窓際から数えて三番目、そこが会社内で静雄に与えられたスペースであった。一応机が設置されているが、専ら上司トムもしくは後輩ヴァローナと賞金首を追っかけているほうが圧倒的に多いので、デスクワークなど専門外の静雄にとっては無用の長物以外の何物でもない。だがその日は珍しく、机に肘を載せて深く考え込む静雄の姿が見られた。天変地異、明日は槍が降る、と呟いたヴァローナに灰皿を投げ付けた以外、静雄はそこから動こうとしない。


 静雄がサングラス越しに睨みつけているのは、懇意にしている情報屋から送られてきた調査書。


 賞金稼ぎといえど適当に隔離エリアをさまよって賞金首を見つけているわけではない。彼らだって命がけで逃げているのだから、そう簡単に見つかるような逃げ方はしていないのだ。なのでたいていの賞金稼ぎが情報屋と呼ばれる職業の者と契約を結び、賞金の何割かを報酬に情報を流させている。だから、静雄が彼らから受け取ったこの調査書も信用できる、はずなのに。


 (確認できず、だと・・・?)


 ほぼ白紙に近いその紙には『不可能』と書かれている。静雄がこの仕事を始めてからずっと組んできた情報屋だ、その情報は信頼するに値する。だからここに書かれている情報は真実だ。


 調査書には紀田正臣の現在位置はもとより、どこに産まれどうやって育ってきたのかさえわからないと、そう書かれていた。


 帝人との約束を守るつもりで、見つからなくとも何らかの手がかりくらいは得られるだろうと、そんな軽い気持ちで調査を依頼した、その結果がこれだ。静雄はその紙を激情のままにぐしゃりと握りつぶし、煙草に火をつけた。とてもじゃないが、帝人に伝えられる情報ではない。


 「静雄、さっきから小難しい顔してどうした」


 「トムさん」


 ひょいと背後からトムが顔を出してくる。彼は先ほど静雄が握りつぶした紙を開くと、そこに書かれている文字に首をかしげた。


 「紀田正臣って、お前が拾った子が探してるっていう幼馴染か」


 「はい。いくら顔写真がないっつっても、さすがにこれはありえません」


 「だよな。これじゃあ、まるで」


 誰かが意図的に『紀田正臣』を消してしまったようだ。トムはその先を語らなかったが、間違いなく静雄と同じ考えを持っている。誰だかは知らないが、人ひとりこの世から完全に消すなど、並大抵の力ではできない。


 「帝人には情報屋に探してもらってるって話しちまった手前、のこのことこんな結果持って帰るわけにはいかないんです」


 「だよなあ。かっこわりいぞ、これは」


 かっこわるい、の台詞がぐさりと静雄の心に突き刺さる。大人としてのプライドが、帝人の事実を伝えることを拒否していた。とりあえず情報屋に調査の礼となにかわかったらすぐに教えてほしいという内容の返信を送る。あまり期待はしていないので、こちらも別に手を打たなくてはいけない。


 「厄介事かもしれねえんだったら、九十九屋が詳しいだろ。つってもあいつはあいつで連絡なんざたまにしか取れねえからな」


 トムが言おうとしている内容を察して、静雄は歯ぎしりをした。その反動で根元から切断された煙草が灰と共に落ちるが、上手にキャッチしてまだ火が付いていることなど厭わず片手で握りつぶした。静雄は立ち上がると、苦笑するトムに「・・・・・・考えときます」と答えて帰り支度を始めた。


 「最近お前早く帰るな」


 「帝人を迎えにいかないと行けないんです。新羅のとこに診察受けに行ってるんで」


 「そっか、まだ歩けないんだったっけ」


 歩けることには歩けるのだが、足を引きずっているので転びやすいうえに長時間動かすとやはり治りも遅くなるらしい。静雄は車もバイクも持っていないが、帝人を迎えに行くためにヴァローナにバイクを借りた。見返りとしてタイマンを申し込まれたのだが、適当にあしらえばいいだろうと後輩から受け取ったキーを手のひらでもてあそぶ。


 自分以外の人間と久しぶりに暮らし始めて、家族以外の人間と初めて暮らし始めて。


 少しだけ変わり始めた生活のリズムは、静雄にとって不快なものではなかった。けれども決して、心地よくともなかった。静雄はまだ、胸にわだかまるこのこそばゆい感情が何なのか、知らずにいた。

















 「あ、静雄さん。お仕事お疲れ様です」


 清潔感が漂う白いベッドに腰掛けて足をぶらつかせていた帝人が、入ってきた静雄に気がついて顔をほころばせた。しっかりと主治医の言いつけを守っているおかげで徐々に回復していっている帝人は、もう寝ていても死人や人形に見間違われこともないだろう。


 『なんだ、わざわざ迎えに来たのか。私が送っていくつもりでいたのに』


 「いいって。急に仕事が入ったら困るだろ」


 全身を黒いライダースーツで覆った、女性とも男性ともつかない人物が慎重な手つきで帝人の頬のガーゼをはがしている。首なしライダーという、妖精に分類される彼女の正体は口外すべきものではないのだが、静雄の口からあっさりと正体が帝人に伝わった上に帝人が怖がるどころか目をキラキラさせてきたので、もはや隠す必要はなしと判断したらしい。器用に自分の影を伸ばして消毒と包帯の交換を同時に行っているセルティは『終わったよ』と帝人の頭をぽんぽんと軽くはたいた。


 『前よりもずいぶんと顔色が良くなったな。静雄の看護じゃ不安だったけど、私の杞憂みたいで安心したよ』


 「眩暈も前よりずっと数が減りましたし、足がちょっと不便ですけど、これでも家事とかできるようになったんですよ」


 『家事しているのか? 帝人が?』


 「はい。お世話になっているので、これくらいはしませんと」


 怪我人になんてことをさせてるんだ、とセルティはとげとげした雰囲気で静雄を責める。とは言われても、当初から家事などの手伝いすると帝人は言ってきかなかった。その決意は静雄が口をはさめるようなものではなく、正直静雄自身、帝人のおかげで前よりもぐっと生活の質が上がっているのでついつい甘えてしまっている状況だ。


 「帝人、少し訊きてえんだけど」


 「はい?」


 帰り支度を始めていた帝人が座ったままくるりと静雄のほうを向く。どう尋ねたらいいのか少しだけ迷って、静雄は意味もなく己の髪を片手でかき混ぜた。


 「お前が探してる紀田ってやつ、なにか厄介事に巻き込まれてたとか、そんなことなかったか?」


 「え・・・・・・そんなこと、なかったと思うんですけど」


 急激に帝人の顔が曇る。彼の探している少年がなにか犯罪に巻き込まれているなら、あのような不自然な情報消滅もう頷ける。今はとにかく、どんな些細なことでもいいから情報が欲しかった。


 「正臣は最後に『全部綺麗にしたらまた帰ってくる』って、言い残してどこかへ行ってしまったんです。たまにあることだから最初はあまり気にしなかったんですけど、さすがに半年も連絡がないのはおかしいと思って」


 それがことの始まりらしい。全部綺麗にしたらまた帰ってくる。なにを、どう綺麗にするのか。静雄が眉をひそめると、何か思いつたらしいセルティがかたかたとPDAに打ち込んだ。


 『アイツに依頼したらなにかわかるんじゃないか? 九十九屋は滅多に連絡が取れないんだし』


 「あいつ?」


 『うん、静雄と新羅の昔馴染みでね。腕はいいけど性格が最悪だから静雄なんかはものすごく嫌って』


 「あのウジ蟲に頭下げるくらいなら舌噛み切ったほうがましだ」


 セルティが高速でPDAに打ち込むのを制して、静雄は露骨に不快感をあらわにした。その理由を知らない帝人は首をかしげるばかりだが、セルティは静雄の機嫌が急降下したのを察して押し黙った。


 『背に腹はかえられないって言葉、知ってるか?』


 「最悪殴ってでも九十九屋になんとかさせりゃいいだろ」


 そこまでしてアイツと関わりたくないのか、とセルティが呆れを含んだ雰囲気を滲ませる仕草で肩をすくめた。話についていけていない帝人の頭をくしゃりと撫でて、静雄はポケットからバイクのキーを取り出す。ヴァローナには悪いが、帝人を乗せるためにバイクにサイドカーをつけさせてもらった。返す際に取り外しておけばばれないだろうと、楽観視した考えを心の中で囁く。


 「帰るぞ、帝人」


 はい、と嬉しそうに頷く帝人の姿を見て、きゅう、と静雄の胸が伸縮した。不快ではない。けれど心地よくもない。わけがわからなくて、なんだか妙に胸がざわめいて、静雄は顔を隠すために持っていたヘルメットを深くかぶった。サングラス越しに色づいていた世界がまた、いっそう色を濃くしていった。