「ああ、君たちが今日来た学生さんだね。ぼくは主任のビリー・カタギリ」
よろしく、と伸ばされた手を握り返そうとするまで、ニールもアレルヤもただ一箇所をガン見していた。こちらをうかがっている周囲の研究員たちが肩を震わせて必死に笑いを抑えているところを見ると、どうやら誰もが皆行う行動らしい。
視線の先には、ビリーの動きにあわせてゆれる栗色のポニーテイル。
ニールは誰かが「サムライ・ヘアー」と呟くのを確かに聞いた。サムライって何だ。
ニールたちがサムライ・ヘアーにうっかり心奪われている間に、ビリーの話はどんどん先に進んでいた。研修といっても、いまだ学生の身分であるニールたちに任される仕事は少なく、とりあえず研究員たちの使い走りのようなことをしながら学んでいくらしい。要はただのパシリだ。
元々アレルヤもニールも機械工学を専攻していたから、使い走りでも充分戦力となる。とりあえず初日の今日はあっちこっちの部署を巡って仕事を覚えるのだけで手一杯だなとニールはひとりごちた。
やたらめったらに広い廊下を山ほどの書類や研究資料やらを両手一杯に抱えて走り回る。違う部署へ飛ばされたアレルヤも同じように駆け回っているのだろうなと想像しながら、ニールは『第二研究所』と銘打たれた部屋に入った。センサーがついているらしく、前に立っただけで扉は音もなくするりと開いた。
「研修学生のロックオン・ストラトスです。提出書類と研究用資料、それから今期の予算案を持ってきたので目を通して不備があったら期限までに申し出てください」
「おー、ごくろうさん。そっちに置いておいてくれ」
赤毛のドレッドヘアーにいかつい顔をした、研究員というよりはどこかの軍人でもやっていたほうが似合っているような男がこちらを振り返りもせずに応じる。部屋にいる研究員は皆忙しいらしく、各々コンピューターのモニターから視線を外そうとしない。
自分にさほど注目が集まっていないのをいいことに、ニールはきょろきょろと辺りを見回した。さすがに直接『エクシア』と繋がるようなものはないだろうけれど、手ががりくらいはあるかもしれない。
「おーい、学生。こっちの資料を第四研究所に返してきてくれ」
「わかりま」
した、と言い終わる前に周囲の研究員から次々に声がかかる。
「あ、ついでにこの書類も第三研究室に置いてきて」
「倉庫から二ヶ月前の実験データの端末持ってきてくれ」
「この予算案、もうちょっと予算上げてくれってカタギリ主任に提出しといてくれ」
「第一研究所から新しい機材一式届いているはずだから取ってきて」
あっという間にニールの腕に書類の山が形成された。ひとつ仕事を終わらせにきたはずなのに、気付けば仕事が増えている。なにこれ、いじめ? ついていけずに目を白黒させていると、眼鏡をかけた神経質そうな男が苦笑しながら近付いてくると「苦労するぞ、新人は」と囁いた。
「どの部署でも新人の扱いなんてこんなもんだ。というわけで、この書類をカタギリ主任に届けてくれ」
「え、ええっ!?」
てっきりはげましにきてくれたのかと思いきや、よくわからないアドバイスのようなものと共に大量の書類を押し付けて去っていった研究員の後姿をニールは呆然と眺める。何しに来たのだろうか、あの男は。
ともあれ、この調子では今日は仕事を覚えるどころかこの施設内を走り回って終わってしまいそうだ。さすがに初日から核心に近づけるとは思っていないが、問題は先ほどの先輩研究員の言葉だ。あれが真実ならば、これからも当分ランナーのように廊下を駆ける羽目になるということ。
「嘘だろー」
そう叫んでも現状が変わるはずもなく。とりあえず受け取った書類を届け先順に判別すると、一番注文が多かったのは先ほどまでいたカタギリ主任が監督する中央研究所だ。きた道を最速で、しかし腕に抱えている書類を落とさないように慎重に走る。地図なんてもらっていないから、己の記憶と所々に設置されている案内板だけが頼りだ。
(確かこっちを左で、そのまま三つめの角の右に行った部屋だったよな)
迷路のようにやたらと曲がったりする道が多い施設に文句を言いながら、ロックオン目当てだと思われる部屋の扉の前に立った。どこの部屋も同じような機械仕掛けの扉だから中に入るまで区別がつかない。うっかり違う部署だったらどうしようかと思ったが、その時は中にいる研究員に道を教えてもらおうとニールは気楽なことを考えながら、自動的に開いた部屋の中へ入った。
「研修学生のロックオン・ストラトスですけど、カタギリ主任に提出する書類が・・・・」
一歩足を踏み出してロックオンは絶句した。部屋を間違えた、それはわかったがここがどんな目的で使われている部屋なのか、全く理解できなかったからだ。
広い、先ほどの研究所も広かったがその十倍もありそうなくらい広い部屋のど真ん中には巨大なコンピューターのようなものが天上までの円柱となってそびえている。恐る恐る進むと、靴の裏でカツンと甲高い音が響いた。
(え、これがまさか『エクシア』・・・・)
音もなく静かに稼動する巨大なコンピューターは確かにこの街を総べるのに相応しい。だがしかし、こんなあっさりと近づけてしまうようなものなのか。
「誰、だ」
背後からかけられた声にニールはとっさに内ポケットへと片手を入れた。そこにある銃器の存在を確かめながら、呼吸を落ち着かせる。道に迷った研修学生として通じればいいが、最悪重要機密に近付いた不審者として捕縛されかねない。
ニールは意を決して素早く後ろを振り返った。