まさしく鶴の一声としか言いようがない帝人の言葉で、臨也を射殺さんばかりに見つめていた少女は渋々退いた。小柄な帝人よりさらに小さいその身体に何が巣食っているのか臨也は知っているので、慎重に距離を取り決して彼女の攻撃範囲に踏み込まないように注意する。


 「それで、ぼくに何の御用ですか、臨也さん?」


 「わざとらしいなぁ。わかってるくせに。ていうか、昨日の今日だよ? 何の用だかわからない君じゃないだろう」


 「わかってますよ。希望的観測を述べてみただけです」


 嫌そうに、本当に嫌そうに帝人が眉を寄せる。彼のその表情に、隣で番犬よろしく待機していた少女がぴくりと反応した。


 「・・・・・・竜ヶ峰くん」


 「大丈夫だよ、園原さん」


 大丈夫、と帝人が微笑みかけると、杏里は大人しく引き下がる。まるで首輪で繋がれた狼のようだ、と臨也は詮無い感想を抱いた。


 「話があるんだけど、さすがにここじゃなんだから移動しよう? あ、ちなみにさっきも言ったとおり、用があるのは帝人くんだけだから」


 君は不必要(いらない)。臨也が話しかけるだけで、杏里の美少女とも言って差し支えない顔が軽蔑と殺意に歪む。不自然に右腕を動かそうとする杏里を、帝人がやんわりと遮る。


 「じゃあまた明日、園原さん」


 「っ・・・・また、明日」


 瞬間、杏里の顔に浮かんだのは絶望、羨望、願望、そして溢れんばかりの希望。最後の希望はおそらく、明日を嫌がる帝人が礼儀的とはいえ明日を約束してくれたことと、いまだに別れの挨拶が『さようなら』である臨也に対する優越感から。性格悪いなあ、と自分のことは棚の上に投げ捨てながら臨也は思った。


 「奢るからマック行こうか」


 「マック程度なら自分で払えるからけっこうです」


 「遠慮しなくていいんだよ。君と俺の仲じゃないか!」


 「赤の他人以下知り合い未満な仲なのでとても遠慮します」


 「それってただの通行人Aだよね」


 「むしろそこらへんの樹木役でいいじゃないですか」


 成立しているのか否かよくわからない会話を続けながら、それでもスピードを落とすことなく歩く。臨也と話すのが苦痛のなのかそれとも今後を思ってか、歩いている時も信号待ちしている時もマックに入った時も注文したシェイクを乗せたトレーを持って席に着いた時も、帝人は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。


 じゅるじゅるとストローで溶けきっていないシェイクをすする帝人を眺める。暇そうに窓の外の行きかう人々へ視線を投げかけている彼は、どこからどう見てもただの男子高校生に他ならない。


 「あれから不眠不休で調べてみたよ。ていうか、君の説明が端的過ぎてわかんなかったんだけどさ」


 昨夜を思い出して、背筋がゾクリと歓喜で震える。まさかあれほどの大惨事の説明を『食事の約束があるんで帰りたいんですけど、また今度じゃ駄目ですか?』という理由で先延ばしにされかけた時は、らしくもなく焦った。あんな状態で放置されていたら、それこそわけわからなすぎて発狂してしまうかもしれない。


 とはいっても結局説明してもらったのは帝人についての、ほんの一部だけ。何百年も生きてるとことか、全身ミンチにされようが死ねないこととか。


 「それで、ぼくについてなにかわかりました?」


 まるで授業中に指名され『わかりません』と屈辱と羞恥に震えながら述べる生徒を眺めている教師のような笑みで、たったひとつしかない答えを帝人が促す。情報を生業としている臨也にとってその言葉は敗北宣言であったが、己のプライドや羞恥その他もろもろと引き換えに少しでも彼の情報が手に入るのなら、それは安い買い物だ。


 「なにもわからなかったよ」


 文字道理の敗北宣言。ありとあらゆる手段を使ってありとあらゆる情報を得てありとあらゆる可能性を考えて、たったひとつの答えを出す。それで飯を食っている臨也としては、屈辱以外のなにものでもない、その言葉。


 なにもわからなかったわけではない。いくつか知りえた情報もある。しかしそれは竜ヶ峰帝人がどんな人物なのか知るには充分すぎるものだったが、竜ヶ峰帝人がどんな生き物なのか理解するには不十分すぎた。


 「ねえ、君いったいどんな方法使ったのさ? ちょっと探りいれただけで鬼のようなトラップが襲い掛かってくるし。しかもあんな悪質なウイルス! 俺のパソコンにあそこまでダメージ当たるなんて! 俺のパソコン、それなりに値が張るんだよ?」


 泣き言に近い臨也の台詞に、必死に笑いをこらえている帝人の瞳が語っている。ざまあみろ、と。


 「身の程をわきまえないからですよ、臨也さん。ひとつ勉強になってよかったですね」


 深く笑う、それは子供のやんちゃをたしなめる翁のような、学生姿の彼にはひどく不釣合いな、けれどどこかしっくりくる雰囲気。


 歪な、笑み。


 中身と外見がちぐはぐな、雰囲気。


 「帝人くん」


 まるで蛾が灯火に惹かれるように、臨也の視線は目の前の少年に釘付けになった。もちろん目の前の少年が灯火なんて生易しいものではなく、轟々と燃え盛る炎で、触れれば灰になってしまうと承知のうえで。


 「君はなに?」


 炎が、哂った。


 その笑みを見た瞬間、歓喜と恐怖と感動がごちゃまぜになったなんとも形容しがたい感情が臨也の背筋を一気に駆け上り、突き上げ、脳まで達して破裂した。水風船が割れて中の水が弾けるように、感情が飛散した。


 肌が震える。脳髄が蕩ける。脳みそが沸騰する。感情の嵐に翻弄されながらも、臨也はこの瞬間を悦んでいた。


 間違いなく、臨也は楽しんで、喜んで、感動して、感謝していた。


 彼が何者であろうと構わない。彼を作ってくれたなにかに、臨也は心の底から感謝していた。


 こんなに惹きつけられるなにかが、この世にいたなんて。


 彼とで会うことのなかった今までを呪い、同時に彼と接点を持ったこの先の未来に祝福を。


 臨也の心境など気付かず、もしくは気付いているのかもしれないがこれっぽっちも表に出さず、帝人は感情がいっさいそぎ落とされた声で答えた。


 「知りませんって前にもお話したでしょう? ていうか、ぼく、ちゃんと説明しましたよね?」


 呆れたようなため息がひとつ、床に落ちて霧散した。


 「死ねないんですって、言いましたよね」


 「知ってるよ。でもそれだけじゃなにも知らないと変わらない」


 俺はね、と臨也は火遊びを続ける。火傷を負って痛いと泣き叫んでも、それでも臨也は火遊びを止めない。


 「知りたい(ほしい)


 子供のわがままじみた、ひどく拙い台詞。臨也は気付かない。愚かにも気付けない。その台詞を口にした瞬間、帝人の瞳が歪んだことに。


 「駄目ですよ、臨也さん」


 あげられない、と彼は微笑んだ。


 「とっくの昔に正臣にあげちゃってますから」


 彼の口から出たのは、彼の情報操作に加担していると思われる、彼の親友の名。世間一般では遠縁となっていることから、もしかしたら家族ぐるみでの付き合いかもしれない。


 帝人とこの世界を繋ぐ、細く頼りない糸。


 「正臣が死ぬとき、ちゃんとぼくを殺してくれるって約束、したんです」


 「・・・・・・は?」


 「だから、もうぼくには誰かにあげられるものなんて残ってません」


 理解が出来なかった。脳みそが彼の言葉を拒んだ。それくらい、臨也にとって衝撃的だった。


 恐る恐る、まだ半分くらい信じられない、否、信じたくない一心で臨也は問う。


 「帝人くん、君、死にたいの?」


 はい、とまるで花開くように微笑んだ帝人に、臨也は目の前が真っ暗になるほどの切望を覚えた。


 せっかく出逢えたのに。これからだというのに。


 それなのに帝人は、これから臨也にとって魅力的すぎる出来事が繰り広げられるだろう未来を、手放そうとしている。


 「いやだよ」


 拙いその言葉は臨也らしくない。もっと複雑怪奇でキザったらしくてこんがらがった言葉で彼を絡めることも出来たのだけれど、その言葉は拙く幼稚で、しかしそれゆえに何も飾らない真剣さがあふれていた。


 「いやだよ、ねえ、絶対にいやだ。君、死なないんでしょ? だったら死なないでよ。死なせないよ、絶対。死なせるもんか。紀田くんが君を殺すなら、俺が君を生かす。俺のエゴで。紀田くんなんかに殺らせない」


 細い指で帝人の顎をすくう。至近距離で見つめる帝人の瞳は冷たく、深海を連想させる。臨也の言葉になんの感情を浮かべていないその瞳に、寄せては返す波に刃を突き立てているようなそんな無意味な行動をしている自分が映っていて、臨也はそれを酷く滑稽だと思った。


 「君が欲しい」


 飾らない、臨也の心からの願望。


 「丁重にお断りさせていただきます」


 不必要(いらない)、と至近距離で吐き捨てた帝人は、炎のように揺らめいて定まらない笑みを浮かべた。





   











 お題は選択式御題さんよりお借りしました。