『頭蓋の窪んだ目は君を見ない』 死ねない帝人くんと誰か











 人を刺す感触は(どこを殴るかにもよるけれど)たいてい酷く気持ち悪くて、早く忘れたいのに手にはべりついてなかなか取れない。血痕とかも同じだ。あれ、お湯めちゃくちゃしっかり洗わないと落ちないとことかが、なんか、似てる。そう思うのは多分ぼくだけだけれど。


 「出てきていいよ、青葉くん」


 大きな楠木の影から、おずおずと青葉くんが顔を出した。出てきていいよって言ったのに、用心深く周囲を見渡している。なんで、って聞いたらあぶないですから、と青葉くんは応えた。


 「まだそのあたりにかくれてるかもしれないでしょう」


 「大丈夫だよ、ほら」


 ぼくは物陰に隠れて旅人を待ち伏せた挙句木の棒や刃物などで襲って金品(時には命も)を奪っていく集団のひとりを足先でつついた。がっくりと事切れている男(だったもの)はうんともすんとも言わないし、ぴくりとも動かない。動いたら嫌だけど。動かなくさせたのはもっと嫌だったけど。


 「なんですか、このひとたち」


 「さあ? 山賊かな。でもそんな噂は聞かないし」


 今さっき発った村は小さな集落だった。近くの山道で山賊が出るのならば、娯楽に飢えている村落ではあっというまに噂になる。人目を避けているとはいえ、そーゆー噂は聞き逃さないように注意していた。ぼくはともかく、青葉くんは死んでしまう危険がある。この場合、彼らが質素な身なりをした子供と幼児の二人連れを見逃してくれるような人だという希望は投げ捨てたほうがいい。


 ぼくの足元に転がっている元人間は全部で五つ。一番遠くに転がっているのが、いきなり後ろからぼくの後頭部をスイカ割りよろしく棍棒で叩き割るという行動を取った男だ。頭蓋骨がべっこりと陥没し中身を派手に洩らしたぼくの頭部はそれほどの間をおかずに再生して男たちを驚かせた。とりあえず素早く事態を飲み込んで即足手まといにならないように逃げてくれた青葉くんに感謝しながら、ぼくは逃げ惑う男たちを懐の小刀を使って過去形にする作業を開始した。それほど時間はかからなかったのは、さして抵抗されなかったこととぼくがこんな出来事に慣れていたからだろう。嫌な話だけれど。


 「じゃ、青葉くんはそっちお願いね。わからないものがあったらぼくに見せて」


 「はい」


 ミイラ取りがミイラとはこのことだ。ぼくらはちゃっちゃと男たちの持ち物を物色する。それほど期待はしていないけれど、まっとうな職に就けない者としては、こーゆー臨時収入もけっこう重要だったりする。


 お天道様がしかめっ面しそうなその作業を、ぼくらはお月様監修のもとせっせと励む。収穫はそこそこの金銭がはいったサイフがふたつ。子供ふたりの旅銀としては最高だ。見つけたのは青葉くん。えらいえらいと頭を撫でると、嬉しそうに笑った。うん、死体が転がる山道であっても、この子の笑顔には癒される。


 「みかどさん、あたま、だいじょうぶですか?」


 それはぼくの知能がアレということを示しているのだろうか。


 「いたそうでしたよ」


 「まあね」


 赤銅色に汚れてしまった着物からまだそれほど汚れていない着物へ着替えるために移動した木の影に隠れながら、ぼくは短く応える。残念ながらぼくの身体に痛覚がしっかり残ってしまったので、頭を割られたのはそれなりに痛かったりする。


 萌葱色の着物の裾を、青葉くんの紅葉のような手が握った。なあに、と傾げるといたいですか、と再度問われる。ぼくを仰ぎ見る青葉くんの目は少しだけ怖かった。


 「痛いのは嫌だね」


 「そうですね」


 「だから怪我には気をつけてね、青葉くん」


 「みかどさんこそ」


 子供特有の少し高い、舌足らずな声。


 「いつもけがばっかり」


 「・・・・・そうだね」


 怪我に気をつけて、なんてぼくが言える台詞じゃない。


 「きをつけてください」


 ぼくの着物の裾を握り締める青葉くんの手を着物から自分の手に取り替えて、ぼくらは山道を歩く。日中が日差しが暑くて青葉くんには大変なので、この時期はもっぱら、夜に歩くのが恒例となっている。


 「みかどさんがいたいと、おれもいたいですから」


 「それは違うよ、青葉くん」


 変なの、とぼくは笑った。


 「ぼくが痛くても、きみは痛くないよ」


 別にぼくは青葉くんと痛覚を共有しているわけではないし。


 「でも」


 青葉くんは怒ったような、泣きそうな顔をしている。器用な子だ。感情豊かだね、と褒めればいいのか、ふたつのことをいっぺんにするんじゃありません、と咎めればいいのか。


 「なんだか、すごく、嫌なんです」


 この子はいつか、ぼくが死んだら泣くような子なんだろうな。少しだけ罪悪感と哀しさがぼくの胸をぐちゃぐちゃにした。できれば泣き顔は見たくないから、泣かないで欲しい。ぼくの我がままだけれど。


 俯く青葉くんの手を握り締めて、ぼくらはとりとめのない話をしながら山道を歩いた。「月が綺麗だね」「みかどさんがそうおもうのなら」「お腹すかない?」「みかどさんがすいてないなら、すいてません」「けっこう歩いたけど、疲れてない?」「みかどさんといっしょならだいじょうぶです」


 「青葉くんって変な子だね」


 青葉くんは嬉しそうに笑った。


 「みかどさんがそだてたから」





 











 お題は歌舞伎さんよりお借りしました。
































 『骨の一片まで残さず愛してくれるなら、命の一滴も惜しまず全て差し出してあげる』 青帝♀











 彼女に噛み癖があると青葉が気付いたのはただの偶然に過ぎない。廃工場に打ち捨てられているドラム缶の上に陣取ってなにやら文字が印刷されたコピー用紙の束をめくりながら深く考え込んでいる帝人は、時折、本人も気付いていないのかわからないが、口元に当てているボールペンをがじがじとかじっている。それを眺めながら青葉は、もう少し足を高く組んでくれればスカートの中見えるのになあと思うと同時に、帝人がいつも思案している時に手元のものをかじっていることに気がついた。


 別にシャープペンに有毒成分が含まれているわけでもないし、青葉自身、幼少時には鉛筆をかじる癖があった。あの頃はいくら教員に注意されても治らなかったその癖は、小学校高学年にあがる頃には自分にそんな癖があったことすら忘れるようになっていた。だから特に帝人を責める気もないが、気にならないと言えば嘘になる。


 別に帝人がどこぞの喧嘩人形のように、ボールペンを噛み千切れるわけでもないけれど。


 なんとなく、本当になんの意味も意義も意思も理由もないままに、集中している帝人の邪魔をすることは彼女の機嫌を損ねかねないことを知っていたけれど青葉は「先輩、その癖なんとかしません?」と指摘した。


 「ボールペン、またかじってますよ」


 その言葉に顔を上げたものの、何を言われているのかわからないといったふうの帝人に青葉は口元を指差して示す。そこで初めて、己の唾液で濡れたボールペンの存在に気付いたらしい帝人が驚いたような声を上げた。


 「うわ、べとべと」


 「結構前からずっとかじってましたからね。ほんと、気付いてなかったんですか?」


 「ぜんぜん」


 唾液で光るボールペンをハンカチで拭きながら帝人はあっけらんと言う。あれだけ長時間かじっていて本当に無自覚だったのかと、青葉は少しだけ瞠目した。思い返せば青葉が鉛筆をかじる癖があったころも、特に楽しいとも思わないまましかし無自覚のまま続けていた。噛み癖とはそういうものなのかもしれない。


 「口寂しいんだったら、ガムでも噛めばいいじゃないですか」


 「あー、今のガムってほとんどキシリトール入ってるからさ。僕、スースーするの駄目なんだよね」


 うわあ外見じゃなくて中身も子供みたい、と思ったが口に出せばボールペンが弾丸のように飛んでくることはわかっていたので青葉は平然と「それは難儀ですね」と返した。そんな子供っぽさもまあ可愛いですよと続くのだが、どんな美辞麗句を並べたところで彼女の地雷を踏んだ事には変わりないので、やはりボールペンに風穴をあけられるのだろう。


 「だからってボールペンをかむのはどうかと思うんですけど」


 「だよね。ていうか僕、いままでずっとこんなことしてたの? 恥ずかしいなあ」


 「まあ、しょっちゅう」


 さすがに高校生にもなってボールペンを噛むなんて癖があるのは恥ずかしいのか、どうしたものかと帝人が思案顔になる。青葉はぼんやりと帝人の顔を眺めながら、ふと、唐突に思い浮かんだ提案を口にした。


 「口が寂しいなら、俺の指、噛みます?」


 我ながらなんて馬鹿げた発言と思ったが、今更音として発してしまった音声を取り消せるわけもないので、青葉は目を瞬かせている帝人の口元に、自分の右手を近づけた。そっと指で彼女の口元を濡らす唾液を拭い取る。


 帝人の口唇に触れた青葉の指、を。


 肉厚な舌先がなぞり柔らかい肉の感触とぬめる熱い唾液がまとわりつく、指に。


 「あ」


 なんの躊躇も躊躇いも前触れもないまま、帝人の歯が食い込んだ。


 「っ!」


 まさか本当に噛まれるとは思っていなかった油断と想像以上の口内の熱さに青菜は目をむきながらも、帝人が今まさに青葉の指を喰らっているという目の前の光景に、背筋からぞくぞくした快感ともそのまま喰いちぎられるのではないかという恐怖ともつかない感情が一気に駆け抜け、爆発して身体中に霧散した。


 このまま喰われてもかまわないと、思った。


 帝人に喰われて、骨の髄まですすられても文句など言うはずがない。


 (先輩の舌が歯が唾液が視線がずっと俺だけを俺だけを舐めて噛んで濡らして見つめ、て)


 最高だ、と熱い吐息を唇からこぼしながら、青葉は上目遣いにこちらを見上げながら指や手のひらに歯形と鈍い痛みを残し続ける帝人をうっとりと見つめた。





 の一片まで残さず愛してくれるなら、の一滴も惜しまず全て差し出してあげる








 (だからどうか愛して、と1度でも微かでも想いを伝えていたなら)











 お題はロストブルーさんよりお借りしました。