「・・・帝人、今なんつった?」
親友の到着を待っているうちに冷めてしまったカレーをすくって口に入れようとしたその手を止めて、正臣は真正面に座っている親友を見つめた。相手は呑気なもので、しれっとした顔でカレー、こぼれそうだよと注意を促してくる。そんなこと気にしてるばあいか、といった意味を含めて睨むと、さすがに堪忍したのか、けれど不釣合いににっこり笑って。
「だから、臨也さんと静雄さんにばれちゃった」
困ったな、と洩らすわりには全く困っていない顔の帝人の頭に、スパーン、といい音を立てて正臣のチョップが炸裂した。基本的にボケ気質な彼にしてはいいチョップであった。痛い! と顔をしかめる帝人の両こめかみに、握りこまれた正臣の拳が当てられる。何をされるのか悟ったらしい、さぁぁっと帝人の顔から血の気が引いた。
「ま、正臣! 反省してるから! 本当に反省してるからそれはやめよっか!」
帝人直伝のぐりぐり攻撃はかなり痛いらしく、これを見せるとたいてい帝人はすぐさま己の非を認める。いつものことながら、あまりの劇的な効果に正臣はしみじみと己の握りこぶしを見つめた。小さい頃はよく帝人から喰らっていたから、正臣もその痛みについてよく知っているけれど、それにしてもよく効く。
「これ、お前本っっっっ当に嫌いだよなあ」
「それくらい痛いんだよ。あれだよ、頭がぱっくり割れた時の痛みに似てる」
「や、わかんねーから、そんなの」
正真正銘ただの人間である正臣に、頭が割れる痛みなど理解できるはずがない。今までさんざん死ぬような怪我(ていうか、普通の人間だったら死んでいる)をしてきたくせに、これっぽっちの痛みを嫌がるだなんて。
「で、なんであのふたりにばれたんだよ。お前かなり気ぃ使ってたじゃん」
「ちょっと事故ってね、ふたりの目の前で鉄骨にミンチにされちゃった。さすがに弁解も誤魔化しもできなかったから、とりあえず軽く説明してきたけど」
平和島静雄はともかく、折原臨也は説明しただけですむはずがない。帝人もよくわかっているのか、憂鬱そうにカレーを口に運んでいる。
「で、どうすんの? これから」
「どうもこうも・・・・・ばれちゃったんだから、開き直るしかないね」
胸を張っている帝人は潔すぎてなんか泣けてくる。開き直る程度でなんとかなる人物ではないというのに。折原臨也という人間のやっかいさを骨の隋まで知っている正臣は眉根を寄せた。
「臨也さん相手になら黄布賊を使うまでもないよ。ぼくひとりで充分」
ダラーズという何色にも染まらない自由奔放な集団を,暇を持て余した、という理由だけで作り上げた少年は綺麗に微笑んだ。
「今頃色々動いてそうだけどな、あの人」
「いくら調べても無駄だよ。ぼくの情報、そんじょそこらのハッカーじゃたどりつけないように隠しといたから」
そもそも戸籍も存在しないらしい彼の情報なんて無いに等しい。けれどこの情報社会において、情報がひとつもないということがすでに有力な情報なのだ。ネットに関して詳しいことはわからないけれど、きっと正臣が想像もつかないような手段で念入りに隠蔽しているのだろう。
表立って出ている帝人の情報は、正臣と同じド田舎出身で、事故で両親を亡くしていらい遠縁の紀田家に世話になっている、来良学園の生徒ということだけだ。その情報さえも、ネットを身につけた帝人が作り上げた虚偽にすぎない。
正臣もいざとなったら黄布賊だろうがダラーズだろうが利用してやると、帝人が正臣を追いかけて池袋にやってきたその日から腹をくくっているので、まあなんとかなるだろうと軽くその場を治めた。
「ていうかミンチにされたって・・・大丈夫なのか、お前」
「ご覧の通り、制服がきれいさっぱり駄目になりました。おかげで臨也さんの上着着る羽目になっちゃったし」
「あー、だからなんか臨也さんっぽい上着着てると思った。って、そーゆーことじゃなくて」
一応ノリツッコミをしてから、正臣は元気にカレーを咀嚼している帝人を指差す。
「お前の身体のほうをきいてんの!」
「ぼくの身体なんて、そんな」
何を今更、と帝人は笑う。この質問もその答えも、どちらも異常だと知っていて、それでも笑っている。
「また死ねなかったよ、正臣」
ひっそりと、どこか影のある笑みをみせた親友に、正臣は短くそうか、と頷いた。
初めて出会った時から変わることなく、帝人はどうしようもないくらい死にたがっている。『死』と『老い』という概念がすっぽり抜け落ちているのだ、それがどれだけ難しいことなのか、本人が一番よくわかっているだろうに。
それでも諦めきれず、かと言って自殺はもう何万回、下手したら何百万回と試して無理という結論が出ているため、帝人は立派に他殺志願者になっていた。これでも昔より落ち着いているほうで、出会った当初は隙あらばどうにかして死のうとしていた。
帝人がどういった生き物なのか、正臣にもわからない。正臣の故郷であるド田舎の山中に隠れるようにして住んでいた、人ではないナニカ。正臣が生まれるはるか昔から、老いもせず死にもせず、ただひたすら生きるという行為を強いられ続けてきた生き物。
おいていかれるのはもう嫌だと、近付いてくる人間全てを拒んでいた、正臣と出会わなければ今でもあの山奥で死んだように生き続けていただろう少年。
「八尾比丘尼は洞窟に入って消えたらしいけど、いったいどうやったら死ねるのか、書き置きくらい残して欲しかったな」
人魚の肉を食って不老不死になったという言い伝えの女性について、帝人は本気で恨めしそうに唇を尖らせる。正臣が思うに、帝人がなによりも不幸だったのは死ねないことではなく、そんな身体だというのにしっかり痛覚が残ってしまったことと、絶望して発狂するほど彼の精神が弱くなかったことだ。
いっそのこと狂ってしまっていたらなにかと楽だっただろうに、彼の精神は異常なまでに正常で、痛みを辛いと感じるし生き続けることに絶望する。狂うことさえ許されないなんて、この世のどんな責め苦よりも辛いだろうに。
「正臣、正臣」
もぐもぐとカレーを食べながら帝人は言う。まるで明日の天気を尋ねるかのように自然に、明日の予定を確認するかのように軽く。
「正臣が死ぬときは、ちゃんとぼくも殺してね」
それが、帝人にとっての生きる理由だった。
永遠を繰り返していくうちに大切なものを何度も失った彼が、もう何も失わないための予防線。
初めて出会った幼少の頃からの口癖を、帝人は縋りつくかのように口にした。そのなんてことはない口約束だけが、全てであるかのように。そして正臣も帝人がどれだけその約束を拠り所としているのか知っているので、お互い叶う可能性は低いと知りながらも、ああ、と頷くのだった。
願葬
お題は選択式御題さんよりお借りしました。