妙な子供だ、というのが静雄の竜ヶ峰帝人と名乗った子供に対する感想であった。彼はゆるゆると瞳を開けると、見知らぬ男ふたりに囲まれているという状況にも関わらず、静雄の瞳を見つめながら「おはようございます」と言ったのだ。
「すみませんけど、ここがどこであなた方がどなたで今がどういう状況なのか、説明してもらってもいいですか?」
とりあえず異常事態だということは理解しているらしい帝人はゆっくりと新羅と静雄の顔を見比べて、目の前にいた静雄に問いかける。異常なほど落ち着いている子供に静雄が混乱し、口を開くもあーとかうーとか意味もない擬音しか出てこないことが情けない。どこから説明したものかと迷って、とにかく脳裏に浮かんだ言葉を声に出した。
「俺はお前を拾った者だ」
背後で新羅がぶっと噴出すのが気配でわかった。人の精一杯を笑う不届き者の始末を考えながら、静雄はやっちまったなーと数秒前の自分の行いを後悔しだした。自己紹介にしては不審者すぎる、状況説明にしては言葉が少なすぎるそれに帝人は瞳を瞬かせて。
「それはどうも、お手数おかけしてしまったようですみません」
深々と頭を下げた帝人に、静雄は思わずたじろぐ。この子供、どこか緊張感が抜けていると言うか、人間らしさがない。肝が据わっているとでもいうのか、堂々としていると称するには控えめで自己主張がない。
目を開けたら見知らぬ部屋で見知らぬ男に囲まれていたという状況で、うろたえない人間がいるのだろうか。
答えは否だ。泣くか、叫ぶか、怯えるか。少なくともこんな風に落ち着いて謝罪したりしない。落ち着くまでに数分を要するのが普通だ。静雄だったらとりあえず一通り暴れる自信はある。胸を張れることではないけれど。
(妙なガキ・・・・)
まるで、大切なナニカをなくしてしまったのに、何をなくしたのかすらわからない赤子のような。縋るべき母親の手を見失って呆然とする幼子のような。
「はいはい。よくわかってない人同士じゃ話なんて進まないよー」
両者が黙りこくってしまったタイミングで新羅が割り込む。ニコニコと掴みどこのない笑顔で帝人に近付くと、そばにあったイスに腰掛けて目線を合わせた。
「ぼくは君を診断した医者で、岸谷新羅。で、こっちが君を拾ってくれた平和島静雄。政府公認討伐及び捕獲専門家ってわかる? あ、今の子は賞金稼ぎのほうがいいか」
「いえ、どちらでもわかりますよ。そっか、平和島さんはお強いんですね」
「強いって言うかなんかもうチート並みだよ? デコピンで人気絶させるわ、道路標識引っこ抜くわ、コンクリート蹴り砕くわ」
「新羅!」
調子に乗って余計な事までベラベラ喋りだした旧友に向かって叫ぶ。とっさに手が出そうになったが、気絶などさせては目を覚ますまでが面倒なのでぐっとこらえた。静雄は恐る恐る帝人の表情を、その幼さが残る童顔にどんな感情が出現しているのか確かめるために、ちらりと盗み見た。
彼は微笑んでいた。
「平和島さんってすごいんですね」
瞳をきらきらと輝かせて、帝人は笑っていた。その表情に満ちているのは、幼子がテレビの中でしか見られなかったヒーローを目の前にしているような、純粋な憧れ。
いまだかつて向けられたことのなかったまなざしは静雄をなんだかむずかゆいようなもやもやするような、落ち着かない気持ちにさせる。今まで恐怖と畏怖と怖れしか向けられなかった静雄に、羨望なんて感情は無縁だった。
「それで、なんできみはあんなとこにいたのかな?」
新羅が素早く本題を切り出す。静雄が帝人を拾ったエリアD−3は完全な無法地帯だ。住んでいる人間と言えば人目を避けてやってきた犯罪者か、それら相手に商売をする情報人、麻薬販売者、あとは新羅のような闇医者など。少なくともまっとうな道を歩いている人間ならば一生立ち入らない地区だ。
「人を探しているんです」
帝人は張り詰めた表情でそう答えた。
「幼馴染の男の子です。ぼくより少し背が高くて、髪は茶髪に近い金で、両耳にピアスをしてます」
見たことありませんか、と問う帝人に静雄は首を振る。新羅といえば肩をすくめているから、彼も見覚えがないのだろう。否を伝えるふたりの仕草に、帝人は目に見えて落ち込んだ。
「人探しなんて大変だねえ」
「はい。いろいろ大変で、やっぱり外は危険ですけど・・・でも絶対見つけます」
頷く帝人の瞳は真剣で、彼がどれだけその幼馴染を大切に想っているのかがよくあらわれている。栄養失調で倒れるくらいだ、相当な時間捜し求めてさ迷い歩いたのだろう。
「その前にしっかり養生しとけ。その身体じゃ見つかるもんも見つからねえ」
静雄の指摘に帝人が苦い顔をする。左足を捻挫している状態では満足に歩く事さえできないのだから、人探しなど夢のまた夢である。帝人も理解しているのか、もどかしそうに包帯の巻かれた左足を睨みつけている。そんなことをしても怪我など治らないのだが、帝人は誰か今この怪我を一瞬で治してくれたら100万円支払ってもいい、そんな表情をしていた。
「とりあえず拾った好誼だ。怪我が治るまで俺ん家来い。ついでに情報屋にも話つけといてやるよ」
「え・・・・いいんですか、そんな」
「ああ。わりぃが男の一人暮らしなんで、不便かも知れねえぞ」
帝人は躊躇うような素振りを見せたが、自分の身体を見て遠慮している場合ではないと悟ったのだろう、やがて先ほどにも負けないくらい深々と頭を下げた。
「すみませんが、お世話になります」
「おう」
「あ、話がまとまったならぼくから一言。とりあえず一週間に一回程度でいいからウチに来てね。あと左足はなるべく動かなさいで。激しい運動なんてしたら治りが遅くなるよ。怪我が治りだしたらかゆくなるだろうけど、ぜったいに引っ掻かないこと。面倒でも包帯は頻繁に変えること」
守れるかい? と尋ねる新羅に帝人は大仰に頷いた。主治医からのGOサインも出たので、静雄は新羅が点滴の針を抜くのを見届けてから、片腕で帝人の身体を抱き上げると肩にかついだ。
「・・・・・静雄、その運び方は人としてどうかと思うよ?」
「ん? 歩かせないようにすりゃあいいんだろ?」
「いや、背負うとかお姫様抱っことか、もっとほかに色々あると思うんだけど」
「どうでもいいから早く降ろしてください! ゆれっ、ここけっこう揺れるんでっ」
がち、と舌を噛んだらしい帝人が肩の上で悶絶している。もしかしなくても自分のせいかと新羅に尋ねようとした静雄の視界には、ため息をつきながら口内を照らすように小さく細く作られているライトを手にした新羅が映っていた。