「あーもう君って本当に化物だよね! 早く死んでくれないかなあ!」


 心底そう思っていますと言わんばかりの表情でナイフを向けてくる元同級生に、静雄は雄叫びを上げながら手に持った塊を投げつけた。


 「うるせぇノミ蟲! 手前が死にやがれっ!!」


 猛スピードでぶっ飛ぶ赤い郵便ポスト。


 しかしながら標的にされた臨也はコートを翻してヒラリと避ける。


 「怖い怖い。……ん?」


 臨也は静雄を更にからかうため口を開くが、ふとポケットから携帯電話の震えを感じ取ると、見て確かめるまでもなく「もうそんな時間か」と呟いた。そして静雄に背を向け走り出す。


 「あっテメ待てこら!」


 「用事があるから俺行くねぇ。じゃ!」


 逃げる臨也へ手当たり次第に物を投げる静雄。しかし投擲されたそれらはことごとく避けられ、臨也はビルと人の群の向こうに消えてしまった。


 怨敵を殺し損ねた静雄は怪獣が暴れたかのような破壊跡の中心でしばらく怒りに震えていた。二人の戦争が始まると同時に逃げ出した人々は未だ戻ってきていない。だが、ジャリ、と抉れたアスファルトが踏みつけられる音と共にその声は聞こえた。


 「しぃ、終わった?」


 たった一人しか使わない愛称で呼ばれ、静雄はそちらを振り返る。血管を浮かばせ憤怒の形相となっていた顔は声が聞こえた途端に普段の大人しい青年のものとなり、ただサングラスで遮られていない瞳が少しだけ驚きに見開かれた。


 「みかど……」


 パタパタと擬音がつきそうな軽い足取りで静雄の傍までやってきたのは高校生……いや、中学生くらいの少年。短く切られた黒髪は脱色や染色による痛みを知らず、視線を下げれば、白い額、真っ黒で大きな瞳、ちょんと顔の中心に据えられた鼻、薄い唇へと続く。


 小柄な体躯と相まって全身で人畜無害を表現する少年は、この惨状のほとんどを作り出した静雄に一切片の恐れも抱いてはいないようだった。それどころか彼は静雄の頬に浅い切り傷があるのを発見すると―――


 「血が出てる。もらうね?」


 答えを求めない疑問を発し、次の瞬間には静雄の左肩に手を乗せて背伸びをしていた。そして静雄の左頬には温く湿った感触と僅かにピリッとくる痛み。


 傷から滲み出る血液を舐め取った少年は静雄から離れ、「ごちそうさま」と小さく微笑む。だが少年が二歩以上離れる前に静雄はハッとなって素早く腕を伸ばした。少年の片手を取り、逃げないよう、また自分の力で壊してしまわぬよう拘束して「お前なぁ」と若干うんざりした声で告げる。


 「俺が喧嘩してる時は危ねぇから遠くに行ってろって前から頼んでるだろ? それに今回は特に、だ。ノミ蟲に目ぇつけられたら大変だろうが」


 「ちゃんと避難はしてるよ。それにあの子の事だけど、たぶん僕には興味を抱かないんじゃないかなぁ」


 自分よりも年上に見える折原臨也を「あの子」と称して少年は苦く笑った。


 「だって僕、あの子が好きな“人間”じゃないんだからね」











 平和島の家に帝人がやってきたのは静雄が中学に入ったばかりの頃だ。


 やってきた、とは言っても帝人の存在を知るのは子供達―――静雄とその弟の幽だけで、両親は全く気付いていなかっただろう。


 二人の兄弟は静雄とそう年の変わらぬ容姿をした帝人をまるで拾ってきた犬猫のような感覚で世話した。


 帝人にも意思と自由に動き回れる身体があるため、静雄達が学校に行っている間は部屋に閉じ篭るのではなく、家を出て適当に街をブラついていたらしい。そして腹が減れば戻ってきて、二人のうちどちらかに餌をねだる。


 そんな帝人の餌というのは――当時から今まで全く変化が見られない姿形と同様に――奇異で奇妙で不可思議なものだった。





 「新鮮な生き物の血液をね、ほんの少し。それがあれば僕は生きていける」





 帝人は静雄達のように肉や野菜と言った食物を必要としなかった。彼にとって唯一かつ必須の糧は生命の源である赤い雫。それを一日一回、あまり活動しないならば二日に一回程度、ほんの少量摂取するだけで帝人は健康な人間と同じように振る舞う事ができた。


 静雄と幽は自分に小さな傷を作っては帝人に血を与え、この不思議な生き物と生活を共にした。ただし普通の人間の身体である幽よりも、怪我の治りが早く切り傷程度なら半日か一日あれば跡形もなく消えてしまう静雄の方が、帝人に血を与える機会が多かったのは言うまでもない。静雄が知る限り、この十年以上の付き合いで帝人の身体を動かし続けたのはほぼ全て平和島静雄に流れる血液である。


 壊す事しかできない自分が一人の少年を生かし続けている。それは静雄にとってとても奇妙な感覚だった。


 無論、帝人は人ではなくずっと前からこの容姿であり続けている―――つまり静雄の前にも彼に血を与えた者は複数存在している。だが人間を構成する成分が二年もあれば完全に入れ替わるというならば、十年以上静雄の血液を摂取し続けた帝人の身体もまた、静雄に流れていたもので構成し直されたとは考えられないだろうか。


 ならば今の帝人を生かしているのはやはり静雄なのだ。











 甘やかな興奮が全身にじわりと広がるのを感じながら、静雄は帝人に触れ、帝人という存在を考える。


 一方、帝人本人は静雄に腕を掴まれたまま臨也が去っていった方向を一瞥した。


 「それにしても解ってないなぁあの子も」


 苦笑を浮かべ、教師が不出来な子供を評するように告げる。


 「しぃは化物なんかじゃないのに」


 「……帝人?」


 振り返った帝人は静雄の使われていない方の手を取り、子猫がミルクを舐めるかのように手の甲の傷に舌を這わせた。そうして舌の上で零れ出たばかりの血液を転がしながら満足そうに両目を細める。


 「この甘い血は人間の証だよ。化物の血は苦いんだ。たとえほんの少し混じっていただけでも判るくらいに」


  そして人間という種が持つ甘い血の中でも平和島兄弟の血は特別甘美なのだと帝人は付け加えた。


 「本当はすぐに別の“宿主”を見つけるつもりだったんだけどね。君達と出会う前はずっとそうだったし。……でも居着いちゃった」


 美味しい血と、怖がらない事と、それから帝人を大切に扱ってくれるところ。それらを全て兼ね備えた人間から離れる事などできない。―――そう言って帝人は片手を静雄に拘束されたままであるのをいい事に、「行こう?」とその腕を引っ張る。


 「今日はもう仕事ないんだよね? 田中君からメールで教えてもらった」


 「いつの間にトムさんとメアド交換したんだよ」


 「この前しぃが暴れてる時にちょっとねー。いつもしぃがお世話になってますって」


 「ああ、あん時か……」


 帝人がどういう生き物か軽く話した時の上司の顔を思い出して静雄は呟いた。あの時は帝人がトムに拒絶されずにいて良かったと胸を撫で下ろしたが、今改めて考えればよくもまあ受け入れられたものだと思う。ここが首無しライダーの実在する街だからだろうか。だから帝人のような存在も「アリかもしれない」と受け入れられるのか。


 「いやいや、やっぱり田中君の器が大きいからだよ。きっと」


 「……なんで俺の頭ン中まで読んでんだよ」


 「しぃは解りやすいんだって。全部顔に出てる」


 言われて、静雄は思わず空いた方の手で己の顔を撫でてしまった。そんなに解りやすいか? と。


 「まぁ十年以上一緒にいるしね。もちろん幽君の考えてる事も大体解るよ」


 「そういや幽のやつ、前にそんな事言ってたな……。すごいって」


 「そう? あー……幽君の名前が出たら幽君に会いたくなってきた。メインは済んだから次はおやつが食べたい」


 「幽は仕事だから無理だろ。流石に」


 本日の必要量は十分摂取したというのに、まだ“おやつ”と称して幽の血を欲しがる帝人に静雄はそう返す。素っ気無い言い方になってしまったのは自分の中に生まれた苛立ちを気付かせないようにするためだ。


 いつの頃からか、静雄は帝人が静雄以外から血を貰う事に不快感を覚えるようになっていた。たとえそれが血を分けた弟であっても。いや、静雄と同じく帝人が「美味しい」と感じている血の持ち主であるが故に、帝人が幽から貰おうとする方が赤の他人から貰うよりも何倍も苛立ちが増した。


 (帝人は俺の血だけ飲んでればいいんだ)


 胸中で呟き、静雄は「おやつは無理かぁ」と残念そうにしている帝人を見つめる。すでに必要量を取った帝人が今更他人を襲うとは思えないが、静雄はふと思いついて己の親指を口元に持っていった。そして、


 「しぃ?」


 ぶち、と音がして指先から赤い液体が溢れ出す。その赤に帝人の視線は釘付けになった。


 細い喉がごくりと唾を飲み込むのを眺めながら、静雄はたらたらと血を流す己の指を小さな唇に近付ける。


 「おやつが欲しいんだろう?」


 人気の無い路地に入り込んだため他者の視線を気にする必要は無い。静雄は帝人の眼前に傷つけた指を差し出し、「ほら」と促した。


 「うん……」


 小さく頷き、帝人が舌を伸ばす。真っ赤な舌が真っ赤な血を舐め取る様はどこか官能的で、じわじわと身体の奥に熱が溜まっていくようだ。


 静雄が無言で見守る間にも帝人の行動は徐々に大胆なものになっていき、ちゅる、と音を立てて静雄の親指に吸い付いてきた。そこまでいくともう小さな傷による痛みなど感じられない。静雄に分かるのは熱だけだ。親指が熱い口内で吸われ、舐められ、時折ゆるく歯を立てられ、そして唇を掠めながら出し入れされる。


 しかし頭の後ろが痺れるような感覚を覚え始めた頃、帝人の口から親指が解放された。どうやら早くも傷が塞がり始めたらしい。ほぼ血が止まった傷を見て、治りやすいのも考えもんだなと静雄が思っていると、帝人の視線が己の顔に向けられているのに気付く。


 「どうした?」


 「それも、もらう……」


 帝人はどこかぼうっとした様子で――過剰摂取で血に“酔って”いるのだ――そう呟くと、解放された両腕を伸ばして今度は静雄の両肩に手を置き、爪先立ちになった。静雄の眼前に帝人の幼顔が近付く。そして一瞬のうちに相手がぼやける距離まで詰められ―――


 ぺろり、と。


 熱くぬめったものが静雄の唇を撫でていった。


 「ついてた」


 うっそりと笑う帝人の舌先には濃い赤。静雄が自身の指を噛み切った時に付着した血液だ。



  静雄の身体から流れ出した赤を一滴も残さず己が物として帝人は微笑み、再び自分達の家へと歩き出す。頬を舐められた時と同じく若干の自失状態に陥った静雄は、しかしすぐさまそこから抜け出して帝人の後を追った。


 「…………」


 多少血に酔っていたとは言え、普通なら帝人はあそこまでしない。少なくとも静雄が知る限りでは、帝人が幽に対して粘膜同士を触れ合わせた事など一度も無かった。


 ならば、と静雄は思う。ならば今の接触は静雄にあって幽に無いものが原因だろう。そして同じ“美味しい”血の持ち主の二人を比較した時、静雄にあって幽に無いものといえば、帝人と共有した時間の長さとそれに比例して増える血液の摂取量だった。帝人が何の躊躇いも無く接触を持つ程、自分達は特別長い時間と血を共有しているのだ。


 帝人の視線から外れた静雄の顔には自然と薄い笑みが浮かぶ。そして帝人が舐めていた親指に一度だけ自分の舌を這わせ、ニッと口の端を吊り上げた。






ヒルコのカタシロ

(そうやってもっともっと俺だけで生きていけ。俺だけに染まり続けろ)












クォーター・クォーターの華糸タスク様より頂きました。ヒルの妖怪ですって! 平和島サンド寄りの静帝大変美味しいですごちそうさまです悶えます。タスク様、本当にありがとうございました。