目が覚めると、いつものように隣には誰もいない。見慣れた光景と慣れない喪失感にロックオンは苦笑しながらベッドから起き上がった。ロックオンの朝はいなくなった同居人を捜すことから始まるのだ。


 トレーニング・ルーム、収納倉庫、ガンダムが眠るハッチと彼が行きそうな場所を巡ったけれど見つからず、食堂に顔を出したロックオンは朝食を取っていたフェルトに声をかけた。


 「刹那見てないか?」


 「まだここには来てないわ」


 また逃げられたのね、と笑うフェルトに苦い顔をして、ロックオンは用はなくなったと踵を返した。その背に、フェルトの呆れたような声が降る。


 「そんなに逃げられるのなら、今度から刹那の添い寝役、交代してもいいんじゃないかな? 私もついてるよって、刹那に言ったし」


 「残念だけど、この役、誰にも譲る気ないから」


 じろり、と軽く睨んで釘を刺す。十九の娘相手に大人気ないとは思いつつもここは譲れない。フェルトも冗談だったのか軽く笑っていってらっしゃいと呟いた。


 食堂まで探したのだから、残る心当たりはもう少ない。そのひとつである展望スペースで見慣れた後ろ姿を見つけたとき、ロックオンは安堵の息を吐いた。


 「刹那」


 呼びかけても、刹那は窓の外を見つめたまま返事すらしない。ぴくりとも反応を返さない刹那に若干寂しさを覚えつつ、ロックオンは刹那の寝癖を直していない髪を手櫛で梳いた。


 「あーあ、着替えもしてないし顔洗ってもいないし、おまけに裸足のまま」


 ロックオンは届かないと知りつつも言葉を紡ぐことを止めなかった。ぼんやりと流れていく山々を見つめる刹那の瞳は見慣れた赤褐色ではなく人目を引く黄金色をしている。その瞳がロックオンを映すことはきっとない。


 「ん、どうした、刹那?」


 いつもなら大人しく従う刹那が、今日ばかりは窓のそばから動こうとしない。そういえばここ最近ずっと景色ばかり見ていたなと思い出したロックオンは、刹那が見ている方角といまプトレマイオスがいる位置を割り出して、その意味に苦笑した。


 「教官殿、ちょっくら外出許可をもらいたいんだけど」


 携帯端末に呼びかければ、ヴェーダと一体化したティエリアはすぐに出てきた。眉を寄せながら(相変わらずこの教官殿はロックオンに優しくない)厳しい声で行き先は、と尋ねられた。


 「アイルランドだ」


 親愛なる兄の墓へとは言えなかった。











 あの激戦からずっとずっと刹那は眠り続けた。アロウズの解体も新政府の設立もアレルヤとマリーの脱退も知らず、昏々と眠り続ける刹那の顔は穏やかだった。


 もうきっと目覚めることはないだろうと思っていた周囲の予想を裏切って、半年後に刹那は唐突に目を覚ました。


 けれど、彼は周囲に反応を返すこともなければ、喋ることもなかった。


 まるで身体だけが起きたような、魂をどこかにおいてきてしまったような刹那。その身体は痩せ細り瞳は黄金色へと変貌を遂げたけれど、それでもやはり彼は刹那なのだ。


 きっと彼はまだ眠っているのだとロックオンは思う。無理に起こすことはない。疲れきった身体を休めて、ゆっくりすればいい。自分なら待てる。いつまでも、彼が目覚める時をずっとそばで待てるのだから、寂しくともなんともない。











 久しぶりに降り立ったアイルランドの地はロックオンたちを純白の雪景色で迎えた。サングラス越しに見る故郷は目立った変化はなかったけれど、それでもこれからはきっと確実に何かが変わっていくのだろう。変革とはそういうものだ。


 「刹那、寒くないか」


 砂漠育ちで寒さになれていない刹那には手袋、マフラー、分厚いコートと防寒を徹底させた。嫌でも人目を引く瞳はサングラスで隠したから、一見ただの旅行者となっているはずだ。


 途中の花屋で献花を買って、ロックオンは墓場への道を急いだ。興味のあるものへひょいひょい寄っていってしまう刹那を何とか繋ぎとめて、たどり着いた墓地はがらんとしていた。


 「兄さん、久しぶり」


 最後に会ったのはいつだったかと、灰色の墓石を眺めながら考える。まさか感動の再会が墓石相手だとは思わなかったが。ここにくるまで散々あっちいったこっちいったして手を焼かせた刹那は大人しく墓標の前に座り込んでいる。


 刹那はずっと会いたかったのだろう。ロックオン自身も、そろそろ腹を割って兄と向き合わなくてはならない。全て終わった今ならきっとできるはずだ。


 「兄さん、俺ずっとアンタが嫌いで、それで自分も嫌いだったんだ」


 どれだけがんばっても軽々と自分を追い越していく兄も、どれだけがんばっても兄の影にしかなれない自分も。自分を兄の付属品としてしか見ない周囲も、全て嫌いだったのだ。


 でも、そうやって、嫌い嫌いとわめいて逃げだしたのは自分だった。


 刹那に出会って、CBに入って、世界相手に戦って。そうして自分は何か変わっただろうか。変わっていたらいいと思う。変わっていけるならいいと思う。


 「ずるいよなぁ。結局兄さんは俺に何も言わなかったわけだ。ま、俺も何も言わないけど」


 心の中で似たもの兄弟なんだな、俺たちと呟いて。やや乱暴に墓の前に花束を放り投げた。


 「これが俺たちの目指した結末かはわからない。でも俺は刹那とふたりでこの世界で生きていくさ。だからもう安心して、刹那の夢に出てくるような真似はするな」


 言いたいことだけぶちまけると、ロックオンは刹那の手を取って兄の墓に背を向けた。またいつか、刹那が来たがったらここに来よう。でも自分からここには来ることはないだろう。過去ばかり見ているのはもう疲れたのだ。


 小さくなってしまった刹那の手を握り締めて、ロックオンは石畳の道を歩く。この道はどこまで続いているのだろうか。先は見えないし、終わりはわからない。でもきっと自分たちは歩き続ける。繋いだ手を離すことなく、これからずっと歩いていくのだ。