足を一歩踏み入れれば、そこはまさに別世界だった。綺麗に舗装された歩道やきちんと手入れされた芝生に茂み。道の隅には花まで咲いているし、公園では子供たちが元気よく駆け回りベンチではお年寄りの夫婦がのんびりとひなたぼっこに勤しんでいた。
「・・・・ありえねー」
うっかり口からもれた本音に、隣を歩いていたアレルヤが苦笑した。
「はいはい。気持ちはわかりますが、今はこらえてくださないね。ぼくらは生まれてからずっと『天界』で暮らしてたってことになってるんですから。そんな珍しそうにきょろきょろしてたらばれちゃいますよ」
「だってよー・・・・なにここ、天国かなにかか?」
ニール自身、今の自分は馬鹿みたいだなと自覚はあるのだが、どうしたって止められない。さすがは『天界』、と声には出さないで呟いた。
この世界で、一般的に『天界』というとそれは仏語が示すそれではなく、豊かな自然と豊潤な資源を駆使して作られた、巨大なドーム状の生活の場を言う。そこは資源を搾り取れるだけ搾り取って枯渇した大地に見切りをつけた政府によって新たに創設された、第二の地球とも言える。
しかし地球という星の中に新たに地球を作るのだから、当然のようにその規模は狭くなる。とてもじゃないが、全人類を収納できるスペースなどない。一部の、しかし決して少なくはない人々は『下界』と呼ばれる乾いた大地と枯れ果てた小川が延々と続く場所での生活を強いられることとなった。
そこで暮らすこととなった人々の生活は苦難の連続だった。地に作物は根付かない。川は潤いをもたらしてはくれない。人々は数少ない恵みを求めて工夫を凝らして生きていくこととなった。そしてそこに住む誰もが『天界』での生活を望み、羨み、妬んだ。『天界』の恵みを手にしようと『レジスタンス』と呼ばれるグループが作られる。彼らは『下界』の人々を導き、『天界』の人々に復讐せんと日々活動を続けている。
ニールは生まれも育ちも『下界』である。この世界が『天界』と『下界』に別けられてもう五百年は経つというから、以前の世界を知る者は誰も生きていない。それでも『天界』の様子だけは密やかに『下界』の住人に語り継がれてきた。
しかし、そんなもの嘘っぱちだとニールは思う。幼い頃両親に寝物語として教えてもらった『天界』の様子よりも、何十倍も素晴らしい世界だ。
「エイミーとライルにも見せてやりたいぜ」
「ぼくもですよ。そのために、ぼくらはここにいるんです」
『レジスタンス』として。アレルヤは最後まで言わなかったが、きっとそう言いたかったのだろう。その強い決意に、自然とロックオンの顔もこわばる。
『天界』の奪還、もしくは崩壊を目的としている『レジスタンス』の標的は『エクシア』と呼ばれる超高性能コンピュータである。
『天界』実現のきっかけとなったと言われているそのコンピュータは『天界』全てを把握、コントロールしており、それを手にすることはすなわち『天界』を手に入れることと同意義である。
「『エクシア』はこの都市の中央にある政府直轄の施設に設備されています。で、これがそこにもぐりこむためのIDカードです。なくさないでくださないね。ティエリアが三日三晩徹夜して作り上げた一級品ですから」
「なくしたら後がこえーな・・・。りょーかい、肝に銘じとくぜ」
識別番号とコードが入力されたカードの裏側には『研修学生、ロックオン・ストラトス』と銘打たれている。疑問がそのまま顔に出たのだろう、アレルヤがそれはですね、と笑いながら説明を始めた。
「施設に出入りするための、仮の身分です」
「や、それはわかるんだけど・・・・・偽名として無理ありすぎるだろ、これ」
ロックオン、なんて。どこの世界にそんな妙な名前を子供につける親がいるというのだ。しかも自分は今からこの名を名乗らなくてはならない。ものすごく恥ずかしい。
「仕方ないですよ、がまんしてください。ちなみにぼくはこれから『アンドレイ・スミルノフ』ですので覚えてくださいね、ロックオン」
「うっわ、なんでお前はまともなんだよ! ずりー!」
「文句があるならティエリアにどうぞ。後で何されても知りませんよ」
メガネを光らせて「ぼくがつくったものになにか不満でも?」と言ってくる仲間の姿が脳裏に浮かんで、ニールは大人しく口を閉じた。
それまで迷いなく進めていた歩みを唐突にとめる。目の前にはついさっき話題になっていた施設へのゲートがある。屈強な警備員に見守られて、ニールとアレルヤはIDカードを手に一歩を踏みだした。さあ、仕事を始めよう。