこのズボンが破けてるの、俺のせいなんだろ? 俺はまた、お前を殺しちまうところだった」
すでに一回、静雄は帝人を殺している。正確には『殺した』ではなく、常人なら死んでいるはずのダメージを与えたということだが、痛覚が存在するならばそんな些細なことは関係ない。静雄は帝人に大きな苦痛を与えてしまったのだ。
「ずっと謝ろうと思ってた。わるい、こんなにも遅くなっちまった」
すぐさま会いに行けばよかったのだが、仕事が立て込んでいたこともあり、また静雄自身、告げられた真相に戸惑っていた。どんな顔をして会えばいいのか、そもそも自分はまともな顔をして彼に会えるのか、静雄にはわからなかった。
決して帝人を避ているわけではないけれど、それでもまだ、静雄は帝人とこうして隣同士歩いていることに抵抗がある。『化け物』と呼ばれ続けていたのに、その単語は聞きなれたもののはずなのに、本物を目の当たりにした瞬間、自分はただの人間なのだと痛感させられる。けれどこの力はどうしたって人間には受け入れてもらえなくて、静雄はどっちつかずな自分が心の底から嫌でたまらなくなる。
もしかしたら、正真正銘の『化け物』である彼なら、こんな中途半端な自分を受け入れて、あまつさえ救ってくれるかと思ったけれど。
(こいつはそんなこと、これっぽっちも考えてねえ)
静雄など、帝人の眼中にはない。静雄の影すら、その鼓膜に映っているのか怪しい。帝人は静雄をただの『人間にしては少しだけ力が強い』人間としか、認識していない。所詮はただの人間だと。
ほんの少し、ほかの人間よりキレやすいだけで。
ほんの少し、ほかの人間より頑丈なだけで。
ほんの少し、ほかの人間より出せる力が違うだけで。
あくまで、それだけのことで。
どうしようもないくらい、静雄は人間だ。人間にしか、なれない。人間でしか、在りえない。人間としてしか、要れない。
それが平和島静雄という『人間』と竜ヶ峰帝人という『化け物』を隔てるたったひとつの、しかし途方もなく分厚い、破れないのではなく破ってはいけない壁だった。
「・・・・・たまにいるんですよね、静雄さんみたいな人」
帝人は小さく笑った。それはいつか見たような悲しそうな笑みではなく、むしろ正反対の、まるでなにか大きなことをやろうとして失敗した幼児を許す母親のような、なにかしらのハンデを背負った人間に向ける視線に近い、こちらを憐れむような微笑み。
「殺してってお願いしても断固拒否する、ぼくみたいな化け物にでさえ人権はあるって公言するような、変な人」
「変って、俺もか」
「変ですよ。人って普通、壁を越えた生き物を拒絶するものでしょう? 幽霊しかり、ネッシーしかり、リトルグレイしかり」
それなのに、と帝人は困ったように面白そうに悲しそうに天を仰いで、くすくす笑った。
「静雄さんといい、臨也さんといい、新羅さんといい、園原さんといい、正臣といい、いたって普通に受け入れているから驚きですよ。まああなたたちの場合、セルティさんがいたからっていうのも、あるんでしょうけど」
それほど変か、と静雄は首を傾げる。セルティも帝人も普通に接していたから、どこが異常なのか全く分からない。けれども静雄は、セルティや帝人と普通に接するのが異常なのなら、自分は異常で構わないと思った。そもそも異常だとか普通だとか、そんなものに拘る必要がいったい、どこにあるというのだ。
友人と接することに、異常も普通もあるはずがない。
「静雄さん、ぼくはですね」
帝人は唐突に話題を変えた。いきなりすぎるそれに何らかの意図を感じて、静雄は鋭すぎる勘から、それが決して静雄にとって気分か軽くなるような話題ではないことを悟った。
「あなたのそばにいればいつか死ねるんじゃないかと、ずっとそう思っていたんですよ」
「っ」
薄々そうではないかと思っていた事柄を事実として指摘されて、静雄は動揺を隠しきることができなかった。帝人から死ねないのだと、ずっと死にたいのだと告白されたあの日から、うっすらとした予感めいたそれが確信に変わった瞬間だった。
「だったら」
その発言はなかばヤケクソじみていた。八つ当たりのような、けれども当たっているのが帝人に対してなのか自分に対してなのかわからない、悲鳴のような声だった。今更泣きべそかくような歳でもないのに、と静雄は自分の声を馬鹿にする。
「俺が殺してやろうか?」
こんなことでしかもう、自分は彼の役には立てないのだ。
「無理ですよ」
そっと帝人が自分の左手を静雄の右手に重ね、それを自分の首へと持っていく。まるで首を絞めてくれと言わんばかりのこの状態に、静雄は自分の心臓が大きく跳ね上がるのを感じた。このまま少し力を入れれば、簡単に首を折ることができる。彼を、殺すことができる。
「ここでぼくを殺したら、静雄さんに傷が残ります。傷は痕になってずっと残ります。静雄さんは優しい人ですから、きっとその傷痕には耐えられなくなりますよ」
できないでしょう、と帝人は静雄の右手越しに力を込めた。手のひらから伝わる肌の感触や体温が生々しくて、その下に流れている血液まで連想させて、静雄は背中にじっとりと嫌な汗が伝わるのがはっきりわかった。
「首が折れて骨が砕けて肉がちぎれて血があふれて、そんなぼくの顔なんて見れたものじゃないですよ」
「・・・・・やってみないとわからないだろ」
「駄目です。それでもしぼくが死ななくても、静雄さんを不快な気分にさせてしまう」
「でも」
静雄はもう、そんなことでしか彼の役に立てないのに、それすら拒まれてしまったらいったいどうすればいいと言うのだ。化け物でもない、人間なのに人間からも嫌われるどっちづかずな静雄を帝人が利用してくれればいいと思った。あの臨也でさえ利用できなかったこの自分が帝人のためになにかできるならそれをしたいと思った、それだけは本当なのに。
「このままじゃ俺は、どうしたらいいのかわからない」
泣き声に近い独白だった。迷子の子供のように彼に縋る姿はみっともないと思ったけれど、静雄にはもうなにもわからなくなっていた。
暴力は嫌いだ。でもその暴力が彼を救うかもしれない。けれど帝人はさせてくれない。では、いったい静雄はどうしたらいい。どうしたら帝人は救われる? どうしたら静雄は救われる?
いったい誰が、化け物を救ってくれる?
「いつもどおりでいいと思いますよ」
そっと静雄の右手を離して、帝人は静雄から視線を外す。彼は前を見ていた。夕闇に染まりつつある池袋の街を、そこを忙しなくあるいは楽しそうに行きかう人々を見ている。
「静雄さんはそのままでいいです。そんなあなたに救われている人も、どこかにいるんだと思うから」
そんなあなたを救ってくれる人もどこかにいると思いますよ、と帝人は微笑んで、静雄のバーテン服の裾を引っ張って歩みを促した。静雄がいるからそんな心配はいらないのだと思うけれど、それでも外見はただの高校生である帝人に夜の池袋は物騒だ。早く帰宅できればそれにこしたことはない。
「静雄さんがさっき、ぼくに謝ってくれた時。ぼく、確かにあなたを変だなって思ったんですけど、同時に静雄さんらしくて笑っちゃいそうになったんです」
「そうか?」
「はい。やっぱり静雄さんは優しい人だなって」
目元を和らげる帝人を見て、言われ慣れないその言葉がくすぐったく、そしてなによりも嬉しく感じた。静雄は自分を優しいと思ったことはないし、優しいと思うのならそれは臆病の間違いだと思っているけれど、それでも帝人がそう言って笑うから、静雄はなんだか救われた気がした。化け物でも臆病者でも、優しいと言われて救われた気がしたのだ。
救葬
お題は選択式御題さんよりお借りしました。