子供が誇らしげに差し出したそれを一粒取ってしげしげと眺める。そこらへんのスーパーや駄菓子屋で簡単に買えるそれは、異国の風習と逞しい菓子商業の利益を一緒くたにして鍋でどろどろに煮詰めてできた今日という日に異性からもらうと男としての威厳とかその他モロモロが上がるらしい。この子供のことだから誇張表現が若干入っている可能性も否めなくもないのだけれど、ここ最近十年単位で引きこもり生活(現代風に言うとにーと? 別名『自宅警備員』だと子供がなんか語っていたなあ。こういう場面にじぇねれーしょんぎゃっぷ、を感じざるを得ない)に勤しんでいたぼくには、何が正しくて何が間違っているのか指摘する資格も知識もない。


 同級生の異性から帰宅時にもらったのだという、明らかに手作りだとしてるそれら自慢げにぼくに渡してきた子供は、今は昼食時の壮絶なジャンケン大会の末に勝ち取ったプリンを苔の生えた石に座って足をぷらぷらさせながら堪能している。厚い紙を折りたたんで作られた匙で器用にプリンを掬うその手つきには素直に感心する。いや、ね、ああいうよくわからない代物って、地味に苦手だったりするんだよね。一回だけ使わせてもらったけど、どこを折りたたむのかわからないし上手く掬えないしすぐに唾液でふにゃふにゃになって使えなくなるし。


 「廊下とか窓とか全然違うほうばっか見ながら俺にぐいぐい渡してきてさーお礼とか言う前に走ってどっか行っちゃったんだぜーあれは完全に俺にホレてたねいやぁ今日も絶叫調で罪作りなお」それは挙動不審とも言うんじゃないだろうか。


 「それをぼくがもらってもいいの?」


 「いーのいーの! 俺はこれから先もらえる可能性山の如しだけど、帝人はわっかんねーじゃん」


 「なんだかなあ・・・・」


 間違ってはいない子供の言い分。確かにまあ、この先どれだけ時間を浪費しようともぼくが異性からそういう理由で菓子をもらえる日はこないだろう。ていうかまず人に会わないし。


 ぼくは明日死ぬために今日生きていて、


 彼は明日生きるために今日生きている。


 それがぼくとこの子供の、ちっぽけだけど大きな違い。他にも色々あるだろうけど、それはまあ棚の上にでも放り投げて埃をかぶせておく。


 「あと俺からもチョコあるんだけど、いるー?」


 「君、いつ性転換手術しにタイへ行ったの?」


 「いわゆる友チョコだっての」


 異性からもらうと男としての威厳やその他モロモロが上がるらしいけど、同性からもらった場合何が上がるのやら。むしろ下がるのか? と疑ってみる。義理チョコだの友チョコだの義務チョコだの、なんだか知らない間に『いわゆる』が多すぎて流行から絶縁されているぼくにはさっぱりついていけない。


 今更だけど、この子、学校終わってすぐここに来たんだろうなあ。学校なんて遠目に眺める程度の存在だから今の教育現場で何を教えているのかは知らないけれど、せめて寄り道しないでまっすぐ家に帰りましょうぐらいのことは耳にたこどころかイカが生えてくるぐらいまで教え込んでほしいものだ。


 子供が用意したあからさまに駄菓子屋とかで売っていそうなちっちゃいブツは後回しにして、ぼくはつまみあげた手作りっぽいそれを気軽に口に放り込んだ。砂糖とかココアとかバターとかを含んだそれが舌の上でねっとりと溶ける。舌を動かしてさらに溶かす。からみつく液状のそれを舌にからめて、徐々に小さくなっていく塊をなぶる。崩していった塊の中から出てきたモノに舌が触れた瞬間、顔色変えずにそれを嚥下したぼくを誰か褒めてほしい。


 舌がひりつく。歯がひりつく。喉はひりつくだけじゃなくて塊を無理矢理飲み下したせいで痛みすらある。脳が危険を訴えてきたせいなのか、後から後から唾液が溢れてきて、それがさらに口内にこれらの味を広げてしまうからもうひたすら苦しい。熱を含んできた目頭からは生温かい液体が漏れ、鼻から抜ける刺すような刺激に吐き気がする。なにこれ、化学兵器?


 思わず子供のランドセルの横にぶら下がっている水筒を奪い取って、中身を一気に喉へ流す。唇の端から飲みきれなかった麦茶がこぼれるけれど、そんなことに構っている余裕などミクロン単位でないので当然無視。けれど呆気にとられている子供の額にデコピンを進呈するくらいの余裕はあった。余裕っていうか意地だった。


 「生魚だったら正解だったのに」


 「は?」


 「わさび入ってたんだけど、これ」


 しかも、けっこう大量に。もしかしたらこれを作った女子生徒が菓子と生魚を間違えてしまったという可能性も、今この場でぼくめがけて隕石が正確に落ちてくる可能性と同じくらいありえそうだったので一応尋ねてみたけれど、野球ボールがすっぽり入るくらいの大きさまで口を広げた彼の表情から判断して、そんなお茶目な理由ではなさそうだ。


 最も有力な理由候補は私怨。明確な敵意。触れれば裂ける害意。在るだけで疎まれるものの存在を、きっとこの子供は知らない。時代がそうさせたといえば、美談にでもなるのだろうか。


 「その子、普段から親しかったの?」


 「いや、全然。話したことなんてあったっけ? なかったような・・・・・あ」


 子供の語尾についた、不吉な「あ」。話してごらんと視線で促すと、子供は苦笑と照れと怯えを潰し合わせたような表情でぼくを見た。


 「前に校庭で野球してたらさー、俺がすっとばした超ゴーカイ☆ホームランが隣のクラスの花壇にずぼって埋まったってことがあってさ。その時に何本か花をへし折ったつーぁ巻き添えにしたっつーか陥没させたというか」


 「要するに、花壇を荒らしたわけだ、君は」


 おそらく、その女の子が何らかの形でその花壇に関わっていたのだろう。もしかしたら、この子供が台無しにした花を育てていた張本人サンなのかもしれない。まあそんな過程はどうでもよく、見事恨みを買ったこの子は、ワサビ入りチョコをプレゼントフォーミーされたわけだ。よくよく考えなくてもどこをどう見ても、ぼくは完全な被害者なんだけど、これ。


 人の恨みを買っておいてワサビ入りチョコレートで済んだのは、まあ直接被害をこうむったのはぼくだけど、軽傷ってとこだろうか。使われているワサビの量は半端なかったけど。


 いっそ、青酸カリでも入れてくれてたら、と思った。その程度じゃ死ねないってわかってはいるけれど、それでも混入されるんだったら、ワサビより劇薬のほうがいい。もしかしたら、あっさりと死ねるかもしれないし。


 「あーちっくしょう、よりにもよってバレンタインに復讐とか、アリエネー」


 「むしろバレンタインだからこそ、じゃないの」


 被害者と加害者の間で被害の程度が一致することなどありえない。どうしたって被害者は重く、加害者は軽く測ってしまう。その復讐の程度もまた同様に。その少女にとって、今日という日にこの手段をとったことが、最も釣り合いのとれる復讐方法だったのだろう。


 怨恨の晴らし方は昔から変わらない。年の差も男女の差も時代の差も、復讐の前には全てが等しくなる。


 大打撃から蘇生しつつある喉に、今度は市販のブツを投下してみる。なんてことはない、縁起を担いでるのかそうでないのか微妙にわかりにくいネーミングをした、貨幣型のチョコレートだ。薄いそれを歯でぽきんと折ると、みるみるうちに溶けて粘性のある液体になる。


 これこそが本来のチョコレートであるはずなのに、ぼくの舌は先ほどの異物のせいで甘味に過剰反応しやすくなっているみたいで、余計に甘さが際立つ。嫌いじゃない。けれど、好きだとも美味しいともいえない。


 「美味い?」


 「ほどほどに。ていうか、売ってるやつなんだから君が誇ることじゃないよね」


 食べるという行為がぼくの生命活動を維持する上でとりたて重要ではないということに気がついてから、食品は全て灰でもぶちまけたかのようにうすぼんやりとしたものになった。何を食べても美味しいとも不味いとも思えず、ただ、甘いなとか苦いなとか感じるだけ。なんとも食べさせ甲斐のない奴だと、自分でも思う。


 そんな反応を不満に思ったのか、彼の頬が空気を入れた風船のようにぶくっと膨らむ。冬眠前のリスが左右の頬に食べ物を詰め込んだ直後の姿に似ていた。


 「だったら、来年はもっとスゲーの用意して、絶対帝人に美味いって言わせてやる!」


 がっと天に向かって握りこぶしを突き出して、宣誓のように彼は言う。いや、宣誓というよいりは、宣言に近い。一年後もまた同じ日を迎えるのだという、決意。


 「・・・・・・・・あのさ、君は忘れてるっぽいんだけど、ぼくは死にたがりなんだよ? 来年はって言うけど、その時ぼくは死んでる可能性だってあるんだからね」


 もう気の遠くなるくらい生きてきたから、今更たった一年が地獄だとは思わない。地獄というのなら、この心臓が動いている一分一秒こそ、まさにそれだ。けれどまた一年生かされるのかと思うと、げんなりと心が萎えてくる。


 とたんに子供の顔が丸めた紙のように歪む。死にたがりだって話した時からずっと、個の子供はぼくの死を悼む。


 「ヤだよ。帝人がいなくなるなんて、俺、ぜってー嫌だからな! 俺がここに来た時に帝人がいなかったら、俺は泣くぞ! ここらへんに川ができるくらい泣くぞ! それが嫌だったら死ぬなんて言うな!」


 わー、なんだかよくわからないけど、もしかしてぼく脅されてる? 僕が被害を被る内容が全く含まれていない脅迫なんて、新手すぎてついてけない。


 ほんの少しだけ、あの子のことを思い出した。彼と同じように、ぼくの死を悼むと言った子供。ぼくの傷を、痛いといって嫌がった子供。ずいぶん昔にぼくを置いて逝ってしまった子供。初夏の頃に出会った、忘れられない子供。


 ぼくが生きていける世を作るだなんて、大嘘を必死に事実にしようとしていた、小さな男の子。


 あの子はもういないのに、あの子の言葉だけが、今でも生きている。生きて、ぼくを縛り付けている。呪いのように。


 「俺が連れてってやるから!」


 べちん、とぼくの両頬を挟むように叩いて、いつのまに近寄ってきたのか、子供は無理矢理ぼくと視線を合わせる。連れてってやるを、叫ぶ。


 「天国に行けないなら、俺が連れてってやるからさ。だからひとりで行くなよ。ちゃんと待ってろよ」


 もうずっとずっと待ったのに、これ以上なんて、と思う一方で、もうずっとずっと待ったのだから、この子の一生分くらいなら、と考えてしまうぼくがいる。


 今までぼくが生き続けてきた時間に比べれば、この子の一生なんて瞬き程度の時間だ。決してそれが短いと言うわけではないけれど、待てないほど長くはない。共に歩けない距離では、ない。


 「それからさ、いいかげん君って呼ぶの止めろよ。俺だって帝人って呼んでんだから、正臣でいいじゃん」


 唇を尖らせて不満げに、呼び名なんて些細なことをさも重要そうに主張する。気づいているのかな、と一瞬だけ思った。長く隣にいるつもりなんてなかったから、ずっと、名前で呼んであげるつもりもなかった。


 呼んでしまったら、もう、きっと戻れはしないだろう。親しみを込めてしまえば、心が引きずられて、別れがどうしようもなく哀しくなるから。


 「・・・・・・じゃあ約束。正臣が死ぬときは、ぼくも殺してね」


 そして一緒に連れて逝ってくれるのなら。言葉にしない先を予想したのかはわからないけれど、子供はにこっと笑って、小さな手のさらに小さな小指を突き出した。慌てて自分のそれと絡めると、お約束の口上と一緒に力任せにぶんぶんと振り回される。


 触れているこの小さな手はいつか、ぼくのそれと同じ大きさになり、そしてあっというまに通り越して筋張った大人のものになって、やがて皺だらけの小さなものにたどり着く。そう変化できないぼく自身を呪いながら、小さく笑ってゆびきった、と囁いた。





 











お題は選択式御題さんよりお借りしました。