湯気で曇りつつある鏡で確認してみると、わずかだか顔色がよくなっている。フェルト一押しのラベンダーのバスソルトを使った湯は予想以上に気持ちよく、刹那は時間も忘れてたっぷりと入浴を楽しんだのだ。


 自分には似合わない、けれどフェルトには良く似合うだろう可愛らしい紫の小瓶に感謝して、刹那はベッドへとダイブした。ここのところ連続で続いていたミッションもようやく終盤に差し掛かり、残りは明日ケルディムと行う太平洋沖の殲滅ミッションだけだ。


 心地良く沈みかけていた意識はけれど、突然の来訪者によって無理矢理浮上させられた。


 「ん・・・・・」


 ベッドから起き上がるのも億劫で、遠距離操作で扉のロックを解除した。扉の向こうから聞こえた「うおっ!?」という声で、刹那は訪問者を判断した。


 「勝手に入れ」


 「おじゃましまーす」


 入ってきたのはロックオンだった。周囲に彼の相棒の姿はなく、かわりになにか小瓶のセットを持っている。


 「何の用だ?」


 「お前が体調悪そうだって、クロスロードくんが教えてくれてさ。ちょっくら地上行って買ってきたんだよ」


 見れば、彼が持っているのは地上ではメジャーな栄養ドリンクだ。さすがに試した事はなかったけれど、日本の製品であるそれを刹那は何度かテレビのCMで観たことがある。


 「明日は俺とミッションだろ? 行動中に倒れられちゃ大変だからな」


 「すまない。で、これは効くのか?」


 「んー? 知り合いが絶賛してたけど、俺は使った事ないからなぁ」


 茶色の瓶をゆらすと、中で液体がちゃぷんとゆれるのが見えた。効果はあるらしいから、刹那はこの栄養ドリンクがまともな味である事を願った。そう言った類のものを飲んだことがないので偏見だとは分かっているが、なんだか栄養ドリンクは苦そうなイメージがあるのだ。


 刹那が寝そべるベッドに腰掛けたロックオンはくい、と刹那の顎を持ち上げてため息をついた。


 「お前、まじで顔色悪いじゃねーか。ちゃんと寝れてんのか?」


 「睡眠はしっかり取っているはずだ」


 むしろ取りすぎて困るぐらいなのだが。


 「体調管理もマイスターの務めなんだろ。こんなんじゃ、教官殿に説教喰らうぞ」


 「すでに遅い。今日、散々怒られた」


 うわぁ、と同じくティエリアの小言の被害者であるロックオンはけらけらと笑った。しかし、不意に眉を寄せて刹那に顔を近づけた。


 「んー、刹那、シャンプー変えた?」


 「? いや、変えていないが」


 否定すると、ロックオンはふんふんと鼻を鳴らしながら刹那を抱きしめた。


 「えー、だってすげー匂いするぜ? 洗剤、なわけねーし」


 「なんだか考え方が貧乏人臭いぞ。バスソルトじゃないか? 香りはひかえめなものを選んだつもりだったが」


 ラベンダー自体の香りは強いらしいが、フェルトが使っている製品は香りを抑えてあると言っていた。そこまで匂うだろうか、と刹那は自分の服を鼻先まで持っていって匂いをかいだ。


 「バスソルト? 刹那が?」


 「・・・・・・悪かったな。どうせ似合わない」


 目を丸くするほど驚かれたことに腹が立って、刹那はひねくれたようにそっぽを向いた。


 「あー・・・や、似合わなくはないこともないこともないこともないかもしれないけど」


 「おい、結局似合わないってことになってるぞ」


 「そんなに疲れてたのかって、思ってさ」


 刹那を抱きしめたまま、ロックオンもベッドに倒れこんだ。当然のごとく下敷きになった刹那がぐえ、と蛙がつぶれたような声を出した。


 「ごめんな、俺が最初に気付くべきだった」


 「・・・・・お前の責任ではない。それに、最近はしてなかっただろ」


 「だけどさ、なんつーか、責任感っていうの? あるわけだよ」


 耳朶に直接囁かれる声に頬を染めながらも、刹那はそっとロックオンの背に腕を回した。


 「ただでさえ刹那は自分の事大切にしないわけだし。傍にいる奴が気をつけてやらなきゃいけねーだろ」


 嫌味っぽく言われ、刹那は素早く視線をそらした。一日に同じことを、さらに別々の人間から言われれば、誰だった堪える。


 「もう平気だ。だから・・・・・・心配かけて、悪かった」


 羞恥心が邪魔をして相手の目を見ることが出来ない。刹那はそっとロックオンの頬に口付けると、素早く離れた。された方のロックオンは実感がわかないのか、ぽかーんと口を開けたまま固まっている。


 「あー・・・・うん、刹那くん、君さ」


 「なんだ」


 「なんで人が我慢している時にかぎって、こーゆーことしてくるかなぁ」


 一気に脱力したように頭を下げるロックオンに、わかっていない刹那は首を傾げる。その頭上には?マークが見えるようだ。


 「ロックオン、意味が分からない」


 「あーはいはい、さっさと寝ましょうねってことだ」


 「違う」


 ばさり、とかぶせられた毛布と格闘しながら、刹那は言った。


 「誰もお前に、我慢しろなんて言っていないだろ」


 今度こそ硬直したロックオンが数秒かかってようやく理解した頃には、すでに刹那は毛布に包まれて瞼を閉じようとしていた。


 「ちょ、刹那、ここで寝るとかお前は鬼かっ!」


 「うるさいぞ。お前が寝ろと言ったんだろ」


 「いや、確かに言ったけど! その後にお前、とんでもないこと言っただろ!」


 ぎゃあぎゃあと騒ぐこと数秒、刹那は毛布を取り上げロックオンの下に組み引かれていた。


 「刹那、マジでいいの?」


 「好きにしろ。ただし、明日のミッションに影響が出ないようにしろよ」


 「りょーかい」


 語尾にハートマークがついていそうな声に、刹那は微かに笑った。