狂っている、と言われたらそうかもしれない。
それでも、狂っていたのだとしても、自分はあの男のそばにいたい。
自分にはあの男しかいないのだから。
寝ては食べ、食べては寝るという生活を始めてもう五日が過ぎた。刹那にとってそれは退屈極まりない生活ではあったが、満足に動けない怪我人なのだから仕方がない。時折熱を出しては寝込んでいたから、自分の身体は相当弱っているのだと実感した。
刹那は窓を叩く大粒の水滴を眺めながら粥を口に運んだ。相変わらずロックオンは刹那の世話を焼いた。この粥だって、吹き零れる鍋と二時間格闘して作りあげたものだ。赤の他人になぜここまで、と刹那が尋ねても、ロックオンは笑ってごまかすだけで何も答えてくれない。その態度に刹那はますます腹がたった。
今家主であるロックオンは買出しに出かけていていない。食事を終えて暇になった刹那は慣れた手つきでリモコンを取るとテレビの電源をつけた。この五日間で刹那はすっかりこの家に慣れたのだ。
適当にチャンネルを変えて結局ニュースに落ち着いた。寝込んでいるときは新聞はおろかテレビすらも観れなかったから、世の中の動きとやらが全く分からない。
女性アナウンサーが抑揚のない声で今週の主な出来事を述べている。どこぞの人気ミュージシャンの熱愛だとか他国の政治家どうとか今の景気問題がなんだとか。ぼんやりそれらを聞いていた刹那は、アナウンサーが最後に読み上げたニュースが耳に入った瞬間、体が凍りついた。そして。
大量の食料やら日用品が入った紙袋を抱えたまま、ロックオンはアパートの階段を一気に駆け上った。一人のときは小さめの袋一つで足りた買い物も、刹那の世話をしだしてから倍に増えた。さすが成長期・・・と苦笑してロックオンは自宅のドアを開けた。
「刹那ぁ〜ただいまー」
どざどざと玄関先に買ってきた食料やら日用品やらを置く。キッチンを見ると買い物に行く前に刹那に渡しておいた粥の食器が置いてあった。どうやら全部食べられたらしい。
「刹那、大人しくしてたか?」
「・・・・ロックオン」
寝室へ行くと刹那はベッドに横たわったままだった。楽にしていていい、と言うロックオンを遮って刹那は上半身を起こした。
「お前に訊きたいことがある」
なんだよ、と答えようとしてロックオンは気付いた。彼女の周りには古新聞が散らかっている。出かける前はそんなものなかった。
あぁ、とうとう気付いたか。
「お前はこの事を知っていたのか?」
投げつけられた新聞には、一面大見出しでとある政治家のことが書かれていた。ロックオンだって知っている。だって彼は、自分にあの男を殺せと命じた人物なのだから。
「あぁ、こいつね。今ずいぶんやばいみたいじゃないか。せっかく俺らが苦労して政敵殺ってやったのに」
「ロックオン!」
ギリ、と音が聞こえてきそうなほど奥歯をかみ締めた刹那がものすごい形相で睨んでくる。当然だ。記事には、この政治家が先週遺体で発見された政治家の死に関わっているとして警察が調べている、と書かれていた。この男が調べられれば、もしかしたら自分の事もばれるかもしれない。そして、アリーの事も。
ロックオンが黙っていると刹那はふらふらとベッドから立ち上がった。慌てて、ロックオンは刹那の肩を掴む。良くなったとはいえ、彼女の傷はまだ癒えていない。無理に歩きでもしたら、傷口が開きかねない。
「おま、無理すんなって」
「退いてくれ、俺はアリーのところへ帰る。世話になった」
「はぁ!? お前自分がどういう状態かわかってんのか?」
「うるさい、俺ならもう大丈夫だ」
そんな台詞とは裏腹に、ロックオンを押し返す力は弱々しい。ロックオンは舌打ちをすると、どうにか刹那をベッドへ戻そうとした。
「あのな、殺し屋やってんならこんな事ぐらい今までもあっただろ? あの男がそれくらいで捕まるような奴か?」
「だけど、俺は・・・・俺は・・・」
アリーの傍に行きたい。刹那が呟いた言葉にロックオンは頭の中で何かが切れる音を聞いた。
「・・・・・そんなに、あの男が大切か?」
「え・・・・っ!?」
刹那の抵抗が弱まった隙を突いてベッドに押し倒す。傷口が傷んだのか、刹那が顔をしかめたが今はそんな事気にしていられない。今は優しく出来ない。
「なぁ、刹那。そんなにあの男が心配か?」
「・・・・ロック、オン・・・?」
ともすれば唇が触れ合いそうな、吐息すら感じる距離でロックオンは囁いた。そんな事、分かりきっていたのに。
「鎖でつないで、飼い慣らして、平気で戦場に送り込んで。なんでそんな男なんかに従ってんだよ」
「俺、は・・・」
答えなんか聞きたくない。刹那の口から、あの男の名前なんて聞きたくない。だから刹那の唇を自分のそれで塞いだ。舌先で歯をなぞって、薄く開かれた間から進入する。くちゅり、と音を立てるようにかき混ぜると、刹那の身体がびくりと震えた。
「なぁ、刹那。俺んとこ来ないか?」
「・・・何を言って・・」
「俺だったら、鎖なんかにつながない。傷付けない。もう人殺しなんてさせない。あぁ、それもいいかもな。俺も殺し屋なんかやめてさ、一緒に世界を見て回るんだ。きっと楽しい」
だから、俺と一緒に。触れるだけの軽いキスを刹那の唇に落とす。抱きしめた体温はとても心地よかったけれど、その身体は震えていた。
「刹那」
名を呼ぶと、刹那は身体を震わせる。その姿が痛々しくて、ロックオンは刹那を抱きしめていた腕を放した。
困惑と怯えが混ざった瞳で刹那はロックオンを見た。ロックオンは、刹那が抱き寄せた荷物からナイフを取り出して抱きしめるのを無感情に見つめた。
「俺を殺す? そしてあの男のところへ帰る?」
「っ!?」
刹那は震える手でナイフをロックオンに向けた。凶器を向けらているというのに、ロックオンの心中は穏やかだった。
「いいよ。刹那にだったら殺されても構わない。俺を殺して、心に刻み付けてくれるのなら」
薄く笑って、ロックオンはナイフを掴んだ。いくら手袋をしているとはいえ、下手に動いたら手を傷付けかねない。
「刹那の心に残れるのなら、俺は喜んで刹那に殺されるよ」
「俺、は・・・」
今にも泣きそうな顔で、今にも泣きそうな声で、刹那はゆっくりとナイフを動かした。
「俺は、鎖につながれてなんかいない!」
そう叫んだ刹那はあろうことか、自分の首筋に向かってナイフを振り下ろした。
「っ!?」
瞬時に反応したロックオンが刹那の腕を叩いてナイフの軌道をそらしていなかったら、きっと今頃二人とも血まみれになっていただろう。完全にはそらしきれなかったナイフが、刹那の首筋に赤い線を刻んだ。
「バカヤロウ! お前、死ぬ気か!?」
刹那は無言で再び自分の首にナイフを振り下ろそうとした。ロックオンは舌打ちをすると、ナイフを叩き落し刹那のみぞおちに拳を埋め込んだ。うめき声をもらして崩れ落ちる刹那の身体を優しく抱きしめる。
「・・・・あの男のために生きられらないのなら、せめて」
あの男のために死にたい。そう呟いて気絶した刹那をロックオンはそっとベッドに横たわらせた。
拒絶される事は想定していたし、されても構わなかった。だが、まさかあんな行為に出るとは思っても見なかった。
「あの男のために、か」
歩く事すらままならないほど傷ついた身体では、アリーの役に立てない。そう判断したのだろう。そしてせめて実行犯である自分が死ねば、アリーは捕まらない。そう考えての行動だろう。
「なぁ、刹那。これを鎖と呼ばないでなんと呼ぶんだよ・・・・」
生きるのも死ぬのもあの男のため。それを飼い慣らされたと言わずしてなんと言うのか。その鎖を解く事は出来なくとも、緩めてあげる事が出来れば。そう思ったのに。
眠る刹那の額に口づけすると、ロックオンは部屋に鍵をかけてその場を後にした。
大丈夫、商売道具はちゃんと持った。