彼女に打ち込まれた楔が見えたような気がした。








 「刹那」


 ぽつり、と呟くように吐き出したそれは、水道管から勢いよく噴出している水音と刹那が嘔吐する音にかき消されてしまったようだ。少なくとも俺にはそう思えた。けれども、刹那には聞こえたらしく、口元に手を当ててこちらを見た。


 「ロックオン、か・・・・」


 「体調悪そうだな。大丈夫か?」


 「・・・・問題ない。すぐに良くな」


 吐き気が襲ってきたのか、再び刹那は顔を突っ伏してしまった。もうずいぶん前からこんな調子だ。少なくとも、俺が来た日から刹那が体調を崩さない日はない。ドクター曰く、精神的なものらしい。まぁ、原因なんて明らかだ。


 「落ち着いたか?」


 「・・・ああ」


 辛そうにイスに座る刹那の背を優しく撫でる。もう21歳らしいが、女性だということを抜きにしても、手首は細いし身体も小さい。顔色は悪いし目の下にはくままで出来てる。立派な病人だ。武力介入で忙しい時期でなければ、そして本人の強い希望がなければ、すぐさまベットに放り込んで閉じ込めてしまいたくなる。


 「・・・・・また兄さんの夢を見た?」


 「っ!?」


 驚愕に満ちた表情で刹那は俺を見つめる。なんで分かったか、なんて簡単なことだ。それ以外で、アンタがこんなにも弱くなるわけないだろ。


 「・・・・酷いよな。現実では同じ顔の俺に苦しんで、夢では本人に苦しめられるなんて」


 「別に・・・・・・酷くなんかない」


 「ああ、そうか。苦しんだとしても、夢だとしても、刹那は兄さんに会いたいだっけ」


 「ロックオン!」


 「でも事実だろ」


 俺の言葉に刹那は唇をかみ締めて押し黙った。沈黙は肯定だ。俺はそんな刹那を見て、じくじくと胸が痛むのを感じた。


 兄さんはとてもずるいと思う。刹那の心に楔を打ち込んだまま、それを抜かずに消えてしまった。もしくは逆だろうか。消えてしまうから、楔を打ち込んだのか。


 この楔がある限り、刹那は誰の物にもならない。少なくとも、俺のものには。


 だって俺を見るたびに嫌でも兄さんを思い出し、その痛みに泣き叫ぶ。俺が触れようとすれば、それはよりいっそう激しさを増す。どうあがこうと、俺は刹那に触れる事が出来ない。


 ああ、なんてずるい人なんだ。


 置き去りにするくらいなら、最初から俺にくれればいいのに。


 楔なんて埋め込まなければいいのに。


 この世の誰も、刹那自身でさえも、その楔を抜く事が出来ない。


 俺は震える刹那の肩を抱こうとして・・・・・伸ばした手をさげた。俺が触れると刹那は傷つく。いない人の面影に苦しむ。


 俺は天を仰いで、もうこの世にはいない兄さんを呪った。








嗚呼、この手はどこへたどり着く?