目が合ったのはおそらくほんの数秒程度。しかし刹那にはそれが何時間にも感じられ、まるでその空間だけ切り取られたかのように時が止まったかとさえ思った。
止まったのが唐突ならば、動き出したのも唐突だった。はっと我にかえって前のめりに倒れてくる男を避けた。そのまま注意深く、ごきごきと指の関節を鳴らしている男を観察する。
声も、髪も、顔も、身体も、その男の全てがアレルヤに瓜二つ。
たったひとつ違う、射抜くような黄金の瞳だけがやけに目を引いた。
(アレルヤ・・・?)
確か彼は今ロックオンと共にCBが所有している無人島で待機しているはずだ。なぜこんなところに? と考え込む暇もなくやけくそになった不良がふたり同時に刹那に向かって駆けてきた。見るからに体格が良く腕っ節が強そうな男の出現に慌てているのだろうか。
「前は俺がやる。後ろは任せた」
「っ、おい!」
走り出した男に刹那の叫びは届かない。本当にどいつもこいつも人の話を聞いちゃくれない。刹那は盛大に舌打ちをすると男に続いた。
あとはもうあっという間だった。CBの戦闘訓練を受けた刹那はもとより、男のほうもかなり強かった。五分とかからないうちに残りのふたりも地面に沈んだ。よわっちーの、と笑う男は息ひとつ乱していない。
「もう大丈夫なの?」
離れた場所で大人しくしていたルイスが恐る恐る近寄ってきた。頷くと安心したようにぱぁぁと表情が明るくなる。大切に大切に育てられてきたお嬢様であるルイスにはストリート・ファイトなど縁がなかったに違いない。こんなもの、縁がないに越したことがないのだが。
「無事か、お前」
隣で大きく伸びをして筋肉をほぐしていた男が思いついたようにこちらを向いた。あれだけ暴れた後だというのに、憎たらしいぐらいに元気一杯だ。まだ成長期で身体が出来上がっていない刹那は、あと少し長引いていたらスタミナ切れを起こしていないに違いない。
「えーと・・・助けてもらってありがとうございます」
「礼はいらねえ。あんなん見ちまって、黙って通り過ぎるわけにはいかねーだろ」
ルイスのぎこちない感謝に男はなんでもないように手を振る。口調が違うのは擬似人格を使っている為だろうか。それにしても、普段前髪に隠れていて見えない右目が金色だとは知らなかった。口調とあいまってまるで別人のようだ。
刹那が小声でなぜこの場所にいるのか任務はどうしたのかその他もろもろの質問をしようと近づいた、その時。
「だいたい、女ふたりに大人数ってのも情けねぇ」
さすがに二度目となるとルイスも学んだのか、噴出すようなことはしなかった。しかしこちらを見つめる視線には同情が含まれている。刹那は無言で足を少し上げると、大地ではなく男の足に力いっぱい下ろした。
「いっっっっでぇええええええええええ!」
大地を踏みつけた時は違う柔らかい感触を靴越しに感じながら、刹那は男の悲鳴など聞き流してぐりぐりと足に力を入れた。ルイスがやりすぎじゃない・・と呟いているのが聞こえたが当然無視。
「だ・れ・が・お・ん・な・だ・と?」
言葉を区切る度に足に力を込める。その言葉に男の顔が引きつった。
「げ、男?」
「男で悪かったな」
「や、私はちゃんと女ですからね」
男の疑わしげな視線に気付いてか、ルイスがスカートと胸元を強調する。ふたり並べば身体の凹凸などがはっきりわかるのに、それでも間違われる己の発育不足に腹が立つ。
「男だったらもっと牛乳飲んで背ぇ伸ばせ。そんなんだからさっきみたいにからまれるんだ」
「そうね。だいたいさっきにも刹那が女の子に間違えられたのが原因じゃない。だめよ、好き嫌いは」
いつの間にか刹那の好き嫌いを糾弾する会話になっている。誰が好き嫌いなどするか。牛乳を飲んだだけで身長が伸びるなら今頃全世界のちびっ子達が牛乳を買い占めているに違いない。
それよりも問題なのは、ここに立っているのがアレルヤなのか否かということだ。先ほど乱闘で感じた違和感を確かめるべく、刹那は男にとある提案をした。
「少し手合わせ願いないか? アンタの腕前、少し気になる」
「ん? おお、いいぜ」
元々好戦的な性質なのか、男は獣のように唇の端をつり上げて笑った。刹那は自然体に近い構えを取り、男から距離をとった。男の方は構えてもいない。これが彼なりの戦闘スタイルなのだろうか。
先手を切るように走り出す。小柄で力も劣る刹那の唯一の取り得がスピードだ。絶えず攻撃にまわらなければやられる。防御などしたところで意味もなく吹っ飛ばされるのはクルジスで少年兵をやっていた頃から自覚している。スタミナもないので持久戦は避け、とにかく手早く終わらせなくてはならない。
目、喉、みぞおち、そして股間。この四箇所が刹那程度の力でも相手を倒しうるダメージを与えられる人体の急所だ。しかしなにかしらの訓練を受けている者は必ずこの場所をかばうから、狙うのは容易ではない。
相手の懐に飛び込むと膝を折り曲げ、相手の顎を狙って全身のバネを使って思いっきり拳を繰り出す。うまく当たれば脳震盪を起こせる場所だが、ギリギリでかわされた。無防備になった身体に男の肘が埋まるより早く大地を蹴って距離を取る。
「ひゅー、意外とやるじゃねえか」
「・・・どうも」
意外と、という言葉が引っかかって褒められたはずなのに少しも嬉しくない。その余裕たっぷりに笑っている顔を歪ませてやる、と刹那は意気込んだ。
そこで初めて男が構えを取った。その構えを見た刹那はその違和感に自分の考えが正しかったことを確信した。両手をつかず離れず程度の距離で交互させたその構えは刹那を含めたマイスター全員が知っているしCBの訓練時代に習ってはいるものの、アレルヤが練習試合で相対する時に見せる構えとは全く違っている。
どれだけ完璧に擬似人格を使いこなそうと、身体に染み込むまで叩き込まれた戦闘の構えまで変えることは出来ない。だからこそ刹那は確信した。目の前にいる男はアレルヤではない。
(・・・・さて)
一瞬にして間合いを詰めてきた男の攻撃をさばきながら、どうしたものかと刹那は考える。ここまで似ているのだ、この男がアレルヤと無関係なわけがない。
『ぼくにもね、弟がいるんだ』
(っ!)
いつだったか、泣きそうな顔で笑いながらアレルヤはなんと言っていた?
『自分の弟を、生き地獄のような場所に置き去りにして逃げたんだよ』
もし、あの時の彼の言葉が真実で。その地獄のような場所に置き去りにされた弟が生きて成長していたならば。
だとしたら、目の前の男は。
(アレルヤの、弟・・・・!?)
たどりついた事実に愕然とする。突如として身体の動きが鈍くなったのを男は見逃さず、前に突き出した腕を掴まれて体勢が崩れた。しまった、と刹那が思った時にはすでに重心が前に崩れつつあった。
一瞬の浮遊感。ひっくり返る景色。男のしてやったりという顔が心底むかつく。ちくしょう、と舌を噛む可能性があるので唇は動かさないで心の中で呟いた。
ばぁん! と鼓膜を貫く音は自分が背中から地面へと着地した音なのだと、全身を駆け巡る痛みと共に理解した。なんとか直前に受け身を取って頭を打っていないことだけが幸いだ。
(サイアク、だ)
平常心を乱して隙を作るなんて。クルジスにいた頃だったら死んでいた。いつから自分はこんなに弱くなったのだろう。実戦から遠ざかったつもりはなかったのに。
「勝負あり、だな」
「・・・・・次は、勝つ」
にやにや笑いながら顔を覗きこんでくる男に精一杯の強がりを吐く。言ってから気付いた。次は、だと? 自分は再びこの男を会うつもりでいるのか。
「いいぜ? 何度だってやってみろよ。ぼっこぼこにしてやんよ」
「・・・・絶対地面に這いつくばらせてやる」
むかつく。腹立つ。アレルヤと同じ顔なのにここまで違うと本当に自分の仮定が正しかったのか自信がなくなってきた。立ち上がって服についた砂埃を叩き落す。見れば男の方もうっすら汗をかいているし呼吸を乱している。全くかなわなかったわけではないとわかって、刹那は自分でも知らないうちに微笑を浮かべていた。
「とりあえず十分休憩してから次いくか・・・・って、悪い」
ピリリリリとどこからか甲高いアラーム音が聞こえた。自分のではない、と首をかしげた刹那に断りを入れて、男が自分の胸ポケットから携帯端末を取り出した。
「あ? 今? 公園。帰ればいいんだろ、帰れば。そんなに言うなっての、ソーマ。時間はきっちり守ってるはずだぜ。どうせお偉いさんたちの相手なんだ、少佐に任せときゃいいだろ。わめくな! 本っ当、お前は少佐のことだけは人一倍敏感だよな。わーってる。今からそっち向かう」
聞いてはいけないと思い、刹那は男に背を向けると近くにあった水道で手を洗う。そういえばルイスはどうしたのだろうかと辺りを見回せば、先ほどのベンチに座りながらホットドッグを頬張っている。いつの間に戻ってきたのか、隣で座っている沙慈は刹那と目が合うなり大きく手を振りながらホットドック屋の紙袋を指差した。君の分もあるよ、と言いたいのか。
「わりぃ。ちっとばかし用事が出来た。続きはまた今度、な。刹那」
「え、俺の名前・・・・」
名乗ってもいないのにどうして、と考えてそういえば何度もルイスが呼んでいた。相手は自分の名前を知っているのに、こっちはなんて呼んだらいいのかえわからない。なんだかもやもやと胸のうちに重苦しいものが溜まる。
「・・・・ハレルヤ、だ」
「っ!」
俯いていた顔を弾けるように上げると、キラリと光る金色の瞳と目が合った。ハレルヤと、声に出さないで呟く。呼んでみようかと思って、しかしふとなぜかためらっている自分に気がついた。ためらう必要などどこにもないのに。
「じゃあな、刹那」
ぐしゃぐしゃと乱暴にハレルヤが刹那の髪の毛をかき回した。あ、と手を伸ばしたけれど、すでにハレルヤは踵を返して立ち去るところだった。行き場のなくした右手が、なにかを掴むように空中で固まった。
また今度、と彼は言っていた。また会ってもいいのだろうか。アレルヤの弟に。彼はアレルヤの存在を知っているのだろうか。知らないのだとしても、マイスターの家族と会うなんて危険すぎる。なのに、なのに。
「また、今度・・・」
小さな約束を囁いて刹那はルイス達が座っているベンチへと向かった。その頬が緩んでいる理由は、誰にも、刹那自身にも、わからない。