これは夢だと最初からわかっていた。


 数か月ぶりに見る幼馴染の姿はどこもかわっていなくて、懐かしい声で帝人と呼ばれて泣きそうになった。正臣、と囁く声は聞こえない。きっとこれが夢だからだろう。彼は明るく染めた金髪を揺らして、少しだけ翳のある笑顔を見せた。


 『帝人、ちょっと俺出かけてくるわ』


 どこへ、と尋ねても彼は笑ってはぐらかした。


 『全部綺麗にしたら帰ってくるから。またふたりで馬鹿やって遊ぼうぜ』


 連れて行ってと、その手に縋りつけばよかったのだ。なにがなんでも一緒に行けばよかった。彼をひとりにさせるべきではなかった。自分ひとりになるべきではなかった。


 『大丈夫、すぐに帰ってくるって』


 嘘つき、と夢の中で彼を罵った。置いていったくせに。帰ってこなかったくせに。すぐに帰るなんて、どの口が言うのか。


 『すぐ元通りになるから』


 元通りなんて望んでいなかった。そんなことよりもそばにいてほしかった。そばにいたかった。そばにいればよかった。もう、後悔だけが胸を焼く。


 『じゃあな、帝人』


 笑顔のまま彼は遠ざかっていく。行かないで、と叫んだのか。連れて行って、と手を伸ばしたのか。帝人にはわからない。自分がどうやって彼を引きとめようとしたのか、どうやったら彼が思いとどまってくれるのか、帝人にはなにもわからない。


 ただひたすら、後悔だけが胸を焼き、抉った。


 ふと人の気配を感じてゆるゆると目を開ける。起きた直後だからだろうか、視界はぼやけてはっきりとしない。焦点の合わない視界に煌めく金髪が目を貫いた。まさおみ、と動かない唇を叱咤して囁く。


 あとはもう、感情だけで行動していた。


 一息で上半身を起こすとその勢いのまま相手に抱きついた。まさおみ、まさおみ、と繰り返す。やっと会えた。彼の首筋に顔を埋めて、咽び泣くようにひたすら彼の名前を囁いた。痛いくらいの力を込めて抱きつく。このまま腕が折れても構わないと思った。それで彼のそばにいられるのなら、腕などいらない。


 「おいていかないで」


 ぎゅうといっそう腕に力を込めて、抱きつくというよりは縋りつくといった体勢で、帝人は叫んだ。頬に濡れた感触があったけれど、帝人にはもうなにも、わからなかった。




















 泣き疲れたのか睡魔に負けたのか、すぅすぅと小さく寝息を立て始めた身体をそっと自分からひきはがしてベッドに寝かせ、静雄は嘆息した。この小さな身体のどこにこれほどの力があるのだと驚かされるくらいの力で静雄に抱きついていた帝人の頬は涙でぐっしょり濡れている。


 偶然だった。ふと夜中に用を足しに起きた、その途中で泣き声を聞いた。廊下に立ち尽くしたまま耳を澄ませばそれは間違いなく帝人が眠る部屋から聞こえていた。泣き声が聞こえれば何事か気になるわけで、静雄はそっと部屋の中を覗いた。


 そこには眠る帝人以外、誰もいなかった。何があったわけでもないのに帝人は泣きながら眠っていた。無言で閉じた瞼から涙を流す姿を見ていられなくなって、そっとベッドの脇に立った静雄は彼を起こすと手を伸ばした、けれど。


 その手が帝人に触れるより先に、帝人の瞼が開いた。


 突然帝人が目を覚ましたことに驚いて静雄は身じろいだが、さらに抱きつかれて静雄は硬直した。声を上げるわけにもいかず、行き場のない手を宙に浮かせたままどうしたものかと思案する静雄の耳に、涙で濡れた声が響いた。


 まさおみ、と泣いていた。


 ぐしゅぐしゅとすすり泣きながら、ひたすらまさおみ、を繰り返していた。それは懇願出のようでもあり、また呪詛のようでもあった。縋りついているようにも聞こえ、また罵っているようにも思えた。


 「おいていかないで」


 そう囁いて静雄に抱きついてきた帝人の顔を眺める。あの時なんて言えばいいのか静雄にはわからなかった。抱きとめてやることはできても、その背を撫でることも抱き返すこともできなかった。静雄の強すぎる力ではきっと彼を抱きつぶしてしまうだろう。だから静雄にはなにもできなかった。


 ここにいるよ、と慰めてやればよかったのだろうけれど。帝人が探しているのは幼馴染の少年であって静雄ではない。普通の少年であって化け物のような男ではない。だから静雄には帝人の幼馴染の代わりにはなれないし、帝人の胸の穴を埋めることもできない。もちろん、涙をぬぐってあげることさえ、この手ではできないのだ。