13年間の人生でなにかミスをしたことがないと言えばそれは嘘になるけれど、自前の防衛本能と厄介事を鍵分ける素晴らしい聴覚をフル活用してなんとか致命的な失敗だけは避けることができていると、竜ヶ峰帝人は己の人生を振り返ってみてそう自負した。しかし人の記憶が完璧ではないように、帝人の記憶も所々虫に食われたように欠落しているので、もしかしたらどこかでミスをしているのかもしれない。


 「そうじゃなきゃ、説明がつかないしね」


 「ん? なんのはなし?」


 「いえいえ、こっちの話ですよ」


 誰もいない公園でキィキィとブランコが泣く。誰にも使われることのなくなったおもちゃの、存在意義も存在理由も失いかけた玩具の悲鳴。ペンキがはがれかけてみすぼらしくなったベンチに腰掛けてその響を聞きながら、帝人はうっそりと笑った。


 帝人の腰に抱きついている小さな身体の、帝人とは異なる輝きの黒髪を撫でる。背中まで好き勝手に伸ばした帝人とはちがい、彼のそれは小奇麗に整えられていて、触り心地も非常に良い。子供の髪が繊細だというのは本当かもしれない。


 「だめだよ」


 きゅう、と紅葉のような手が帝人の制服の裾を引っ張った。


 「みかどくんはおれのはなしいがいしちゃだめなんだから」


 5歳にしてこの独占欲はいががしたものかと思わないでもないのだが、なにをしようと彼の性格がすでに矯正不可能な域まで達していることを熟知している帝人は、まあませた子供だことの一言で済ませた。


 「ほんと、なんであなたはそんなにぼくに懐くのでしょうね、臨也さん」


 独り言に近い質問に、臨也は笑顔で「だってみかどくんだもの!」と答えにならない回答を寄越した。これで愛が云々運命がどうたら言われたら確実に引いたのだろうが、けれど質問の意義がわかっていない回答もどうかと思う。


 「だからおれははやくおおきくなって、みかどくんとてをつないできゃっきゃうふふしたりはまべでおいかけっこしたりしないといけないんだ」


 「なにがだからなんだか全くわからないのですけど、時代錯誤も甚だしいその妄想は誰の入れ知恵ですか?」


 「しんら!」


 彼の友人のカテゴリーに存在する、やたらと四文字熟語を使って会話する妙にませた子供を思い出す。彼ならそんな今時実行するカップルが地球上に生息しているのあやしいお約束を知っていても不思議ではない。もしかしたら実行したしていたりするかもしれないが、彼が一心に愛を捧げるデュラハンはしっかりと羞恥心や常識をフル装備しているのでおそらく大丈夫だろう。しかしいつかは実行に移されるかもしれないので、警告しておいたほうがいいかもしれない。


 とにかく今はこの幼子に植え付けられた知識を取り除くほうが先決だ。帝人は臨也を抱き上げて膝の上に乗せると、近くなった耳朶にそっと囁いた。


 「新羅くんの言う事はあなたの戯言よりは多少マシですが、それでもどんぐりの背比べ程度なので適当に聞き流してください。ただでさえあなたは変に学習能力が高くて教育が複雑なんですから」


 「おれがあたまいいとみかどくんこまる?」


 「いいえ。できのよい教え子を持つことは幸せですよ。ただ、あなたのことをご両親からよろしくと頼まれている身の上として、世間一般的に問題がない程度には躾などを施さないといけないんですよ」


 ご近所の好誼ですからね、と誰に言うでもなく囁く。帝人はそれこそ臨也がハイハイをし始めた頃から、彼の両親に教育を一任され、育ててきた。少しばかり歪んだ性格になってしまったことは否めないが、頭の良い、素直な子に育ってくれたことは嬉しい。


 「じゃあおれがんばる」


 「ええ、がんばってください」


 「がんばってみかどくんとけっこんする」


 「すみません、先ほどの発言をなかったことにさせてください。ていうかさっきより目標高くなっていませんか?」


 8つも年下の保育園児に求婚されて混乱しない女性がいたらぜひお目にかかってみたいものだ。帝人は呆れながら脳内で臨也の年齢とついでに自分の年齢も確認する。折原臨也、5歳、職業は保育園児。竜ヶ峰帝人、13歳、職業は中学生。


 臨也がどうがんばっても太陽が西に昇っても地球が逆回転しても、無理なものは無理なわけで。日本が定める結婚年齢に育っていない子供ふたりが結婚できるわけなくて。


 「臨也さん、諦めましょう?」


 「ぜったいにいやだ」


 非常に残念なことに彼は諦めという二文字に絶縁状を送りつけていた。5歳児に有言実行の精神を持つよう躾けたのは帝人だが、なにもこんな場面で発揮しなくてもいいんじゃないかと天を仰ぐ。茜色に染まった空が綺麗で泣けてきた。


 「やくそくしようよ、みかどくん。やくそくしたらぜったいになるんだよね」


 確かにそう教えたのは帝人だけれど。帝人は無邪気に小指を差し出してくる臨也を眺めながら、この子放置して家に帰っても許されるかなと、とんでもなく無責任な提案を脳内会議にかけたりした。答えなんて決まっていると知っていたけれど。


 「じゃあ、約束しましょう」


 世にも残酷な約束を、ひとつ。


 「あと10年と少し。えーと、13年くらいですね、確か」


 興奮と期待と歓喜に目を輝かせて、早く早くと小指を突き出してくる臨也の瞳を覗きこんで。


 「それまで、あなたが結婚したいと思う人がこの世の中でぼく以外にできなかったら」


 『外』がどれだけ広いのか、まだ知らない子供へ。


 「結婚しましょう、臨也さん」


 指きりげんまん、と小指同士を絡める。はりせんぼんのーます、と歌いきったところで臨也が興奮して帝人の膝の上から飛び降りた。そのままきゃっほーと叫びながら走り回っている。子供は元気だなあ、と齢13になる少女は苦笑した。


 どうせこの約束は叶わない。今でさえ近所の奥様方から将来が楽しみと噂されている子なのだ。18歳になった彼がどれだけ見た目麗しく成長しているのか、帝人には想像もつかない。成長して世間をしった彼が、こんなちんちくりんの女との約束を覚えているはずがない。


 「まだまだ詰めが甘いですねえ、臨也さん」


 走りまわる臨也を眺めながら囁く。しかし帝人は知らない。本当に詰めが甘かったのはどちらなのか。過ちを犯したのは誰だったのか。13年後、臨也がどんな成長を遂げどんな行動をとるのか。帝人には知る由もなかった。





  











 お題は選択式御題さんよりお借りしました。