この関係をなんと呼ぼうか?
「ねぇ、刹那って彼と付き合ってるの?」
放課後の静かな図書室に相応しい音量で囁かれたそれに俺は反応できなった。ネーナの興味津々な視線が容赦なく俺に突き刺さる。俺はネーナの言う『彼』が誰だかわからなくて、黙ったまま宿題のプリントに答えを記入していると、痺れを切らしたネーナが下敷きでパコパコと俺の頭をはたいた。
「もう、無視しないでよ!」
「痛い。・・・・もしかして、彼ってハレルヤのことか?」
「もしかしなくても、他に誰がいるってのよ。毎日毎日刹那の帰りを下駄箱で待ってるような一途な子」
半信半疑で尋ねたが、当たっていたようだ。泣く子も黙る不良のハレルヤを『一途な子』と表すネーナは頭がどうかしているじゃないだろうか。
「俺もハレルヤも男だぞ」
「そんなの、見ればわかるわよ。あーでも刹那女装似合いそうね。今度やってみない?」
「謹んで辞退する」
「えぇー似合いそうなのに。・・・なんか話がずれたわね。今時男同士や女同士なんて珍しくないわよ。そーゆーの好きな子の間じゃ、今一番話題なのは刹那たちなのよ」
初耳だ、そんなこと。そういった同性愛者を好む女子が存在するのは知っていたけど。この前クリスティナが騒いでいたし。
「ねー本当に付き合ってないのぉ? 実は私、そういった女の子たちから『さりげなく聞いてきて』って頼まれてるんだけど」
唇を尖らせたネーナがしつこく尋ねてくる。今のやり取りのどこが『さりげなく』なんだ。あと今自分からバラしたのはいいのか?
そんなネーナを無視して俺は天井近くの壁にかけられている時計を見た。四時五十分。そろそろ帰ろう。
すばやく荷物をまとめて立ち上がった俺にネーナがあせったような表情を見せる。
「え、もう帰っちゃうの? まだ教えてもらいたい問題があったのにー」
「ヨハンかミハエルに教えてもらえ」
「ヨハ兄は仕事が忙しいし、ミハ兄は頭悪いからこんなのできるわけないじゃない」
「自力で解け。参考書を見れば公式が載っているはずだ」
「その公式だってわけわかんないのにー。もーいい、明日の朝刹那の写させてもらうからね」
俺の意思とは無関係に宿題の対処法を決めたネーナは「バイバーイ」と手を振った。俺も急いでいたので、明日云々は無視をした。俺がどれだけあがいたってこの少女には勝てないのだから。
誰もいない廊下を走って階段は面倒なので三段飛ばして駆け下りた。最後の一段は着地が上手くいかなくて足がジーンとしびれた。くそ、かっこわる。
ようやく見えてきた下駄箱の壁に、寄りかかって暇そうにケータイをいじっている男を発見。
「ハレルヤ!」
「刹那、おっせーぞ」
声に気付いたハレルヤが叫んだがたぶん怒っていない。だって顔笑っているし。
乱れた呼吸を整えるために深く深呼吸。俺がだいぶ落ち着いたのを見計らってから、ハレルヤが「行くぞ」と言った。
ハレルヤは俺より一つ学年が上で、部活動もしていないから本当ならもっと早くに帰れるはずだ。今日だって「ネーナと図書室に寄るから遅くなる。先帰っててもいいぞ」と言っておいたのに、わざわざ下駄箱で俺を待っているから、ああしてネーナ達の話題の的になるんだろうな。
「図書室で何してたんだよ?」
「数学の宿題。明日までなんだ」
「刹那んとこの数学の担当ってスミルノフだっけ? あいつ厳しいからなー」
「でも授業分かりやすいし、テスト前には出やすい問題をまとめたプリント作ってくれるし、いい先生だと思うけどな」
「俺は何度もあいつに指導室に連れて行かれた」
「それはハレルヤが悪いんだろ」
どうせ屋上かどこかで隠れてタバコでもすっていたに違いない。それを指摘するとハレルヤはばつが悪そうに顔をしかめた。図星か。
「刹那、俺ん家寄ってかね? この前借りたマンガ返すからさ」
「わかった」
ハレルヤの家。ドクリ、と俺の心臓が鼓動するのが分かった。だって、もしかしたら『あいつ』に会えるかもしれない。
少しだけ、ほんの少しだけ、俺の歩く速度が早くなった。
もう何度も足を踏み入れたハレルヤの家。ハレルヤがマンガをとってくるまでの間、俺はリビングで待っているように言われた。テーブルの上には紅茶と開封されていない饅頭のセット。茶でも出したかったが淹れ方が分からず、自分で勝手にやってくれということなのだろう。こんな大雑把な歓迎もこの家に通ううちにすっかりなれた。だけど紅茶に饅頭はどうかと思う。
饅頭をかじって紅茶を一口飲んでから、俺は勢いをつけてソファーにダイブした。スプリングがきしんで音を立てたが気にしない。ハレルヤが来るまでマンガでも読んで暇をつぶそうと、辺りを物色し始めたときだった。
バタバタと誰かが階段を下りてくる音。きっとハレルヤだ。部屋が散らかっているから見つけるのに時間がかかるかもしれない、と言っていたが思ったよりも早い。
「ハレルヤ、マンガはみ」
「あれ、刹那来てたんだ」
入ってきたのは、銀の左目以外ハレルヤと全く同じ顔をした男。
「久しぶりだね。ハレルヤを待ってるの?」
「あ、ああ・・・・」
心臓が爆発するんじゃないかと思うくらいうるさい。まともに言葉が出せない。あぁ、なんてかっこわるいんだ、俺。
ハレルヤの双子の兄弟、アレルヤ。双子なくせに、劣等生の見本のようなハレルヤとは違ってアレルヤは優等生の見本のようだ。なんでここまで性格が違うのかと皆頭を悩ませる。
へらへらと笑っていたアレルヤは、テーブルにあるかじりかけの饅頭と紅茶を見た瞬間顔をしかめた。
「うわ、紅茶にお饅頭? 変な組み合わせ。ハレルヤだね?」
英国と日本文化の奇妙な組み合わせを出した相手を瞬時に判断したアレルヤは、がさがさと台所の戸棚をあさると「はい、これ」と俺にクッキーを差し出した。
「紅茶にお饅頭じゃ辛いでしょ? 食べる?」
「もらう。・・・・・ありがとう」
やっとの事で搾り出した声。震えていないだろうか? 変に聞こえてないだろうか? そんな俺の不安など知らず、アレルヤは微笑んだ。
「どういたしまして」
にっこりと、やわらかく。
こんなの、反則だ。
やばい。顔が熱くてたまらない。心臓が爆発しそうだ。駄目だ、これ以上は、耐えられない。
「お、俺、ハレルヤのとこに行ってくる!」
猛ダッシュでアレルヤの脇を通り抜け、ハレルヤの部屋へと向かう階段の踊り場にずるずると座り込んだ。両手で顔を包みこむと、頬が火照っていたのがわかった。きっと、今の俺の顔は情けないくらい真っ赤なんだろうな。
リビングを出る瞬間見えた、アレルヤの呆気に取られた顔。なにしてんだ、俺は。でも、あれ以上あそこにいたら、きっと耐え切れなくなってた。
あんな風に、笑わないで欲しい。できれば俺に優しくしないで欲しい。
愚かな俺は希望を抱いてしまうから。いつか、想いが叶うんじゃないかと。いつか、傍にいられるようになるなじゃないかと。
そんな願い、叶いっこないのに。
「刹那?」
頭上から聞こえた声に顔を上げるとハレルヤがいた。マンガを持ったまま、怪訝そうな顔で俺を見つめている。
「刹那、何があった?」
心配そうなハレルヤの声。俺は慌てて外見を取り繕うと、「大丈夫だ。マンガ、見つかったみたいだな」と答えて立ち上がろうとした。
「刹那」
ぐい、と手首を掴まれた。ハレルヤは見たことがないくらい真剣な顔をしていた。あ、違う。この顔は、この表情は、前にも一度だけ見たことがあった。
「大丈夫か、なんて俺は訊いてねぇぞ」
ハレルヤの指が俺の頬に触れた。そのまま、指は俺の顔を滑って目じりへたどり着く。
「泣いてたのか?」
「違う」
「嘘つけ」
ほら、とハレルヤが見せた指先は濡れていた。恐る恐る、俺は自分の頬を触った。
そこは濡れていた。
「え・・・」
何で? 泣くつもりなんかなかったのに。悲しいことなんか、なかったはずなのに。
わけが分からず呆然としている俺を見て、ハレルヤは大きく舌打ちした。すると突然掴まれていた手首を引っ張られて、気付けば俺はハレルヤの腕の中にいた。
「っ!? ハレルヤ!?」
「やっぱ、俺じゃ駄目なのかよ・・・・」
耳元で囁かれた言葉に、俺は何も言えなかった。
背中に回された腕を俺は拒めない。だって、俺自身がそう告げたから。あの日、今みたいに真剣な顔をしたハレルヤに告白された日に。
『俺はお前を愛さない。だけど、それでも俺の傍にいたいんだったら、好きにすればいい』
だって、ハレルヤの気持ちを否定してしまったら、それは俺自身の気持ちも否定することになるから。
だから、俺にこの手を拒む権利なんてないんだ。
辛そうに顔をゆがめたハレルヤは何も言わなかった。何も言わないまま、黙って俺の傍にいる。俺は黙ってそれを受け入れている。
ゆっくりと背中に回された腕を解いて、俺はハレルヤの腕の中から出た。何か言いたそうな、それでも何も言わないハレルヤの手からマンガを取って階段を降りた。
「じゃ、マンガ持っていくから」
玄関で靴をはいて、そのままドアを開けた。ハレルヤはまだ階段の踊り場に立っている。
「また明日な」
「・・・おう」
結局、俺たちは一度もお互いの顔を見なかった。
また明日。どこで何があろうとまた日は昇る。また明日が来る。昨日と何ら変わらない明日が。
それでいいんだと思う。全てなかったことにして、何もかも見なかったことにして。ハレルヤの苦しそうな呟きでさえ、俺は聞かなかったことにして。
そうでないと、俺は耐え切れそうにないから。
お互い、叶うはずのない想いに踊らされるがまま。
お題は群青三メートル手前さんよりお借りしました。