どすん、と唐突に腹に衝撃きた。まるでなにか重いものが乗っかっているようだ。俺は重い瞼をこすり上げて、なんとか上半身を起こした。


 「あー・・・刹那ぁ?」


 「おはよう、ライル。そろそろ行くから仕度しろ」


 俺の腹に腰掛けていた刹那は俺が目を覚ましたのを確認すると、軽やかに床に降り立った支度をしろ、と言った彼女もまだ寝巻き用のタンクトップと短パン姿だ。きっとまだ朝食を終えたばかりなのだろう。女性とはいえ、21歳の大人の身体は重すぎる。俺は刹那が降りてくれたことにほっとした。


 俺は壁にかけてあったカレンダーを確認した。今日の日付の箇所に黒く印がつけてある。そうか、今日は。


 「ニールの、命日だ」


 俺の視線がカレンダーに向いたのを見た刹那が、ぽつり、と呟いた。











 墓場に行く途中、花屋によって花束を買うことにした。刹那が店員に注文している間、手持ち無沙汰になった俺は路上に出ている花をのんびりと眺めた。


 「あ、いらっしゃいませー・・・って、あれ?」


 「へ・・・って、アレルヤ!? お前、ここで働いてたのか?」


 「バイトですけどね」


 久しぶりですね、と笑う男は昔の知り合いだ。ごつい身体とは裏腹に、花や動物などが好きだと言っていたアレルヤにとって、花屋はいいバイト先だろう。薄オレンジのエプロンはあまり似合わないけど。


 「珍しいですね、あなたが花を買うなんて」


 「どういう意味だよ・・って、反論できねーな。正確には買うのは俺じゃないんだけど」


 その時、ちょうどいいタイミングで刹那が店内から出てきた。どうやら注文は終わったらしい。刹那を見たアレルヤが納得したように頷いた。


 「久しぶり、刹那」


 「アレルヤ! ここで働いていたのか・・・・・・・・・・・・・・・それ、よく似合っている」


 アレルヤのエプロン姿を上から下まで眺めた刹那は、ひきつった笑顔でそう言った。なんというか、褒め言葉までの微妙な間に気付かないで照れているアレルヤはすごいと思う。


 「花、買ってくれたんだね。まいどありがとうございます」


 バイトとはいえ店員ということか。アレルヤのやや棒読みな台詞に、俺と刹那は顔を見合わせて笑った。


 「ふたりで花を買うなんて・・・珍しいなぁ」


 「まぁな。今日はニールの命日だから」


 刹那が言うと、アレルヤはそうだったね、と顔を曇らせた。本当に、悲しそうに。


 「交通事故だったっけ・・・・もう5年になるね」


 「ああ、早いものだな」


 5年は本当にあっという間だった。短いようで、しかし長いその月日が、俺たちをここまで立ち直させた。


 「お客様ぁー、ご用意が出来ましたよー」


 「あ、今行きます」


 花束を受け取りに刹那が店内に戻る。アレルヤも仕事中だというのにこんなにサボっていていいのだろうか。


 「5年ですか・・・・長いですね」


 「まあな。でもまあ、あっという間だった」


 「いえ、5年は長いですよ・・・・あなたからしてみればね、ニール」


 呼ばれた名前に、俺は顔をしかめた。そう呼ばれることを俺が嫌っている事を知っていてもなお、アレルヤは俺をニールと呼ぶ。


 「こんな関係をいつまで続けるつもりです? いくら双子だからって、こんなことは」


 「いつまでも続けられるはずがない?」


 「・・・・わかっているじゃないですか」


 ああ、そんなことくらい、俺だって承知している。だけど、今更どうしようもない。もう戻れはしないのだから。


 「・・・・5年で、ようやく刹那はあそこまで立ち直った。それを壊すわけにはいかないだろ」


 「ゆっくり時間をかけていけば、彼女だっていつかは認めざるを得ないでしょう? 死んだのは、ライルだということを」


 「・・・・・認める前に、刹那は壊れる」


 5年前、ライルが交通事故で死んだあの日、刹那は完膚なきまでに壊れた。周りのものを全て拒絶して、ひとり部屋に閉じこもった。最愛の恋人を失った刹那の嘆きに、俺はどうすることもできなかった。


 3日後、ようやく部屋から出てきた刹那は俺をライルと呼んだ。破壊された、狂った笑顔を浮かべて。その瞬間、俺はライルとして生きることを決めた。ニールであることを、捨てた。


 刹那はライルが死んだという事実そのものすらも拒絶したのだ。刹那の中では、あの日死んだのはニールということになっている。俺や周りの人間も、彼女に同情するかのように口裏を合わせた。


 「このままではあまりにも・・・・・あなたたちは、かわいそうです」


 アレルヤは言う。俺が、哀れだと。刹那が、哀れだと。そしてライルもまた、哀れだと。


 「・・・・お前に、俺の何がわかるって言うんだ」


 アレルヤは知らない。偽りながらだとしても刹那の傍に在り続けた、俺の願望を。ようやく得た幸せを失ってどん底まで落ちた、刹那の絶望を。彼女を残して逝かなくてならなかった、ライルの失望を。


 アレルヤは何も、知らない。


 「・・・っ、悪い。心配してくれて、ありがとな」


 「いえ、ぼくも出過ぎた真似をしました。すみません」


 ゆっくり深呼吸をして、感情を沈める。落ち着け、俺。


 「待たせたな・・・・どうかしたのか、ライル?」


 花束を抱えて出てきた刹那が怪訝そうな顔をする。俺はなんでもない、と言って刹那の手を引いた。


 「じゃあな、アレルヤ。用があったらまた買わせてもらうさ」


 「ええ、よろしくお願いしますね。刹那も、ばいばい」


 小さく手を振って、俺たちは店を後にした。


 後ろから突き刺さってくる、哀れみの視線から逃げるように。











 久しぶりに訪れた墓に花束を供え、手を合わせる。ディランディと刻まれた墓石の下には、若くして死んだ俺の両親も眠っている。


 目をつぶり手を合わせる刹那を横目で見ながら、この墓は俺の墓だと思った。


 俺がライルになることで、この世から消えたニール。アレルヤが言ったように、哀れだと思う。


 でもそうでもしなければ、俺は刹那の傍にはいられない。こうしてふたりで出かけることも、手を繋ぐ事さえ出来ない。


 そう、おれはずっと、ライルになりたかったんだ。


 「・・・・かっこわるいよなぁ」


 「ん?」


 俺の呟きに、刹那が小首を傾げる。なんでもない、と俺は刹那の頭を撫でた。きっとこれも、ライルでなければできないこと。


 きっと俺には、何一つ出来やしないのだと痛感して。俺は隣で刹那が怪訝そうな顔をするのもかまわず、自嘲の笑みを漏らした。





 











 お題は自由主義さんよりお借りしました。