『*苦手なのは優しいキス』 ライ刹








 とけるような口付けが、苦手だ。


 ふわり、と頬に口付けられながら、刹那はふとそんなことを思った。ぼんやりと視線を空中にさまよわせていると、不機嫌そうな男の声で現実に引き戻される。


 「キスの途中で呆けるなよ、刹那」


 首筋に紅い華を咲かせていたライルが、じろりと刹那を見上げる。刹那の服の下をまさぐっていた指が腰をなで上げた。


 「・・・・っん」


 「ほらほら、こっちに集中して」


 意地の悪い笑みを浮かべているくせに、落とされる口付けはどこか優しくて。刹那は無意識のうちに眉を寄せた。


 優しいキスなんて、なまぬるいものはいらない。


 呼吸も出来ない、いっそ窒息死してしまうくらい、激しいキスが欲しい。


 刹那は自分の身体をいいようにあそんでいるライルの襟首を掴んで無理矢理引っ張ると、驚きに目を見開いている彼の唇に口付けた。





 


 (乱暴なキスを、わたしにちょうだい?)








 お題はララドールさんよりお借りしました。











 『*欲しいのはこの手じゃない』 ニル刹♀←ライ








 スナイパーという仕事を生業にしていたためか、彼は女である自分よりもはるかに手を、特に指先を大切にしていた。だからだろう、彼は自分よりはるかに大きかったけれど節くれだっていない、白く滑らかな手をしていた。


 「刹那、手を繋ごうか」


 彼は手を繋ぎ合わせることを好んだ。自分が渋っていると、やや強引に手をつなぎ、指先を絡める。そうして子供みたいに、嬉しそうに笑うのだ。


 なぁ、ロックオン。恥ずかしくて言ったことはなかったけれど。


 アンタの手、嫌いじゃなかったんだ。











 「刹那ぁー、目ぇ覚めたか?」


 ゆっくりと瞳を開けると、ぶれる視界にロックオンが映った。寝起きで上手く働かない頭をフル稼働させ、ミーティングがあったことを思い出す。


 「ぁー・・・今、何時だ?」


 「グリンニッジ標準時で8時を過ぎた頃かな。もーちょいでミーティングだぜ。遅刻すんなよ。教官殿に怒られるぜ」


 「善処する」


 幸いにしてミーティングまであと30分ほどの余裕がある。朝食は無理でも、着替えぐらいはできるだろう。刹那は無断で女性の部屋に侵入していた男に出て行くよう促そうと視線を向けて。


 「・・・・・・」


 「どうした? 早く起き上がれよ」


 当然のようにこちらに手を差し伸べているロックオンに、刹那は何も言えなかった。彼と同じ、皮の手袋に包まれた手。


 「ロックオン、着替えるから出て行け」


 差し出された手を取ることなく、刹那は努めて冷静に、そう言った。





 


 (彼以外いらない) (例えそれが、彼そっくりの代用品でも)








 お題は群青三メートル手前さんよりお借りしました。











 『雨の日、わざと傘を忘れて行った』 ティエ刹♀








 バケツをひっくり返したような雨、というのはまさにこのことなのだろうと、刹那は同級生たちがきゃあきゃあ叫びながら傘を差して下校していく中、ひとり学校の昇降口でそんなことを思った。


 朝には振っていなかった。けれども刹那だって天気予報くらい見る。ちなみの今日の降水確率は90%だった。いかにも大雨が降りますよ的な曇り空だった。


 「あれ、刹那ってば傘持ってないの? ヨハ兄呼んだから一緒に乗ってく?」


 「いや、今日はいい」


 「いいって、少し待ったくらいじゃ止まないよ、これ」


 「いいんだ。俺ももうすぐ、迎えが来る」


 たぶん、と心の中で付け加える。ネーナはそれならいいけど、と迎えに来た兄に連れられて帰っていった。


 すっかり人気のなくなった昇降口に座り込んで、刹那はぼんやりと曇天を見上げた。


 「そんなところに座り込むな。スカートが汚れるだろ。毎日使う制服なのだから、もっと大切にしろ」


 ぴしゃぴしゃと足音を響かせて、紫の傘を持った誰かが刹那の前に立った。傘のせいで顔が隠れているけれど、きっといつも以上に不機嫌そうな顔をしているのだろうと思った。


 「君は馬鹿か。こんな日に傘を持っていかないなんて、濡れて帰って風邪でもひきたいのか?」


 「ティエリア、説教は後で聞くから」


 まだまだ言い足りない、という顔をするティエリアの傘に強引に身体を押し込んで。


 一緒に帰ろう、と刹那は囁いた。





 


 (その理由を、あなたは知らなくていい)








 お題は群青三メートル手前さんよりお借りしました。











 『*追いかければもう一度逢えるのかな』 ニル←刹











 すれ違った子供たちの弾んだ会話が耳に入ってきて、刹那は振り返って駆けていく子供たちの背を眺めた。子供たちの大きな瞳に映っているのは、雨上がりの空に綺麗に浮かんでいる七色の虹。


 子供たちの明るい笑い声がその場を漂う。虹を追いかけていったその背と同じようにためらいもなく駆けたら、もしかしたら救われるのではないかと、そんな詮ないことを考えた。


 虹のたもとには宝物があるのだと、翠の瞳を楽しそうに細めて語っていた男がいた。


 刹那もこうして世界を回るようになったから知ったことだが、西洋には多い言い伝えらしく、こうして虹が出た日には無邪気に駆けていく子供の姿をよく見かける。


 (言い伝えなんて、もう信じる歳でもないが)


 子供の頃信じていたものはもっと違うもので、ひたすらそれめがけて突っ走っていたけれど叶うことはなかった。叶うはずもないことだった。あの頃の自分を愚かだとは思わない。ただ、ものを知らなすぎただけで。


 突如、何かが刹那の足にぶつかった。刹那は少しよろけただけですぎたが、ぶつかってきた少年は反動で転んでしまった。じわり、とその瞳に涙が浮かび上がるのを見て刹那は慌てる。


 「すまない、大丈夫か?」


 手早く持っていた水筒で湿らせた布を、汚れてしまった少年の膝をぬぐう。幸いにも怪我はなく、涙も痛みよりは衝撃に驚いたせいのようだ。


 「ありがと、おにいちゃん」


 「ああ、しかし余所見をしていては危ないぞ」


 「だっていそがないときえちゃうもん」


 少年が唇を尖らせて指差す方向には、おぼろげに光る虹がある。何を期待しているのか、虹を見つめる少年の瞳は輝いている。


 「しってる? にじのはしっこにいけばおねがいがかなうんだよ!」


 子供らしい舌足らずな言葉は、けれど何よりも真剣だった。じゃあね、と身を翻して去っていった少年の背中を、刹那は何か眩しいものでも見つめるかのように眺める。


 「お願い、か」


 地域によって伝承は異なる。願いが叶うとなれば、あれほど息をきらして走るのも頷ける。再び見上げた虹は、すでに端のほうが空と同化しつつある。


 「あそこに行ったら、お前にも会えるのか?」


 答える者はいないとわかりつつ、刹那は虚空に問いかけた。いい歳した大人のくせに時折子供のように瞳を輝かせて伝承を語っていたあの男が、虹のたもとで笑っているような気がした。


 だとしても、もう刹那は彼に会うつもりはない。それは過去を振り返る行為で、今の刹那がするべき行動ではない。今刹那が見つめるべきは目の前の未来であって、背後の伝承ではない。


 もしもこの伝承に縋って虹を追いかける日がくるとしたら、それは全てが終わった時だ。


 (それまで、さようなら)


 刹那は口元を和らげて、完全に消えた虹に背を向けた。





 








 お題は群青三メートル手前さんよりお借りしました。