「ぼくは畳の上以外の場所で死にたいです」
公園のベンチに座ってココアに頬を緩めながら飲んでいる帝人は、まるで死に際を悟った爺婆のような台詞を口にした。隣で同じように缶コーヒーをすすっていた静雄は、全く脈絡のないそれに思わず口内に流し込んでいたコーヒーを吹いた。プールで溺れた時に体験する痛みに近いそれが鼻に刺さり、静雄は盛大にむせた。
「静雄さん!?」
驚いてその瞳を大きく瞬かせる帝人に片手を上げることで無事を示し、静雄は音つこうと努力するその傍らで、帝人が言った『畳の上以外の場所で死にたい』という言葉の意味を考えていた。
「いきなりお前、何言い出すんだよ」
たっぷり五分かけてようやく落ち着きを取り戻した静雄は、きょとんと首を傾げる帝人に問う。帝人はなんてことないように、今日学校で死因の話をしたのだと言った。
「皆はいつか、病死か老衰で死にたいんですって」
「今のガキはそんな会話してんのか・・・・」
「たまたまですよ。授業で、人生の終わり方をテーマにした論文を習ったので」
だから自分の理想の死に方は何かと、そんな話題になったのだと言う。静雄は気のない返事を返しながら、やはり、隣の少年を奇妙だと思う。大方の人間が願う平穏な死に方を厭うその考え方もだが、なによりも池袋の喧嘩人形と疎まれる自分に対して、普通に隣に座って世間話をする、その在り方が奇妙だと思う。
彼はあまりにも小さくて、静雄が触れれば壊れてしまうのは本人の目にも明らかなのに。自分よりはるかに小さい帝人の姿とその唇から出た『死に方』という言葉は、静雄に嫌でも昔の記憶を掘り起こさせる。
初めて静雄がその手で何かを殺したのは、小学四年生になる前の、進級の喜びを胸に秘めて過ごしていた寒い冬の日であった。殺したのは当時クラスメート全員が交代制で面倒を見ていたうさぎのうちの、茶色や白の毛色が多い中で唯一黒と白のまだら模様をしていた一羽のオスだ。もう十年以上もの年月が過ぎている記憶が、それでも劣化せずに静雄の中に沈澱しているということは、それだけショックが大きかったということだろう。事実、その日以来静雄が小動物に触れられなくなったことを考えれば、その思い出はもはやトラウマと言っても差し支えない。
死因は圧死だった。しかし見た目で死因を決めるのならば、うさぎは轢死と判断されていただろう。
うさぎは静雄の手の中で、その黒と白の体毛がまるで元から黒一色だったのだと勘違いされるくらい黒ずんだ赤に染まって、すさまじい圧力によって目玉を眼孔からはみ出し、だらしなく開けた口から押し出された肉を滴らせ、赤い肉片と白い骨とぬめる脂の塊となって死んでしまった。
静雄の強すぎる握力による、圧死であった。
それは不幸な事故だった。静雄にもうさぎにも、どちらにも非はなかった。そして同じくらい、誰にも止めようがない事故だった。どこか虫の居所が悪かったうさぎが、抱きかかえてきた静雄の手を思いきり噛んだ。痛みに思わずうさぎを掴む手を緩めてしまったら静雄は、とっさに落としてはいけないとその手に力を込めた。込めすぎた。
その結果として、うさぎは静雄の手の中で無残な死を迎えた。
冬休みの宿題のひとつであった飼育当番を、生徒ひとりにやらせていたのが、そもそも間違いだったのかもしれない。しかしそのことを決めた教師を責めても、何にもならない。その件は突如血まみれで泣きながら帰ってきた息子から事情を訊いた両親と学校側によって隠蔽され、うさぎは病死ということでこっそりと学校の敷地内に葬られた。静雄以外の誰もが本当の死因を知らない憐れなうさぎの墓に静雄が足を向けることはなかった。
自分が殺してしまったうさぎの墓前で、何を言えばいいのか、静雄にはわからなかった。ごめんと謝ればいいのか、許してと請えばいいのか。どちらもひどく傲慢だと、思った。
けれど、そうやって逃げることが最も、傲慢ではないだろうか。
静雄はそれから数年は、肉が食べられなくなった。
静雄がそれからずっと、自分より小さい生き物に触れなくなった。
「畳の上以外の場所で死にたいなら」
触れれば壊してしまいそうな帝人の身体。そこに昔、自分が壊してしまったうさぎの姿を重ねる。
「圧死なんてのは、どう思う?」
言うだけで心臓が痛んだ。ただいつも、この小さな少年を見ていると心臓が軋むように痛む。追憶の痛みかどうかは、わからない。苦しく辛いその痛みはどこか、不思議と甘いようにも感じられた。
「今はまだ、死にたくありませんけれど」
でもいつかはいいかもしれませんね、と帝人はうっすら微笑んだ。
「憧れるんですよね、特別ってモノに。ぼくは自分が平凡だって自覚がありますから、余計に手を伸ばしたくなるんです。死に方って、こんなぼくでも平凡から抜け出せるモノじゃないですか」
それは『特別』ではなくて『異常』だと言いたくなったが、それでも『普通』ではないから、帝人にとってはどちらでも同じことなのだと悟った。『普通』以外のモノに憧れるその精神は理解できなかったが、自分にはないモノに手を伸ばしたくなるその衝動だけは静雄にも共感できた。
「静雄さん?」
ふと我にかえれば、なぜか己の左手は帝人の頭上で静止していて、帝人はその状態のまま固まっている静雄を不思議そうに見つめている。自分でもわけがわからなくて、ただまるで幼子を撫でる親のような形で止まっている自分の手を戻すことがとても惜しく思えて、そんな感情の名前なんて見当がつかなくて、静雄は弁解しようととにかく口を開いた。
「や、これはその、べつに特に殴ろうとか思ったわけじゃなくて、その」
なんとか落ち着こうと深呼吸をする。冷静になれば、自分が戸惑った理由など簡単に唇から転がり出た。
「俺なんかに触られるなんて、竜ヶ峰は嫌だろ?」
こんな、壊すことしかできない手で触れるなんて、それだけで罪深いことに思えた。
「嫌なんかじゃありません!」
こんな声もでるのかと思うほど強い声だった。静雄も驚いたが、なにより叫んだ本人が一番驚いているようだった。帝人は自分を落ち着けるようにかぶりを振って、嫌なんかじゃありませんと再度繰り返した。
「そりゃ、小さい子みたいに扱われるのは嫌ですけど、でもたまにセルティさんとかに撫でてもらうのは少し嬉しいですし、だから、その」
頬を赤く染めて、戸惑うように拙く言葉を吐き出す帝人を、静雄はふと可愛いと思った。
「静雄さん触られるの、ぼく、嫌じゃありませんよ」
言った瞬間に帝人はぼん、と爆発したかのように赤くなった。顔見ないでくださいと頭を抱えて丸くなる帝人に少し笑って、静雄は恐る恐る手を伸ばす。今度は壊さないようにできるだろうか。そして壊せないで触れることができたら、そうしたらもっと触れてもいいのだろうか。こんなふうに緊張しないで、なんてことないように彼に触れられるのだろうか。彼の短く切られた髪まで、あと何センチだろうか。
とにかく静雄は今、帝人に触れたくてたまらない。
ふれたら なにが かわるでしょうか
お題は選択式御題さんよりお借りしました。