騒がしいのは嫌いではない。けれど、好きでもない。だから青葉は向こうで仲間たちが七味唐辛子やら黒コショウやらにんにくやらターメリックやら、おおよそ鍋には合わないだろう調味料を大量に投入しながら不味い不味いと騒いでいるのを止めようとは、思わない。うるさいだけ、やかましいだけ。青葉にはなんのメリットもデメリットもないのなら、それを止める理由などどこにもない。


 青葉は手元の紙コップにウーロン茶を継ぎ足してそれを一気にあおると、新しい紙コップと自分のそれにウーロン茶を注いだ。しかしそれらを飲み干すことはなく、離れた場所でドラム缶に寄りかかりながら主役そっちのけで騒ぐメンバーを眺めている、竜ヶ峰帝人のところまで持って行って差し出した。


 「お茶飲みますか、先輩?」


 「ありがと、青葉君」


 帝人がそれ以上言わないのをいいことに、青葉は彼の隣にそっと立つ。しかし黙ったまま空気のように振る舞うつもりなど毛頭なく、「うるさいですよね、あいつら」と声をかける。もちろん、帝人が喧騒から逃げてきたのだと、百も承知の上で。


 「せっかく先輩の誕生日だってのに。いいんですか、先輩。主役がこんなとこにいて」


 「さすがにあの中に突っ込んでいく勇気はないよ。ていうかまさか青葉君たちがこんなパーティー開いてくれるとは思わなかったなあ」


 「だって」


 あいつらだけずるいじゃないですか、という本音は作り笑いの下に隠す。青葉が「先輩の誕生日なんですから。ま、本当は当日にやりたかったんですけど」と唇を尖らせると、帝人は困ったように笑った。何も言わない。否定も肯定もしない。


 青葉はその日帝人が闇医者主催の誕生日パーティーに呼ばれていると知っていた。だからその日に青葉が誕生日パーティーをやると言っても、帝人は絶対来てくれなかっただろう。先約とか、そういう問題ではない。帝人の中の優先順位がまるで違うのだ。青葉は帝人の中での自分の位置を正確すぎるくらいきっちりと知っていた。知らされていた。他の誰でもない、帝人自身によって。言葉ではなく行動で、嫌になるくらい知らされていた。青葉は帝人の視界の片隅にもいないのだと。その価値すらないのだと。


 青葉は別に悲しまなかった。悔しくもなかった。当然だと思った。青葉がしたことを想えば当然だった。ブルースクウェアが誰に何をしたのか、知らない帝人ではないし、わからない青葉ではない。


 「あ、そうだ先輩。なにか欲しいものありますか? 誕生日ですし、プレゼントしますよ」


 「え、いいよ。そんなにしなくても」


 「遠慮しなくていいですって。それで先輩は、何が欲しいんですか?」


 それは嘘だった。否、正確に言うのならば、贈り物をするつもりはあった。それ自体は嘘ではなかった。ただ、帝人に何が欲しいかと尋ねた、その行為が嘘だった。本当は知っていた。帝人が喉から手が出るほど欲しいもの。帝人がずっと求めているもの。青葉は全部知っていた。


 それはいわゆる地雷と言うやつで、青葉はそれが帝人の地雷だと知った上で、そこへ踏み込んだ。例えるのなら先ほどの青葉の行為は、肉をえぐる地雷がたくさん埋まったお花畑の上でタップダンスを踊っているようなものなのだ。


 帝人は黙って青葉を見た。そこでようやく、向こうの馬鹿騒ぎから視線を外して、青葉を見た。その瞳は冷たかった。ドライアイスのほうがまだいくらか温かみのある瞳だった。顔は笑っていたけれど、瞳は全く笑っていなかった。氷でできた錐のような瞳で見られて、青葉は恍惚とした。


 「君が、それを、言うの?」


 サバンナなどで捕食される草食動物はこんな気持ちなのだろうかと、うっかり共感できてしまいそうになった。今の青葉は喉元に牙を突き付けられた草食動物だ。動けば牙が皮膚を貫く。


 青葉は帝人の欲しいものを知っていた。別に帝人の口から言わせようとしたわけではないが、そう思われても仕方なのない行動だった。その結果、帝人を怒らせてしまった。だがそれを失敗だとは思わない。こうでもしなければ、帝人は青葉の方を向いてくれないのだから。


 帝人はいつだってたったひとつしか見ていない。懇意にしている闇医者夫婦も、憧れている池袋の喧嘩人形も、共にいる園原杏里も、頼っている情報屋も、帝人は見ていないのだ。もちろん青葉のことだって見てはいない。だからこうして振り向かせるしかない。


 自分を見てくれなくてもいいと、青葉は笑う。


 その代わり、決してその両目に誰も映さないでほしいと、青葉は考える。


 帝人が青葉を見ていないけれど、青葉以外のものだって見ていないから、このままでいいと、青葉は満足する。確かに帝人はたったひとつをがむしゃらに見つめ続けているけれど、それはただの理想にすぎなくて、帝人が現実を見ようとしない限りどれだけ手を伸ばしたところで触れることのできないものだから、このままでいい。


 帝人には二択しか許さない。青葉しか見ないか、全てを見ないか。青葉を見ないのならなにも映さなくていい。何も映さないのなら、青葉を見てくれなくてもいい。たったひとつのものにしか価値を見出さないのなら、青葉はその他大勢の中で無価値のまま放り捨てられていてもいい。


 やがて何かを諦めたかのように、帝人は青葉から視線をそらした。口をつけていない紙コップをドラム缶の上において、ふらりと身体を出口の方へと向ける。


 「じゃ、ぼく帰るね。あとは好きにしていいって、皆に言っといて」


 青葉の方を一瞥もせず確固たる足取りで進んでいく帝人の背中を見て、青葉はにぃ、と唇の端を吊り上げる。


 「先輩」


 「なに?」


 「誕生日、おめでとうございます」


 帝人は足を止めなかった。振り返ることすらしなかった。けれどその言葉を告げた瞬間、ほんのわずかだけ、帝人の肩が震えた。それだけで青葉には十分だった。


 完全に見えなくなった背中に向けて微笑をこぼすと、青葉は手にしていた紙コップの中身を全て胃に流し込んだ。猛烈に喉が渇いていわけではない。ただ、なにかで蓋をしておかないと、おかしくておかしくて笑い死んでしまいそうだからだ。


 帝人の言葉は剣だ。帝人の視線は槍だ。帝人の腕は鞭だ。帝人の足は矛だ。鎧や盾なんてもの、帝人は持っていない。だから傷だらけで、血だらけで、滑稽だ。いつになったらそのことに気づくのか。もしかしたら一生、気づかないのかもしれない。帝人はそういう人間だ。


 「あれ、青葉、リーダーは?」


 「俺が気に入らねえから帰るって」


 「おま、主役帰らせんじゃねーよ!」


 魔女が煮詰めた鍋のような物体を囲っている仲間が叫ぶが、青葉はくすくすと笑うだけで相手にしない。青葉はこれ以上ないくらい笑っていた。可笑しそうに、侵しそうに、冒しそうに、犯しそうに。笑って哂って、嗤っていた。





 





 他の全てをっても笑える、ただ僕は、きみありて幸福











写真はプリザーブドフラワー屋が作ったフリー写真素材集様よりお借りしました