ばさり、とそう広くもない四畳半の部屋に新聞紙を広げれば、先日からこの部屋に滞在している居候の整った眉がこれ見よがしにひそめられた。なにするつもり、と、わかっているくせに臨也が問う。その質問に対する帝人の答えはにっこりという擬音が背景に見える笑みだ。
「臨也さんの髪を切ろうと思いまして」
「やだ」
「拒否権なんてあると思っているんですか」
居候のくせに、と囁けばこうやって臨也が口を閉ざすということを帝人は知っていた。渋々、といったふうな顔をしているが、臨也は帝人が指示をする前に新聞紙の真ん中へイスを持って移動する。そんな察しがいいところや物わかりがいいところは、けっこう好きだ。
美容院が使っているような道具などないから臨也には百均の霧吹きに文房具用のはさみで我慢してもらい、上着は脱がせて上半身裸にさせた。すーすーする、と臨也はどこか落ちつかない様子で帝人を見上げる。
「帝人くんってちゃんと切れるの? お金ならあるんだからさあ、ちゃんとしたとこ行こうよ」
「失礼ですね、これでも昔は自分の髪を自分で切ってたんですよ。この辺に美容院なんてありませんし、そもそも臨也さん、あなた、むやみやたらと外出できないんでしょう?」
痛いところを指摘されたのか、ぷい、と子供じみた仕草で臨也がそっぽを向いた。衣類や食料の買い出しも全て、帝人がひとりで行っていて臨也がそれに付き合うことはない。その理由を、決して臨也は口にしないし、帝人も尋ねたりしないのだけれど。
しゃきん、しゃきん、と遠慮なく帝人の持つはさみが臨也の髪を切り落としていく。散々文句を呟いていた臨也だが、さすがに刃物を扱っている時は大人しい。はらはらと落ちていく髪の毛と、金属同士がこすれあう小さいながらも高い音だけが狭い部屋に響いた。
「実を言うとぼく、臨也さんに初めて会った時からもう、この邪魔でうざったくてうっとおしい髪を切りたくて切りたくて仕方がなかったんですよ・・・・・!」
だいぶ慣れてきたところで帝人が楽しそうに白状する。彼の第一印象で特に鮮烈だったのはその瞳だが、同じぐらい強烈に、ずっとこの長髪を似合わないと思っていたのだ。薄汚れていて邪魔なだけの、この髪を。
「あの頃に比べれば綺麗になりましたよねえ。最初は汚れも臭いも酷かったですし」
「ごみ山に埋まってたんだから仕方ないじゃん」
不可抗力だ、と臨也は唇を尖らせる。そしておもむろに、どこか戸惑ったような、風呂場で帝人を抱きしめていた時のそれに似た強く握ったら砕けてしまいそうな雰囲気を漂わせて、帝人の名を呼んだ。
「帝人くんはそんな汚いごみ山にいた俺の、どこが良くて拾ったの?」
「顔です」
「・・・・・即答だね」
「事実ですから」
実際に臨也は酷く整った顔立ちをしている。中性的ではないが、そこまで男らしくなく、ただのひょろいもやしっこというわけでもない、中々の美少年だ。女性でもここまで美しい者はそういないだろう。例えごみ山に埋もれていたとしても、それは臨也の美しさを損なう原因になりはしなかった。磨けもちろん美しいだろうが、磨かなくても彼は美しいのだ。
「帝人くんがメンクイだなんて知らなかった」
「誤解を招くような言い方はやめてくれませんか」
びし、と彼の後頭部にデコピンを喰らわせて、帝人は彼を拾った本当の理由を話した。
「正確には目ですね。暗闇でとても綺麗だったものですから、一目惚れしちゃいました」
男相手に一目惚れもなにもあったもんじゃないが、確かのあの時の感情は、例えるのならば一目惚れが最もしっくりくる類のものであった。おもわず拾って帰ってしまう程度には、衝撃的だった。
「綺麗? この目が?」
はん、とつまらなさそうに臨也が鼻で笑う。
「ええ。赤くて不気味で禍々しくて、ぼくは好きです」
「・・・それ、綺麗って言わないよね」
「いいえ。ぼくが綺麗だと思ったんですから、不気味でも禍々しくても、それは綺麗なんです」
ともすればすいぶんと傍若無人な物言いに聞こえるそれは、わかりやすく噛み砕けば、他人の評価なんてどうでもいい、ということだ。見ず知らずの誰かがつけた評価よりも、今、確かにこの目で見てこの耳で聞いたものが全てなのだという、帝人の主張。
「・・・・・ちなみに聞くけど、俺の目がこの色じゃなかったら、帝人くんどうしてた?」
「どうでしょう? 出自不明なお金もいやにも不審者っぽい臨也さんも素敵に『非日常』的で嫌いじゃないんですけど・・・・・・こうして拾っていたかどうかは、わかりませんね」
「うわ、今俺かなり本気で自分の顔に感謝してるよ。今までは女の子適当にひっかけるくらいにしか役に立たなかったのに」
「ぼくとしては聞かなかったほうが良かった気がしますよ、今のダメ男な発言」
「んー? もっとたくさん聞く? 俺の武勇伝」
「今時の若者の乱れた部分を垣間見てしまいそうなので遠慮します」
けらけらと笑う臨也に苦笑しながら、終わりましたよと声をかけて手鏡を渡す。身だしなみくらいちゃんと整えろ、と友人から贈られたものだ。それに映る臨也の髪はきれいさっぱりしていて、目元をおおっていた前髪もきちんと眉のあたりまで短くなっている。
「うわ、悔しいけど上手い」
「どうもありがとうございます」
少しだけ悔しそうに、それでも満足げに臨也は鏡に映る自分をチェックしている。どうでもいい、みたいなことを言っていたが、無意識的に自分の外見を大事にしていたのかもしれない。
「前とは別人みたいですね。まるで、」
「生まれ変わったみたい?」
帝人が言おうとした言葉を引き継いで、こちらを仰ぎ見た臨也がいたずらっぽく笑う。生まれ変わる。嫌いな言葉じゃない。帝人が臨也の好きなところは、顔と瞳と察しがいいところ、あと少し変わったこの言葉遊びのセンスだ。
この世で一番死した首にさよなら
お題は歌舞伎さんよりお借りしました。