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CBには個人情報秘匿の義務がある。しかし約一名を除いてクルーメンバーは皆穏やかな性格だったので、よほどの情報でない限りぽろっと口に出す。誕生日や家族構成なんかが主で、ついこの間ロックオンの誕生日パーティーが盛大に行われていた。
その話題になった理由は確か、いつも厳格な表情をしているイアンは気持ち悪いくらい相好を崩して妻子から送られてきたメールを読んでいた時だ。送付されていた娘の写真画像にクリスティナがかわいいを連呼して、そうしていつの間にか家族の話題で盛り上がっていた。
妹自慢と娘自慢で火花を散らすロックオンとイアンを眺めながら、刹那は手にしていたスポーツドリンクを一口すすった。刹那には兄弟がいなかったし、両親との思い出も語れるほど鮮明に覚えてはいない。
最後に見た母の顔は、銃口に怯えながらどうして、と囁くそれ。
最後に見た父の顔は、自分が放った鉛玉を胸に喰らって血を吐いて倒れた、虚ろなそれ。
知らないうちに口の中で鉄錆の味がした。どうやら唇を噛み締めていたらしい。溢れる血を舌で舐め取って、あとでモレノに薬をもらおうと刹那は思った。
「隣、いいかい?」
手にコーヒーがたっぷり注がれたカップを持って、アレルヤが刹那の隣に立った。珍しいな、と思う。彼だったらいつもの笑顔でイアンとロックオンを宥めていそうなのに。
「ぼくにもね、弟がいるんだ」
だったらこんな隅っこにいないでさっさとあの輪に加わって身内自慢をしてくればいいと、そう言いかけて刹那は押し黙った。笑うアレルヤの眉がどうしようもなく下がっているのに気がついたからだ。
「今どこにいて何をしているのか、全然わからないんだ。そもそもぼくには元気にしてるかなって心配する権利もないんだけどね」
「・・・・・家族を心配するのに、権利が必要なのか?」
反論されることを予想していなかったのか、アレルヤが驚いたようにこちらを見た。しかしすぐにまた、寂しそうな表情で笑う。
「ぼくにはないんだ。こんな風に、のうのうと生きているぼくには・・・。ぼくはね、刹那」
そんな顔で笑うなと一喝してやりたかったのに、刹那は何もいうことが出来ずただアレルヤの言葉に耳を傾けた。
「自分の弟を、生き地獄のような場所に置き去りにして逃げたんだよ」
その言葉に、彼が背負っている闇のほんの片鱗に触れたような気がした。
CBのガンダムマイスターには地上での活動拠点としてアパートやマンションの一室をいくつか与えられている。各自それぞれ違うが、刹那は主に日本経済特区にあるマンションの一室を使っている。
「・・・・・」
久しぶりに帰って来たその部屋には薄く埃が積もっていた。ここのところ宇宙でのミッションが続いていたので、思い返せば地上に降りたのは半年ぶりだ。その掃除も何もせずにほっといたのだから、埃が積もるのも当たり前である。眉を寄せた刹那は部屋の隅にどでんと置いてある小型の冷蔵庫を開けた。
「・・・・・」
一応電源は入れっぱなしにしておいたので冷蔵庫としてちゃんと活動していたようだが、とりあえず手に取ってみたボロニア・ソーセージは賞味期限が三ヶ月も過ぎていた。封も開けられていない新品同然のソーセージがこれでは、中途半端に口が開けられている牛乳パックは怖くて確認できない。
「・・・・・掃除と、それから買い物か」
刹那は掃除機を借りるために隣人の部屋へと足を向けた。
「たくさん買ったわねー」
「そう思うんだったらルイスも荷物持ってよ・・・・」
「イヤよ。私は箸より重いもの持ったことないんだから」
そんなぁ、と沙慈が情けない声を上げる。そんなふたりのやり取りを横目で眺めながら、刹那は本日何度目になるかわからないため息をついた。
隣人に掃除機を借りに行くと、なぜか関係ないはずのルイスに「ひとりで掃除なんて大変よ。手伝ってあげるわー!」と強く押されて断わる前にずかずかと部屋に入られた。どうやら恋人である沙慈・クロスロードと試験勉強をしていたらしく、掃除を手伝うというのは試験勉強から逃げるための口実のようだ。掃除を手伝ったのは沙慈だけで、彼女は結局買い物リストの製作しかしていない。
歩くたびに紙袋の中でごろんと林檎が揺れる。さすがに買いすぎたかなと思ったが、ここしばらくは地上に滞在する予定なので問題はないだろう。食料に衣料品に食器類、そして掃除機がないなんて絶対ヘンよ! と叫ぶルイスに言われるまま新型の掃除機を注文した。どうせいつかは買おうと思っていたものだし、費用は全てCBから膨大な金額が口座に振り込まれているので問題ない。
「そろそろお昼じゃない? 私お腹すいたぁー」
「・・・・そこの公園にホットドッグを売る屋台がある」
「あ、じゃあそこにしよっか。ぼく買ってくるから刹那君はルイスとどっかに座ってて」
「いや、俺がい・・・・」
止める間もなく沙慈は刹那の手に荷物を預けて走り去ってしまった。いつも思うが、どうしてこのカップルは人の話を聞かないのだろう。ルイスはといえばすでにベンチに座ってくつろいでいる。
「なに、座んないの?」
大量の荷物を脇に置いて、刹那もベンチへ腰掛けた。日頃鍛錬をしている刹那はこの程度は何ともないが、ただ歩いてたまに被服店のショーウィンドウにべったりはりついたりしていたルイスが疲れた疲れた騒いでいるというのはどういうことだろうか。
「ねぇー、あなたって働いてるの? もしくはどこかのお坊ちゃんとか? なんか今日一日だけでけっこうお金使ったのに、顔色ひとつ変えないし」
「俺は一般人だ。両親が死んで、引き取ってもらった家がそこそこの良家だっただけだ」
「ふーん。じゃあ学校行ってるの?」
「いや、機械関係で働いてる」
「なんで? 学校キライなの?」
「・・・世話になっている家に、迷惑はかけられない。微々たるものだが、少しは自分で稼いだ方が良いと思っただけだ」
「ふーん」
興味を失ったのか、ガトリング砲のような質問はぴたりと止んだ。若干気まずいとも思える沈黙がその場に満ちたが、別になんとかしようという気にはなれなかった。どうせ沙慈が合流すれば、嫌でも騒がしくなる。そう思った矢先に、なんとなく眺めていた地面か急に陰った。誰かが目の前に立ったのだ。
「沙慈、遅いよ! 私お腹ペコペ・・・」
叫んだルイスの声が不自然に途切れる。いぶかしんで顔を上げれば、そこには沙慈とは似ても似つかない、ガラの悪そうな男が数人ニタニタと笑いながら立っている。
「ねえ、君たちお昼まだ?」
「女の子ふたりだけじゃ寂しいじゃん。俺らと一緒にきなよ」
「そうそう、楽しいぜー?」
ぶちっと刹那の頭の中で何かが切れるのと隣でルイスがぶっ! と盛大に噴き出したのはほぼ同時だった。横目でルイスを睨めば、彼女はベンチに突っ伏して肩を震わせながら必死で笑いをこらえている。いっそ爆笑されたほうがまだマシだ。
「なぁ、いいだろ。俺らいい店知ってるんだ」
何の反応も返さない刹那達にしびれを切らしたのか、男のひとりが刹那の手首を掴んで強引に立たせる。ようやく笑いが収まったらしいルイスが慌てたように叫びかけたが、刹那はそれを視線で制した。
「・・・・・れが・・・だ」
「へ?」
「誰が女だと言っている」
バシン! と叩きつけるように男の手を振り払う。同僚に『虎でも射殺せるくらい怖いよな』と賞賛された視線で睨みつければ、ひるんだ男たちが一歩後退った。
「なっ、お前男かよ!」
「ふざけんな! この野郎!」
ふざけんな! はこちらの台詞だ。確かに刹那は幼少時の悲惨な食生活のせいで、同年代の少年少女と比べるとかなり小柄な部類に入る。しかし、だからといって女の子と間違えられてナンパするなんて、一発ぶん殴ってやらなければ気がすまない。
恥をかかされた、と憤る男たちはぐるりとベンチを取り囲むように刹那の前に立ちふさがる。むしろ恥をかかされたのは刹那のほうだ。唇だけ動かして、万死、と呟いた。本当に、この世界は歪みまくっていて嫌になる。
ため息をつきながら、刹那は身体を右にずらした。ついでに右足を少しだけ前に出す。すると拳を振り上げて突進してきた男がおもしろいくらい見事にすっ転んだ。
仲間が倒れたことに、男たちの怒りが膨れ上がるのが気配でわかった。残り三人、と数えたところで刹那は舌打ちをした。そのまま気絶でもしてくれれば良かったものを、最初に転倒させた男が鼻血を流しながら起き上がった。合計四人に対して、こちらはひとり。しかも足手まとい付き。
これが刹那ひとりだけならなんとかなったはずだ。おろおろとうろたえるルイスはその様子から察するに護身術さえ身に着けていないだろう。そんな人間を守りながらこちらよりはるかに体格の良い男四人の相手をする、これはかなりきつそうだ。
「ルイス・ハレヴィ、必要最低限の荷物だけ持って俺の背後にいろ。いつでも走り出せるようにしておけ」
「わ、わかった・・・・」
ルイスが自分のバッグを抱きしめながら刹那の背後に回ったのを確認すると、深呼吸をしてから刹那は男たちと向き合った。最悪、ルイスだけを逃がせればいい。男たちの狙いは刹那だけのようだから、隙を見ればそれも可能なはずだ。
脳内でシミュレートをしながら、迫ってきた男の懐に素早く入り込んで喉を力の限り殴る。喉は眼球と股間に次ぐ人体の急所で、小柄な刹那にも狙いやすい。崩れ落ちた男の股間をとどめと言わんばかりに蹴りつけて、ようやくひとり脱落した。まだまだ先は長い。
一連の流れるような動きから、刹那が素人ではないと察したらしい男たちの間に緊張が走る。ひとり抜けたことで包囲網が少し崩れた。ふたりまで減らせば、その崩れた箇所からルイスを逃がすことも出来るだろう。近くにいた男に狙いを定めた刹那が身をかがめて走り出す。
刹那の拳が、男のみぞおちに埋まるよりも早く。
「ガキ相手にくだらねぇことしてんじゃねぇよ」
鈍い打撃音と聴きなれた声が同時に刹那の鼓膜を震わせる。崩れ落ちた男の後ろに、誰かが立っていた。逆光に目を細めながらも注意して様子を伺う、刹那の瞳が見開かれた。
まるで時が止まってしまったかのように、静寂が刹那の脳を揺さぶった。声を出そうとしたけれど、無意味に唇だけが動いた。なんて呟いたのかは自分でも分からなかった。
金色と真紅の視線が、静かに、交わった。