大粒の雨が降りそそぐ裏道をアリーは歩いていた。宿泊中のホテルまではまだ遠く、アリーは思わず舌打ちを漏らした。いつもなら車に乗って悠々と帰宅するのだが、車の手配などを担当している刹那がいないのでは、歩いて帰るしかない。
淀みなく歩いていたアリーの足が止まった。アリーの数メートル手前に誰かが立っているのだ。お互い傘を差しているせいで全身は見えないが、どうやら男のようだ。
「アリー・アル・サーシェスだな」
「ああ」
感情を抑えた低い声。投げかけられた問いに短く答えると、相手からカチャリと金属音がした。音から察するに、おそらくは銃。
「ああ、お前がロックオン・ストラトスか。千人に一人と謳われたスナイパー」
「『紅い悪魔』にそう言ってもらえるとは光栄だね」
「で、その凄腕スナイパーが何の用だ? 俺ぁむさ苦しい男なんかに用はねぇぞ」
からかいを含んだ問いに答えはなく、アリーは低く哂った。何しに来たかなんて、分かりきっている。
「俺を殺したら刹那も死ぬぞ」
「っ! お前がそう仕込んだんだろ!」
激情のままに放たれた鉛球がアリーの右隣の壁に打ち込まれた。若いねぇ、とアリーはため息を漏らした。
「お前が刹那を縛って、蹂躙して、お前なしでは生きられないようにして!」
「おいおい、とんだ言いがかりだな。俺はあのガキにそんなことした覚えはねぇぞ。あいつが勝手に縋り付いてきたんだ」
アリーの台詞に激昂しかけたロックオンは、アリーは片手で制した。
「例えそうだとしても、あいつには選択肢があった。俺なしで生きるか、俺に依存して生きるか。選んだのはあいつだぜ?」
選択肢をその二つしか用意しなかったとはいえ、刹那が自分で選んだことなのだ。アリーが責められる覚えはない。
「ったく、そんなことをわからねぇほどガキだったか、テメェは。あいつに興味持つなんて物好きもいるもんだと、せっかく好きにさせておいてやったのによ」
動揺して一歩退いたロックオンにアリーは「覚えておけ、若造」と歩き始めた。
「スナイパーが顔出した時点で、テメェは負けてんだよ」
がちゃり、と背後から銃を構える音が聞こえたが、無視して歩き続けた。どうせ弾なんてきやしない。
苛立ちのこもった舌打ちが聞こえて、アリーは心の底から愉快そうに哂った。
歩いているうちに、雨も小降りになってきた。このぶんだと明日には止むだろう。出国するにはちょうどいい。そんな事を考えながらホテルのすぐ近くまで来たとき、再びアリーの前に誰かが立っていた。傘をずらしてその姿を確認すると。
それは見知った少女だった。全身ずぶぬれで、右腕と裸足の足からは血が流れ出ている。なんとも酷い有様だった。
「アリー・・・・」
のろのろと少女が顔を上げた。両目が腫れ上がった、酷い顔を。
「俺は・・・・・まだ、アンタの隣にいてもいいのか?」
泣き出しそうな声で尋ねられた問いかけをアリーは無視した。かわりに、片手を突き出す。
「『お前』は誰だ?」
問いかけに、少女は身体を震わせた。その様子をアリーは品定めするように眺める。
「俺は、『刹那』だ。・・・・・『ソラン』は、もう死んだ」
『刹那』の瞳に強い光が宿る。あの時と同じ光が。アリーはくつくつと哂った。刹那に構い続けた、あの男を。
あの男は接し方を間違えたのだ。『刹那』に優しさや愛情を持って接してはいけない。『刹那』はそれらを知らないからだ。優しさや愛情を知っていた『ソラン』は死に、アリーは『刹那』にそれらを与えなかった。だから、『刹那』はあの男から与えられたそれらがなんだか分からず、恐怖を覚えて拒絶したのだ。
常人には理解できない理屈。だが、『刹那』にとってはそれが常識なのだ。
「行くぞ、『刹那』。もうこんなとこに用はねぇ。明日には出国するからな」
「ああ。アンタがいるのなら、どこにでも」
『刹那』は泣き出しそうな顔で笑って、そう答えた。
その言葉が、全てであるかのように。