こんばんは、突然で悪いんだけど当分泊めてくれないかな。開口一番そう言ってのけた親友を部屋にあがらせながら、正臣はぷんぷん香る厄介事の気配にこっそりため息をついた。嫌な顔もする。けれど断わらないし拒まない。そういう仲なのだ。お互い寄りかかって支えあって生きてきた、生きていて、生きていく、そんな仲。
「帝人、お前飯食った?」
「ううん、まだ」
「じゃあ一緒に食おうぜ。ちなみに今晩はシチューだけど、文句は聞かねえから」
「正臣ってシチューかカレーしか作らないよね。あとはレトルトだし。いつか死ぬよ?」
「シチューとカレーなめんな。てか死なねえよ、野菜多めに入れてるし」
「心が死にそう」
人の夕食に散々ケチつけて、それでも食べないと言う選択肢はないらしい帝人が勝手知ったるなんとやらでちゃっちゃと夕食の準備をする。市販のルーを入れただけのお手軽シチューは今日も文句なしに美味しい。
「で、いきなりどうした?」
「それがさ」
かちゃかちゃとスプーンと皿が触れ合う音の合間に、正臣の声が響く。黙々とシチューを咀嚼していた帝人が、困ったように眉根を寄せた。
「臨也と静雄に襲われちゃって」
瞬間、噴出すのをなんとか押しとどめたシチューが口内で行き場をなくし、あろうことか気管へ流れていった。本来通るはずのないものが無理矢理通る形容しにくい痛みに正臣は盛大にむせた。
「大丈夫、正臣?」
げほごほと下手したら胃袋の中身を吐き出しそうな勢いでむせる正臣に、若干顔を引きつらせながらも心配そうに帝人が尋ねる。誰のせいだ、と叫びたかったが、今無理に声を出せば余計辛くなるとわかっていた。
「ゆっくり食べないと危ないよ?」
「お前、ほんとはわかって言ってるだろ」
「うん」
にっこり笑う、その瞳が全く笑っていないことに気付いて、正臣はシチューを口に運ぶ手を早めた。君子、危うきに近寄らず。今の帝人に楯突かないほうが良い。ボールペンで手に穴をあけられた後輩を思い出す。彼の場合、なぜか嬉しそうだったけど。
「正臣、眉間に皺よってる」
「誰のせいだと・・・」
「ぼくのせいだね」
でもぼくが苛ついてるのはぼくのせいじゃない、と帝人は笑う。怒っている時に笑うのは帝人の癖で、心臓に悪いその笑顔を正臣は心底やめて欲しいと思う。
「俺はやっとか、って思ったけどな」
帝人が嫌そうに顔をしかめる。無言はしかし、言葉の続きを促しているのだとわかっているので、正臣はシチューを咀嚼する口を一旦止めた。
「あいつらだって高校生だろ? もうひとりで考えて行動できる歳じゃん」
「仲が超絶悪いのに仲良く共同戦線まで張ってくれちゃってね。これで目的がぼくの貞操じゃなかったら涙流して喜べたのに」
あはははは、とどこか壊れたように笑う帝人に、小声でご愁傷様と囁く。正臣からしてみれば、異常にませたあの子供たちが10年も耐えてきたことに驚きだ。いつ貞操を奪われてもおかしくない状況で、それでもまだ無事な親友の姿に安堵の息を吐く。
帝人が12歳の時にやってきた、5つも歳の離れた双子たち。正臣もよく知っている。というか、いつも帝人と遊んでいた正臣はあの双子の被害者リストのトップに名前が記載されている。子供特有の嫉妬も、あのふたりの手にかかればそれは立派な戦争だ。実際何度か病院送りにされた。そして病院送りにした。ざまあみろ。
いつだってあの子供たちは全身全霊で帝人を愛していた。いつのまにか親愛が思慕の念に変わった。それがいつなのか、正臣にもわからない。ただ静雄はともかく臨也は苛立たしいくらい頭が良くてませた子供であったから、もしかしたら一目惚れの類だったのかもしれない。
臨也は頭が良かった。だからいち早く限界を迎えた。早熟すぎた子供は、己に返される愛が家族のそれであることに耐え切れなくなった。自分がいくら愛を囁いても、相手が自分を見てくれないことに苛立った。
遠からずいつか爆発するだろうと正臣は思っていた。それまでに帝人がなんらかの対策を講じられていれば帝人の勝ち、出来なければ双子の勝ち。見たところ、まだのらりくらりとかわして逃げ回っているだけで、なんの打開策も見出せていないようだ。
「・・・・・・臨也は性格が捻じ曲がって最凶に歪んでいて、静雄はいい子なんだけど沸点低すぎなうえにあの怪力。ふたりとも友達なんてほとんど作らないし作れなくて、いつもいつもぼくの後ろをついてきてさ」
かちゃかちゃと意味もなくシチューをかき混ぜながら、唐突に帝人が口を開く。
「義兄さんって呼んでもらえないことに悩んだ時期もあったけど、そんなの気にならなくなるくらいふたりともぼくに懐いてくれてね」
帝人の持つスプーンが、真っ白いシチューに沈殿するにんじんを小さく刻んでいく。
「そんなの可愛くないわけがないじゃないかっ!」
「なにその身内自慢!?」
かっと目を見開いて絶叫した帝人に全力で正臣が突っ込む。あの双子を可愛いと言えるのは世界中で帝人だけだ。
「そんな可愛い義弟たちに手を出せと!? あの子達まだ高校生なんだよ!? しかも身内! あの子達そんなにぼくを性犯罪者にしたいのかな!?」
ざく、ざく、ざく、と帝人は激情のままシチューの具材を切り刻む。ごろり、と転がったじゃがいもが無残にふたつにカットされたのを見て、正臣は頬を引きつらせた。手を出すのは双子の方であって帝人は被害者じゃないだろうかという突っ込みは、わが身可愛さゆえに投げ捨てる。
(しかし・・・・『まだ高校生』、ね)
帝人は気付いているのだろうか。問題なのは血の繋がりがないとはいえ彼らが家族で未成年だという箇所だけで、男同士だとか彼ら自身だとかそういった点はまるで否定していないということに。
まるで彼らが成人したのならなにも問題はないような、その台詞。
(気付いてるわけないか、帝人だし)
このままだといつか必ずその場の雰囲気に流される。双子に押し倒されるかなにかして貞操を奪われる。既成事実を作られる。そうなったらさすがに帝人も逃げられまい。
正臣は親友のことが大切だし、そのことを抜きにしても、昔散々な目に合わされた双子たちが嫌いだ。だから正臣はいつだって帝人の味方で、帝人の逃げ場だ。少なくとも帝人が自分の感情に向き合って、腹をくくるその日まで。
「ま、とりあえず当分は泊めてやるよ。ていうかいつまで?」
「うーん、とりあえず一週間くらいはお邪魔しようかなって。大学はここから通わせてね」
「いいけど、お前荷物どうすんだ」
「あのふたりの留守を見計らって取りに行く。ばったり会ってもマッハで逃げるから、手伝いよろしく」
「いえっさー・・・」
結局のところ帝人が誰と結ばれようがこのどたばた劇がどんな結末を迎えようが、帝人が笑っていられるのならなんだって構わないと、正臣はのんきにシチューを食べる親友を見ながらいつだって思うのだ。
何も言わない優しさと言えない弱さ
お題は選択式御題さんよりお借りしました。