ヴァローナさんって綺麗な人ですよね、と。静雄や正臣のような人工的に作られた金色ではない白金の煌めきをぼんやりと眺めながら帝人が独り言のように呟くと、向かい側に座ってコーヒーを飲んでいた静雄が盛大にむせ、帝人の隣に座っていたヴァローナがなぜか天に向かってガッツポーズを決めた。両極端なその反応に帝人は首を傾げながら、ヴァローナに勧められたフルーツタルトを一欠片、口に放り込んだ。
「帝人、それは求愛行動と受け取りますが肯定しますか?」
「そうなるとこの世のナンパしまくっている男性の行動は全て求愛行動になるので否定します。ていうか褒めただけでなんで求愛?」
「ジャパニーズは遠まわしに物を言う生き物だと本に書いてありました。ヤマトナデシコ、奥ゆかしい生き物です」
「いやぼく男ですから。ヴァローナさん、大和撫子の意味わかってます?」
ヴァローナには今度和露辞書を贈ることを心に誓いながら、帝人はいまだごほごほとせき込んでいる静雄に大丈夫ですかと声をかける。器官かどこかにコーヒーが入り込んでしまったらしく、ひどく苦しそうだ。
「体が悪いのは煙草のせいであることは科学的にも明らかです。煙草に非があることを肯定します。百害あって一利なしです。それでも愛煙する先輩には学習能力がないと判断します。憐れです」
「よし表出ろヴァローナ。俺の健康なんて気にする必要がねえってことを教えてやる」
「その言葉を戦闘開始の宣言だと判断します。私はこれを肯定します」
「お願いですから否定してください!」
ふたりが暴れたらこのあたりの地形が変わってしまう。帝人たちが入店したフルーツパーラーの客は全員、剣呑な空気を漂わせた美形ふたりが立ちあがった時点で素早く避難してしまった。オーナーと思わしき男性まで店をほったらかしにして逃げてしまったのだからもう笑うしかない。このふたりを止めなければ、この店は確実に潰れる。ついでにオーナーさんの首も飛ぶ。
帝人が必死の形相で止めたのが功を奏したのか、先に拳を下ろしたのは静雄であった。ちっと舌打ちをひとつ誰に向けるでもなく落とすと、腰にしがみつくような形で静雄を抑えていた帝人をひょいと肩に担ぎあげた。
「ヴァローナ、ここの会計と仕事の残りは任せた。あとでなんか奢る」
「否定します。私にメリットがありません。後日無手による決闘を望みます。肯定してください」
「暴力は嫌いだっつってんだろ」
「では代わりに後日帝人との外出を望みます。帝人、肯定しますか?」
「え、ぼくとですか?」
下から帝人の顔を覗き込むように瞳を合わせてくるヴァローナに、帝人はきょとんと眼を瞬かせた。自分なんかと出かけても楽しくないと言ってみるが、ヴァローナは繰り返し「その言葉を否定します。私にとってはこれ以上ない娯楽となります」と言うので、帝人はわけがわからないままに頷いた。
「では希望の曜日を後日メールしてください。帝人、私は今からとても楽しみです」
満足そうに目を細めながら取り立てに向かったヴァローナの背をぼけーっと眺めていると、がくん、と思いっきり体が動いた。静雄が帝人を肩に担いだまま速足で歩きだしたのだと、気づいた帝人は抗議のために叫んだ。
「静雄さん、降ろしてください!」
「黙ってろ。舌噛むぞ」
誰が黙るものかと、さらに声のボリュームを上げて叫ぼうと口を開いた瞬間、静雄の指摘通り帝人は盛大に舌を噛んだ。痛みに顔を伏せて悶絶していると、ふいに揺れが止まった。そこはよく見かける公園のベンチの前で、休日の午後だというのに人通りはまばらで物寂しい。
担がれた時とは反対にゆっくりと丁寧に降ろされる。わけがわからないまま静雄の顔を見ると、視線でベンチに座るように促された。断る理由もなかったので、流されているなあと自覚しつつも黙ってベンチに座る。隣に座った静雄の横顔はどこか、苛立っているようにも見えた。
「お前、本当にヴァローナと出かけるのか?」
「え、あ、はい。約束してしまいましたし」
唐突な質問に戸惑いながらも正直に答える。ヴァローナと出かけたことはないが、日頃帝人にお菓子を奢ってくれたりスイーツの美味しいお店を教えてくれたりと女性らしい一面もあるので、そう妙な場所に連れて行かれないだろう。荒事を好む傾向にあるけれど、彼女は決して悪人というわけではないのだ。
「でもなんで、ぼくなんでしょうね」
綺麗な人だ、というのがヴァローナと初めて会った時に帝人が抱いた感想だ。静雄と会う機会の多い帝人は必然的にヴァローナとも会う機会が多い。何度会ってもやはり、帝人は自分より年上である外人の女性に綺麗以外の感想を抱けずにいる。
あんな綺麗な女性なのだから、こんな平々凡々な男子高校生ではなくて、もっとふさわしい人が、隣に並ぶべきではないのだろうか。背が高くて顔が整っている成人した男性なんて山ほどいる。そう、例えば。
「静雄さんとかのほうが、似合うのに」
今やもう聞きなれた音に帝人が隣を見れば、静雄が掴んでいるベンチの肘起きの部分がぼっきりと折れていた。木材で作られているとはいえきちんと鉄などで装飾されているそれが、静雄の手の中で無残な姿になっている。
「どうかしましたか、静雄さん」
「いや、どうかって、お前・・・・」
この程度の光景に慣れっこになっている帝人は今更驚きもしない。きょとんと眼を瞬かせる帝人に、静雄が歯切れ悪く何か言いたそうに口を開閉させる。そのまま数秒過ごした後、どこか不機嫌そうに眉をしかめて静雄は口を開いた。
「俺達って、付き合ってるんだよな?」
いきなりなその問いかけに、帝人は大きな瞳をさらに大きく見開いて、肯定を示す為に首を縦に振った。静雄が言う付き合いが、普通なら男女間に成立する恋愛関係を示しているのだと、帝人も了承済みだ。
しかしそれが、先ほどの話とどう繋がるのだろうか。
「付き合ってるのに、なんでそーゆーこと言うんだよ、お前」
「そーゆーこと?」
「だから!」
怒ったように静雄が怒鳴る。その顔は、怒りが別の何かの感情で、耳まで真っ赤に染まっている。
「ほかの女のほうが似合うとか、ほかの女と出かけたりとか、そーゆーの!」
言った瞬間、静雄の顔が爆発したかのように真っ赤になった。ぽかんと呆気にとられて静雄を見つめていた帝人が、それがいわゆる嫉妬だということに気づいて、さらの口をお菊開けた。
「いや静雄さん、別にそーゆーのじゃ、ないんですけど」
「じゃあなんだよ」
拗ねたような仕草で静雄が帝人を睨む。昔はびくついていたその視線も、付き合いだしたからずいぶんと経つ今ではさらりと受け流せるようになった。それに彼が自分を睨んでいる理由を思えば、その威圧感すらも可愛いと感じられる。
「ぼくは静雄さんのことが大好きです。それは本当です。これからもずっと大好きです」
ですけど、と帝人は目を伏せて、静雄と付き合いだしてからずっと心の底に沈澱していた感情を吐き出した。
「ヴァローナさんでも、茜ちゃんでもいいんです。静雄さんは女性と付き合ったほうがいいんじゃないですかって、思うんです」
静雄がこちらに伸ばした手は、しかし途中で固まったように止まった。殴られるかと覚悟していた帝人は恐る恐る視線を上げて静雄を見た。彼はなぜか、困ったように呆然とこちらを見ている。なぜだろう、と首を傾げて、そこで帝人はようやく自分の頬を伝う生温かい液体に気がついた。これに遠慮して、静雄は手を止めたのだろうか。
「だってぼくじゃ、静雄さんの子供を産めないんですよ」
それは天地がひっくりかえっても、太陽が西から昇り始めても、なにがどうやっても無理な願いだと、帝人自身痛いぐらい理解していた。叶わなくても、それでも夢見てしまう自分は愚かだと、哀しいくらい知っていた。
彼と肌を重ねるたびに、ぬるつく生温かい精を吐き出されるたびに、自分の下腹部に命が宿ることはないのだと痛感する。なにも孕めない。なにも産めない。なにも残せない。その事実は深く深く、帝人の心をえぐる。
もしも自分が女だったらと、考えなかったらと言えば嘘になるけれど。
「ぼくは起きなかった過去に興味はないんです」
だからもしもの話なんてしない。帝人は男で、静雄も男だ。それは誰にもどうしよいもない。でもそれでいいと思う。帝人が好きになったのはこの静雄で、静雄もこの帝人を好きだと言ってくれたから。
「ねえ静雄さん、それでもぼくらはこのままでも、いいんでしょうか?」
静雄からの返答はなかった。代わりに静雄にしてはひどく優しい手つきで、抱きしめられた。彼の肩に顔をうずめて、ふわりと香る煙草のにおいになんだか泣きそうになった。
「・・・・・・慰めでしたらいりませんよ?」
「違う」
精一杯の強がりで帝人は笑う。涙で濡れた頬と潤んだ瞳では意味もないかと思ったが、笑うことが今の帝人にできる、最大の意地だ。そんな帝人とは反対に、静雄は今にも泣きそうな顔をしている。
「別れ話だったら絶対聞かねえ。お前が俺から逃げるって言うなら手足もぎ取ってでも離さねえ」
「どこのヤンデレですか、あなたは」
「うるせえ。付き合うって決めた時、俺はそーゆー覚悟で決めたんだよ」
静雄の大きな手が否応なしに帝人の顔を静雄と向かい合わせる。こつんと額同士があわさるよりも先に静雄のサングラスが顔に当たって、痛いです、と帝人は笑った。触れあった箇所が暖かくて、悲しくもないのに帝人の瞳から涙が一筋流れた。
「今でも覚悟は変わってない。帝人、俺はこのままでいい。今のままのお前が好きだ」
「・・・・・・・静雄さんって、本当に卑怯なくらい男前ですよね」
「意味わかんねえぞ、それ」
わからなくていいですと、帝人は明るく笑って静雄の背中に両腕をまわした。先ほどまでかっこよかったのに、静雄は照れたように頬を染めてそっぽを向く。赤くなった彼の頬をくすくす笑う。その笑みはもう、意地でも強がりでもない。
少女の人形は命を孕む
お題は歌舞伎さんよりお借りしました。