食堂に入った瞬間、ごちんと何かが刹那の額に当たった。片手で額を押さえ残った片手でその何かをつかむ。それはスメラギが酒を飲む時に愛用している大きめの氷がはいった袋だった。


 なぜこんなものがふわふわと漂っているのだろうか。まわりを見回せばスポーツドリンクだとかクリスティナと黒マジックででかでかと書かれたプリンだとか口が開いている牛乳パックだとか、冷蔵庫で保管されているはずの品々があっちこっちに浮かんでいる。


 原因はすぐに見つかった。食堂の端に設置された共同冷蔵庫。そこに頭どころか上半身までもつっこんで中の食品をぽいぽいと無造作に放り投げている女性がいた。


 「・・・・・なにをしている、スメラギ・李・ノリエガ」


 「ないのよ!」


 上半身を冷蔵庫に突っ込んだまま泣きそうな声でスメラギが叫ぶ。こちらを認識してもらっているのはいいのだがせめて質問にはまともに答えてもらいたい。あと食材を投げるのもやめて欲しい。


 「私の秘蔵のウイスキーにワイン! 全部全部なくなっちゃったのよ!」


 冷蔵庫から出てきたスメラギはこの世の終わりのような顔をしていた。あほらしいと思ったが、作戦中でさえ酒を飲む彼女がどれだけ酒を愛しているのか知っているので、刹那は本音を出さず「それは大変だな」と差し当たりのない返事を返した。


 この共同冷蔵庫で食品がなくなることは珍しい事ではない。皆が好き勝手に買ってきた食材を入れているので、誰かが勝手に食べてしまったということがあるのだ。しかし以前クリスティナが二時間並んで買ってきたという有名店のケーキをロックオンに食べられて以来、自分のものには名前を書く習慣が出来たはずだ。


 「ゴスリング社のブラック・シール・ゴールドにキルホーマン蒸留所のニュースピリッツ、それにジャック・ブリュール・シャンベルタンもあったのよ! あれ全部でいくらすると思っているの!?」


 酒の銘柄や値段など未成年の刹那が知っているわけがない。顔を覆って泣き始めたスメラギの反応からするに、とても良い品だったのだろう。


 「それにブラック・シール・ゴールドやニュースピリッツはアルコール度数が高いのよ。そんなの飲んで大丈夫かしら」


 「・・・そんなに高いのか?」


 「ブラック・シール・ゴールドは75.5%で、ニュースピリッツが63%だったかしら。ラムやスピリッツはどれもアリコール度数高めだし、ちびちび飲むのだったら問題はないけど、一気に飲んだりしたらやばいわよ」


 ま、私は鍛えてるから大丈夫なんだけどね、せいぜい二日酔いに苦しむがいいわ! と笑うスメラギに刹那はものすごく不安になった。彼女が戦術予報士として大変優秀なのは承知しているが、ごくまれにヴェーダは人選を間違えたのではないかと思う。


 (誰だか知らないが、度胸のある奴だ)


 スメラギの酒を盗むなんて。放置されている食材を回収しながら刹那はその犯人に少しだけ尊敬に近い感情を抱いた。そしてこれ以上この事件に巻き込まれないように、食品を回収する手を早めた。

















 他のメンバーはどうだか知らないが、刹那はよほどの事がない限りあらかじめ決めておいた時間に沿って行動している。食事は何時からだとか、入浴は何時から何時までだとか。もちろん就寝時間と起床時間もきっちり決めてある。最年長マイスターの寝る子は育つというアドバイスのもと、睡眠時間は多めに設定しているのだが。


 刹那はちらりと壁にかけてある時計に目を向けた。いつもの就寝時間を大幅に過ぎて、すでに日付が変わっている。苛立たしげに舌打ちをしてぽすんとベッドに倒れこんだ。シャワーを浴びていないがもう面倒くさい。明日の朝手早く済ませればいいだろうと、刹那はうつらうつらと舟をこぎ始めた。


 スベラギの酒への執念は刹那の予想を遥かに超えていた。どれだけすごいかというと、訓練や書類製作で忙しいメンバーを集めて何時間も犯人探しや酒探しをするくらいだ。巻き込まれたこっちはたまったもんじゃない。結局ラッセとロックオンが割りかんで酒を奢ることで落ち着いた。一番の苦労人はあの二人かもしれない。


 (そういえば)


 くだらない、と吐き捨てて戻っていったティエリアやブリッジの当番だといって逃げて行ったクリスティナは仕方ないとして、アレルヤの姿が見えなかったなと刹那は思い出す。温和な性格の彼が困っているスメラギを見捨てるなんてまずない。


 「まさか、アレルヤが犯人だったり・・・・」


 一瞬考えたが、すぐに頭を振って否定した。一応成人を迎えている彼は酒が飲めるが、あんな苦いものは出来れば飲みたくないと言っていた。そもそも彼が人の物を勝手にとるはずがないし、誤って飲んでしまったのなら正直に名乗り出るはずだ。


 彼を犯人だと思うなんて、今の自分はとてつもなく疲れているに違いない。刹那はもぞもぞとベットにもぐると、重力にしたがって落ちてくる瞼を閉じた、のに。


 


 扉が壊れるのではないかと思うほど大きなノックだった。来訪者はよほどの馬鹿に違いない。扉が壊れるのは困るが、いっそ手の骨のひとつやふたつ折れてしまえ、とぶちぶちと呪詛を漏らしながら刹那は遠隔操作で扉を開けた。


 「・・・・・・アレルヤ?」


 逆光のせいか、彼がうつむいているせいなのか、もしくは両方か。刹那から彼の表情を見ることはできない。だが大股でこちらに歩み寄ってくる人物は確かにアレルヤのはずだ。


 ベッドの脇に突っ立ったままの彼に座るよう促す。しかし刹那の声が聞こえていないのかもしくは無視しているのか、一向に動く気配は見られない。


 何かあったのだろうか、と刹那は不安に駆られた。彼は優しいから傷つきやすい。ベッドに座り込んだまま、刹那はアレルヤに手を伸ばした。指先が彼の前髪に触れそうになった瞬間、突然アレルヤが顔を上げた。


 金色の瞳に射抜かれて、思わず背筋が凍った。手を伸ばしたまま体が硬直する。ハレルヤと声には出さす唇だけ動かして呟いた。心なしか、金の右目が満足そうに細められた。


 (ケモノみたい、だ)


 伸ばした腕を掴まれる。触れた指先は酷く熱かった。気がつけば刹那はベッドに押し倒されていた。展開が飲めないうちにハレルヤの唇が首筋に触れた。熱い、熱い、熱い。触れる唇も、腕を掴む手も、落ちてくる吐息も。


 「刹那」


 名を呼ばれて、その声の艶に腰が砕けそうになった。同じ男のくせに、刹那には一生かけたって出せないような声を出してくるところが憎らしい。アレルヤとは違う、少し低いこの声に刹那は弱いのだ。


 うっかり抵抗らしい抵抗もできずにいるうちに、ハレルヤの唇がどんどん迫ってきていた。首筋から頬、目じり、鼻先。一瞬だけ、何かを確認するかのように瞳を覗き込まれた。


 突き飛ばせばよかったのだろうか。自分たちは恋人同士でないから、このような甘い情を交わす仲ではない。分かっているのに、刹那は拒めなかった。


 返答代わりに、ぎゅっとハレルヤの服を掴む。それだけで充分だった。


 振ってきた唇は火傷しそうなほど熱かった。


 ぬめる舌先に歯をなぞられ、隙間からねじ込むように口内に舌が入ってきた。苦しくて呼吸をすると鼻先から聞いたこともない音が漏れた。それがなんだか恥ずかしくて、刹那は頬に熱が溜まるのを抑え切れなかった。


 唇が離れた後も、細い銀糸がふたりを繋いだ。あろうことか、ハレルヤはぺろりとその銀糸ごと刹那の唇を舐めた。恥ずかしくて恥ずかしくて、今なら羞恥心で死ねると刹那は思った。


 「お前に、言いたいこと、が」


 俺はと続けた、その先は言葉にならなかった。突然がくん、とハレルヤの頭が不自然に下がったかと思うと、べちゃっと刹那を押しつぶすかのように落ちてきた。


 「え、な、ハレルヤ・・・・・」


 16歳の少年に20歳を迎えた青年の身体は重すぎる。退いてくれるよう声をかけるも返事はない。いぶかしんでハレルヤの顔を覗き込んだ刹那は一気に脱力した。


 「寝てる・・・・・・」


 すやすやとかいう音をつけたくなるくらいぐっすりとハレルヤは寝ていた。今までの甘い雰囲気はなんだったのか。刹那は握り締めた拳を必死に抑えこみ、ふと眉を寄せてふんふんと鼻を鳴らした。


 酒臭い。


 ものすごく酒臭い。


 行為に夢中で気付かなかったが、一度気付いてしまうと気になって仕方ない。アルコールを飲まない刹那はその匂いだけで酔ってしまいそうだ。少し考え込んだ後、その原因と理由について刹那は顔をしかめた。


 『お前に、言いたいこと、が』


 彼がアルコールの力を借りないと言うことができない台詞なんて、見当もつかないけれど。


 「このヘタレが・・・・」


 寝ているハレルヤには聞こえないと知りつつも、言わずにはいられなかった。せめて脳みそに残るように耳朶に触れるか触れないかの位置で囁く。


 ヘタレヘタレヘタレヘタレヘタレヘタレヘタレ。呪いかなにかのように盛大に刷り込んでおく。陰湿な嫌がらせに少し気分もスッキリした後、ふと下げた視界に酒臭い吐息をこぼす唇が映った。


 すん、と鼻を鳴らすとアルコールが鼻を通じて体内に入っていくような錯覚を覚える。あぁ、酔ったかもしれないと鈍くなった思考回路で考えた。


 (俺は酔っているんだ。だからこれは酒の勢いというやつだ・・・・)


 だからきっと、恐る恐るハレルヤの頬に手を添えたのもその唇に軽く己の唇を重ねたのも、全ては酒の勢いに違いない。





 される、熱


 (言ってやるもんか。この熱、嫌いじゃないなんて)