からん、と半分ほどコーヒーが満たされたグラスの中で氷が涼しげな音をたてた。空調の良く効いたファミレスで程よく冷えたアイスコーヒーを飲みながらガラス越しに炎天下の中急ぎ足で歩いていく通行人を鼻で笑うという、なんとも趣味の悪い楽しみにふけっていた臨也は、ふと正面に座る少年の機嫌が急降下していることに気がついた。
「飲まないの? せっかく俺が奢るって言ってるのに」
「・・・・毒とか睡眠薬とかしびれ薬とか入ってませんよね?」
「いや、それ帝人くんが自分でドリンクバーから持ってきたやつだよね? しかも俺指一本触れてないよね? どんだけ信用ないのさ俺」
「臨也さんですから」
はぁ、とため息ひとつこぼした帝人は、ストローでじゅるじゅると行儀悪くメロンソーダをすする。信用のなさを『臨也さんですから』の一言で済ませられてがっくりきたものの、しかし胸に手を当てて己を客観的に見てみると決して非道な言葉ではないと思ったので、臨也はとりあえず不満をいうこともなく唇をとがらせるだけに留めた。
「それで、いきなりぼくを拉致った理由はなんですか?」
「帝人くんとお茶したくて」
「帰ります」
「ごめんなさい嘘つきましたお話がありますだから帰らないで」
何のためらいもなく立ち上がった帝人を必死で引き止める。体裁もプライドもかなぐり捨てた臨也に、帝人の冷ややかな視線がぶすぶすと突き刺さった。痛いイタイいたい。
「メロンソーダ一杯分、付き合います」
安っぽい革張りのソファーに座りなおした帝人は明るい緑の液体をストローでかき混ぜながら答えた。グラスの半分も残っていないメロンソーダを彼はどれぐらいの時間で飲むつもりなのか、それはおそらく臨也しだいだ。
一秒も惜しい今、臨也はさっさと本題を切り出した。
「帝人くんって、絶対俺よりシズちゃんのほうが好きだよね」
きょとん、と帝人が目を瞬かせる。その表情は確かに疑問を表してはいたが、それは『どうしてそんな(当たり前な)ことを訊くの?』といった、臨也にとってはまったくもって忌々しい表情であった。
「なんで? 非日常が好きなら、俺だってそれこそ山のように用意してあげるのに」
「臨也さんじゃ、プラマイ計算してマイナスのほうが大きいですし」
それに、と帝人はどこか恍惚とした笑みを唇の端に浮かべた。
「静雄さんのほうが素敵に非日常ですよ」
うっそりと笑う、その表情に出逢った当時の気が弱い学生の影はどこにもない。本人は気付いていないのか否かわからないが、臨也は己の背筋に何か冷たいものが滑り落ちる感覚がした。
竜ヶ峰帝人はどこにでもいる普通の男子高校生だ。平均的な運動能力と平均的な知能、平均的な背格好をした、探さなくともこの世に掃いて捨てるほどいる、ただの子供。
けれど、たったひとつ、彼だけが持っているものがある。それが彼を『ただの高校生』から臨也が惹かれてやまない者まで変貌を遂げさせる代物だ。
異常なものに対する異常なほど強い好奇心、渇望心。
他者と同一になることを好み、何よりも異質と認識されることを恐れる現代人とは大きくかけ離れた、異質に対する愛情。
(異常だね。ま、俺と普通に会話できている時点で、帝人くんも一般人のカテゴリーからはみだしてること確定だし)
言葉のひとつひとつが歪で自己中心的で最高に狂ってる臨也と会話が成立する人物など滅多にいない。紀田正臣などは露骨に顔を歪ませてさっさと会話を終了させたがる。しかし彼はまだいいほうで、たいていはどこぞの自殺願望の女性のように、臨也の言葉のひとつも理解できずに彼の餌食となって終わる。
だからこうして臨也の目を見て、言葉を聞いて、会話が成立している時点で、彼はまごうことなくこっち側の人間なのだ。
「でもさ、帝人くんも気付いているよね?」
会話が始まってから一度も口をつけていないアイスコーヒーの中で、からん、と空しく、氷が鳴った。
「シズちゃんが最も憎んでいるのが、何なのか」
その瞬間、帝人の吸い込まれそうな深い瞳にちらりと横切ったのは確かに絶望だった。
「シズちゃんがこの俺より嫌ってるのが、何なのか」
それは帝人が何よりも愛してやまないもの。
平和島静雄はバケモノじみた怪力と幼稚園児より低い沸点を除けば、おおむねその名に合う大人しい人物であった。彼は何よりも平和を好み暴力を嫌った。その点だけは、平和、静、という名に相応しい。
けれど、彼は何よりも好んでいる平和と誰よりもかけ離れている。
彼が少し力を入れれば、自動販売機が宙を飛び、ガードレールが曲がり、標識が折れ、コンクリートが砕ける。そのバケモノじみた力は持ち前の沸点の低さと合わさって、静雄が望む望まないに関わらず乱闘を呼ぶ。
何よりも平穏を望んでいた静雄にとって、それは苦痛以外の何物でもない。
「運命のいたずら? 神様のきまぐれ? なんにせよ滑稽だよね、君ら」
臨也は笑う。帝人が求めるものと静雄が望むものの、その見事なまでのすれ違いを盛大に哂う。
帝人が愛する非日常は、静雄にとって忌々しい己の敵。
静雄が求める日常は、帝人にとって退屈極まりない、すでに捨ててきた要らないもの。
お互いがお互いの欲しいものをもっているくせに、それを要らないと捨てているのだ。自分の非日常を疎む静雄は帝人の持っているありふれた平凡さを羨み、非日常を好む帝人は静雄の怪力に憧れる。けれど絶対に手が届かないと知っている。
絶望的なまでに平行線をたどっているようにしか、臨也には見えない。
「知ってますよ、そんなこと」
からになったグラスから手を離して、帝人が肩をすくめる。その声は諦めではなく、ただの事実認識にすぎない。
「だから何だって言うんですか? めんどくさいですね。そんな些細なすれ違いで悩むような繊細な精神は燃えるゴミに出してしまったんです」
「あーあ、残念。いつの間にこんなにたくましくなっちゃったのやら。池袋に来たばっかりの、右も左もわからなくて困惑してますって顔してた頃の純粋な帝人くんが懐かしいよ」
「誰のせいだと思ってるんですか」
「俺のせい? だったら嬉しいな」
臨也がにっこりと笑うと、帝人は苦虫を噛み潰したような表情のまま口元のストローまでも噛み潰した。臨也に平然と毒を吐く帝人だが、口げんかではまだまだ臨也のほうが一枚も二枚も上手だ。
「ていうか臨也さん、ぼくにこんな話するためだけに拉致ったんですか?」
暇なんですね、と帝人が盛大に毒を吐く。
「酷いな。俺は純粋に帝人くんとお茶したかったの。あと強いて言うのなら」
そのままそっと、臨也は形の良い指を帝人の顎に滑らせてそっと持ち上げる。唇が触れあいそうな距離で見つめる帝人の瞳は無感動で、恋人同士のようなこの触れ合いに何の感情も抱いていないことをありありと示してくる。
「全然俺になびかない君への、ちょっとした嫌がらせ、かな」
そうして綺麗に笑った臨也に、帝人は冷ややかにうざいですね、と吐き捨てた。
嫌がらせの至近距離
お題はas far as I knowさんよりお借りしました。