たびたびメールや電話のやり取りはあったものの、よく考えてみればこうして顔をあわせるのは半年ぶりではないだろうか。出会ったのはもう四年ほど前だが、当時と何ら変わらない童顔っぷりを誇る目の前の彼は不老の心得でもあるのかと問い詰めたくなった。じぃ、と夜中に私服で歩いていると二回に一回は補導されるという彼の顔に視線を集中されていると、さすがに鬱陶しかったのか、手元の紙切れから顔を上げて似合わない深い皺を眉間に形成された。
「うん、邪魔しちまった?」
「ええ、さすがのぼくも顔に穴が開くほど見つめられて集中できるほど神経図太くできていないんですよ。ていうか気付いてやってました? 返答によっては怒りますよ、千景さん」
笑顔で青筋を立てるという、なんとも器用としか形容しようのない芸当をやってのけている彼に、千景は両手を頭のあたりまで上げて降参の意を示す。もちろん彼の言葉が冗談だということも純粋な殴り合いなら自分のほうが圧倒的に有利だということを彼が熟知していることも承知しているが、それでも四年かけて築き上げた友好関係にひびをいれたくなかった。
「帝人はなんにも変わんねーって思って」
「どうせ童顔ですよ」
言われ慣れているのか、帝人は慣れた仕草で肩をすくめた。そしてテーブルを挟んで反対側に座る千景に羨望と諦めが入り混じった眼差しを送る。
「千景さんはいいですよね。背も高いし、力もあるし、歳相応の外見だし」
「はいはい、ないものねだりは止めような」
二十も過ぎた帝人の身長がこれから伸びるとも考えにくい。彼の両親が小柄だったのかは知らないが、竜ヶ峰家のDNAなのだと思って諦めるしかないだろう。注文したウーロン茶をすすりながら、千景はファミレスでそーゆーのを注文するのも歳不相応さを増大させているのだろうなあと帝人が目元を緩ませながら口に運んでいるイチゴパフェを眺めた。
「で、ご注文の品はそれでよかったのか?」
帝人の手に握られている、手のひらサイズの紙切れを指差す。我ながら汚いなあと思わざるを得ない字体で細々と書かれている内容に、帝人は満足そうに目を細めた。
内容はたいしたものではない。千景が知りうることができる範囲の、暴走族とその背後にいる団体のリストとその活動地域だ。電話で正式な依頼として帝人に頼まれたものだが、暴走族の長から足を洗って久しい千景にとっては昔を思い起こして胸になんともいえない感慨を呼び起こす仕事だった。
「わざわざすみませんね。本当はぼくが埼玉まで行くのが筋なんですけど」
「いいって。東京と埼玉なんて近い近い」」
気にしていない、と千景は笑う。報酬だと帝人が渡してきたそれなりの厚さの封筒を断わって、代わりにテーブルの隅に置いてある伝票を渡した。それでもまだ帝人が不服そうな顔をしているので、千景は代わりってわけじゃないけど、と前置きして小話かなのかのように切り出した。
「なんでそんなのを俺に頼んだか、聞かせてもらえたりする?」
その瞬間帝人が笑顔のまま黙ったので、千景は内心で失敗したと舌打ちした。踏み込んでいい領域を測り損ねた。ある一線を越えなければ帝人は穏やかな好青年だが、ずかずかと不法侵入してきた者には容赦がない。
「・・・・・・言えないならいい。忘れてくれ」
「いえ、別にいいですよ。がんばってくれたのは千景さんですしね。フェアじゃないのは、ぼくも好きじゃないですから」
予想外の答えに千景は瞠目した。相変わらず帝人は食えない笑顔のまま、千景の動揺など華麗にスルーして口を開きだす。
「まあ、ぼくも頼まれた側なのでそれほど知っているわけじゃないんですけど」
帝人は銀色の柄の長いスプーンで一口、イチゴパフェのアイスを口に入れる。
「暴走族の後ろ盾はご存知の通りだいたいがヤのつく自由業の皆さんです。そこにはちゃんと縄張りも存在しますし、暗黙ながらもルールが存在します。破ったらコンクリートと抱き合いながら東京湾にダイビングなんて素敵なことになっちゃったりします」
「無理して可愛らしくすんなっつーの」
「それで、ちょっと最近羽目を外しちゃってきているチームがあったんですよ」
千景の突っ込みは道端の石ころ同然に無視された。
「まあそのチームがどうなったかは千景さんのほうがお詳しいですよね」
安易に想像がついた千景はむっつりと押し黙ったまま頷いた。なにをしたのかは知らないが、背後にいる団体に見放された暴走族の結末は悲惨なものだ。良くて袋叩き、最悪は先ほど帝人が述べたようなダイビングツアー。
「それでその一件は片がついたんですけど、調べてみたらまあぽろぽろと不祥事がでてきまして。元々叩けば埃の出るものですけど、さすがにこれはマズいってことで大掛かりな見直しが決定されたんです。千景さんに頼んだのはその下準備です。さすがにぼく個人では手に入れられないものなので、ほんと助かりましたよ」
確かにこういった団体は縄張り意識が強い。下手に帝人が探りを入れても何も出てこないどころか耳元で騒ぐ蝿のように叩かれるだけだ。それを考えれば、帝人が千景に依頼したのは正解だ。あいかわらず、どんな手をどのように使えば最も効率的にできるか彼は心得ている。
千景は帝人にこの調査を依頼したであろう団体になんとなく気がついて、しかし何も言わずにふぅんと興味なさそうに相槌を打った。
「つーかお前、それ仕事にしちまえばいいのに」
「え?」
最後の楽しみとして取っておくのだろう苺をさけながらパフェを食べていた帝人が、目を瞬かせながら千景を見る。
「だってお前、その依頼だってダラ−ズ云々で受けたんだろ?」
「はい。貸しを作っておいて損をする相手ではありませんでしたから。カラーギャングとしては、地元に影響力のある方々とは仲良くしておきたいですし」
「だったらそーゆー調査会社みたいなの、作っちまえばいいのに」
千景は結露でびしょびしょになったコップを意味もなく指で弾く。かん、と安っぽいガラスの音がした。
千景としては前々から思っていたことを口に出しただけだ。こんなふうに依頼などを受けるのなら、いっそのことそれを仕事にしてしまえばいい。帝人は情報操作が得意だし、千景の記憶が正しければ彼は就活真っ最中なはずだ。
呆けたように千景の言葉を聞いていた帝人は、少し間を置いて、ぷっと軽く吹きだした。
「そっか、そうですね。それもいいかもしれませんね」
「お前が就職かあ。会った頃はまだ高校生だったのにな。絶対スーツとか似合わねえよ、お前。保障してやる」
「千景さんがチームから足洗ってちゃんと就職したことと比べればなんてことはないですよ」
さらりと返ってきた言葉にぐうの音も出ない。お返しと言わんばかりに帝人のパフェの苺をつまんで口に入れようとしたら、テーブルの下で足を思い切り蹴られた。じろり、と露骨に嫌悪を瞳に出した帝人に千景は苦笑する。
「人のものに手を出さないでもらえますか」
「いいじゃん、苺くらい」
「嫌だから足を蹴ったんですよ」
それもそうだよなあと千景は納得する。二十歳も越えたいい大人がたかが苺でここまで不機嫌になるのもどうかと思うが、彼は昔からどんなささいなものでも取られることを嫌がった。
「帝人は変わんねーな」
「二度目ですね・・・・・・顔はともかく、最近はちょっと変わったって言われるようになったんですけど」
「全然変わんねーよ」
性格も顔も動作も仕草も言葉も台詞も口癖も目的も目標もやってることもやりたいことも見ているものも歩いている道も犠牲にしているものも、全部。
異色のカラーギャングを創りあげた者として会った四年前から、彼はどこもなにもどんなふうにも、変わっていない。
「ま、俺はそのままのほうがいいけどな」
「・・・・・・それは性格がってことですよね? 顔のことじゃないですよね?」
「さあな」
煙に巻いたような言い方をすれば、帝人はなんとも言えない微妙な顔をする。千景は行儀悪いなあと思いながらもテーブルに両肘をつけて身体を乗り出すと、怒るべきか受け流すべきか迷っている帝人の顎に指を這わして目線を合わせた。
「帝人は俺がお前のこと、少しは気に入っているって思ってるだろ?」
「・・・・ええ、まあそれなりにうぬぼれてはいますよ」
「けど実際は、お前が思っている以上に俺はお前のことを気に入っているんだ」
至近距離で笑う。驚きも戸惑いもうろたえもしない帝人の瞳には、心の底から楽しそうに笑う男が映っている。
「そーゆー台詞はハニーさん達に言ってあげればいいじゃないですか」
「俺は帝人だから言ってんの」
さらりと言うと、帝人は困ったように視線をさまよわせた。そこは頬を赤らめる場面だろうと千景が突っ込もうとしたところで、帝人がおずおずと口を開いた。
「千景さん、大変申し上げにくいんですけど、今すぐ音速の速度で埼玉に帰ったほうがいいと思います」
「へ? なんで?」
「たぶんですけど、盗撮されてますから、ぼく」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はぁ?」
思わず固まった千景をよそに、帝人は疲れたように深く深くため息をついた。そしてあそこです、と千景の後ろの天井を指差す。
「あそこに監視カメラがあるでしょう?」
「あるけど、あんなんこーゆーファミレスじゃふつーにあるだろ」
「ぼくの義弟にひとり、ぼくと同じくらい機械に強い子がいましてね」
そして機械に強いのと同じくらい嫉妬心もすごかったりするんです、と帝人は引きつった顔で言う。千景は彼の義弟とは静雄のほうとしか面識がないので、帝人の言うもうひとりの義弟が誰なのかわからない。
「今日ファミレスで千景さんに会ってくるって言ったらものすごく拗ねたんですけど、なんかもう面倒だったので放置してここに来たんです。ですからたぶんぼくがいきそうなファミレスの防犯カメラ、パソコンから介入してチェックしているんじゃないですかね。ていうか前やられましたし」
そんな奴放置してくるなよ、と千景は心の中で叫んだ。唇から音として発したところで今更過去に戻れるはずもないので無駄だとわかっていたが、それでも控えめな主張して唇を動かさずに不満をぶちまける。
「・・・・・・・・本当か?」
「本気です」
帝人が真面目に頷いたので、千景も只事ではないと席を立つ。すみませんね、と全く謝罪の意思が感じられない声色で帝人は形すら形成されていない謝罪をする。謝る気ないだろ、とねめつければ帝人は仕方ないですよと肩をすくめた。
「過度なスキンシップをした千景さんの自業自得でしょう?」
「うわー辛辣なお言葉」
それでも千景は楽しそうにくつくつと笑った。
「今度はちゃんとデートしような」
「ハニーさん達に背後から刺されても知らないですからね」
「大丈夫、ハニーたちは心が広いから」
千景は別れの言葉代わりに手を振る。これっきりではないとお互いわかっていたから、さようならなど言わない。次がいつかはわからないが、四年かけて築いたものは脆いものではない。外の駐輪場に停めてあったバイクにまたがって店内を見ると、窓際の席で帝人が幸せそうに苺を口に運んでいた。それを見て千景はイチゴ狩りってどこでやってるんだっけと考えながら、聞き慣れた重低音と排気ガスを噴出す愛車のハンドルを握りなおした。
深海にて背徳に敬礼
お題は歌舞伎さんよりお借りしました。