素早く後ろを振り返ったニールはそのまま硬直した。いかつい警備員を想像していたニールの視線の先にいたのは、己の胸元までしかないような小柄な少女。服装も研究員のような白衣ではなく、赤いストールに白い民族衣装のようなものを組み合わせている。どこにでもいるような、しかしこんな機械だらけの施設には似合わない普通の少女だ。
「アンタ・・・学生、か。迷子の」
ニールの胸元にさげられているIDカードが見えたのだろう、少女は納得したように呟いた。
「どこの部署に行きたいんだ?」
「え?」
「案内してやる。このままここにいても、アンタの仕事は片付かないぞ」
それ、と少女はニールが抱えている書類の山を指差した。
「期限が近いのもあるんだろ。自力でいけるのなら別に構わないが」
「中央研究所なんだけど・・・」
「ついてこい」
踵を返した少女の隣に慌てて駆け寄る。よくわからないが、どうにか不審者として捕縛されるようなことにはならなかったようだ。そのうえ道案内までしてもらえるのかだからなんと幸運なことだろう。
人通りの少ない通路を少女の案内で進む。慣れているのか、ニールがさんざん立ち止まって悩んだ道をすいすいと進んでいく。
「あそこって、入っちゃいけない場所だったか?」
「少なくとも研修学生が用のある場所とは思えない」
じゃあなんでお前さんはあそこにいたんだ、という疑問は唇から出る前に飲み込んだ。かわりに「名前は?」と問う。
「俺はロックオン・ストラトス」
「・・・・・・・・・・・・刹那・F・セイエイ」
こちらの質問が聞こえていなかったのかと思うくらいたっぷり間をおいて、少女はぼそりと名乗った。こちらをじっと見つめる瞳に警戒している色は見えなかったが、それにしては愛想がない。
色々訊きたいことがあったのだが、刹那が黙々と歩き続けているためかなかなか口を開くタイミングがわからない。どうしたものかとニールが悩んでいると、ふと刹那が足を止めて手を差し出した。
「端末」
「へ?」
「端末、持っているだろ? 貸してみろ」
ポケットから出した端末を渡すと、刹那はそれを持って案内板へと近付いた。案内板にはどうやら接続ケーブルがついているようで、それを端末に接続して刹那はなにやら操作している。
ほら、と寄越された端末は見た目何も変わっていない。しかし刹那に教えられた通りに端末を操作すると、ディスプレイに映るのは施設内の詳細な地図。
「いま俺たちがいるのがここで、中央研究所はここからこういって・・・・ここだ」
褐色の指がディスプレイの上を迷いなく滑る。ついでに行かなくてはいけない全ての研究所までの道を教えてもらった。
「これでもう道に迷うこともないだろ」
「わーお、サンキュー刹那!」
嬉しさのあまりぐしゃぐしゃと刹那の髪を撫で回した。身だしなみに気を使うのが女の子だ、嫌がられるかと思ったが拒むでもなく刹那は驚いたようにこちらを見つめている。
「あ、ごめんな。妹がちっさい時、こうやってやったら喜んだもんだから、つい」
「いや、別に嫌ではない・・・・・・少し」
懐かしかった、とその時になって初めて始終無表情だった刹那の瞳が揺らいだ。そこによぎった感情が何であったのか、ニールにはわからない。少し瞬きをした次の瞬間には、すでに刹那の瞳からその色は消えうせていた。
「妹がいるのか?」
「刹那より少し年上かな。あと双子の弟がひとり。昔はかわいかったんだけどさ、今じゃすっかり生意気になっちまって。刹那くらいの時が一番かわいいんだよ、妹って」
『下界』で慎ましやかに、けれど元気一杯に生活している弟妹を思い出す。『下界』は生きるには辛く厳しい土地だが、それでも不幸な思い出ばかりではない。そこで生活している人々は皆全力で生きている。だからこそ、自分がやるべきことの重さをニールは噛み締めた。
「刹那、家族は?」
「親のような人間は昔いたが今はもういない。面倒をみてくれる人間が、ひとり」
淡々と機械のように事実のみを述べるその口調と内容にニールは思わず足を止める。どうした、とこちらを見る刹那の無表情がニールには痛々しく思えた。
「・・・・寂しくないか、それ?」
「さあ? これを寂しいというのならそうなのだろう」
俺にはよくわからない、と呟いた刹那の頭をニールはやりきれない思いで撫でる。あの時、懐かしかったと洩らした時に刹那の瞳に浮かんだ感情が今ならわかるような気がした。