講義にバイトに先輩主催の飲み会(未成年だろうがお構いなし)と怒涛のような一日を終えてアレルヤが学生アパートの自室へ戻ったのは日付が変わるまで一時間を切った頃合であった。べろんべろんに酔っ払った先輩たちに懇願してなんとか日付が変わる前に帰宅できたのはよかったが、それもあと数十分で終わりとなればあまり意味がない。
ついさっきまで酒気とテンション高すぎる人々にかこまれていたためか、頭に霞がかかっているようにぼおっとする。アレルヤはポケットからケータイを取り出すと夜風吹き荒れるベランダへ出た。
ざわり、とつめたい夜風が頬を撫でた。もう四月だというのに背筋が震えるほどの冷気を身体一杯に浴びて頭の中の霞を払った。眠らない街から視線を上げれば、街灯りにも勝るとも劣らない輝きの天体が綺麗に散っている。
この星はかの地にいる少女にも等しく降りそそいでいるのだろうか。
ほう、と零れかけた吐息を噛み砕いて、アレルヤは握り締めていたケータイを開いた。日付変更まであと三十分と少々。休み前ならともかく、平日ならば誰もが眠りにつく時間帯だ。少し迷うようにアレルヤの指がケータイのボタンの上をさまよい、やがて素早くアドレス帳を開いて大量に登録されている人名のひとつを押した。
短いコール音が続く中、アレルヤの心を占めるのは寝てしまっているのではないかという不安。
(どうか起きていて・・・・)
そして眠っていたのなら、どうか目覚めないで。あと十数えてもそのままなら切ってしまおうと決めた。今日話さなければ意味は半減してしまうのだけれど、成長期の安眠を遮るくらいなら。
アレルヤの唇が音もなく五をカウントした瞬間、ぶつりとコール音が途切れた。ケータイの小さなスピーカーから聞こえる『もしもし?』という声が懐かしくて、アレルヤは頬を緩ませた。
「夜遅くにごめんね。寝てた?」
『いや、課題を仕上げていた。提出、明日だから』
それよりも、と告げられるより早くアレルヤには彼女の言いたいことがわかった。
「あ、無事に届いたみたいだね。よかった」
『ああ。しかしもらってしまっていいのか? 高かっただろ』
「いいんだ。ちょっと遅くなっちゃったけど、無事に高校合格できたお祝いも兼ねているから」
ちょうど今日届くように指定した宅配物はどうやら彼女のお気に召したらしい。万越えするガンプラを買うために必死にアルバイトした日々を思い出して少し複雑な心境になりつつも、よろこんでもらえたのならなによりだとアレルヤは思う。
「誕生日おめでとう、刹那」
遠く離れた土地に引っ越してしまった恋人は、小さい声でありがとうと囁いた。
彼女が越してしまった土地との距離を考えて、アレルヤはその遠さに肩を落とす。せめて新幹線で行ける距離ならば、貯めたバイト代で会いにいけたのかもしれないのに。今自分たちを繋ぐのは、目に見えない電波の糸だけ。
「学校はどう? 楽しい?」
『まだ入学して三日だぞ。教師と生徒の顔を覚えるだけで精一杯だ』
咎めるような、しかし楽しそうな声にアレルヤは形だけの謝罪を口にする。
「じゃあまだ部活動も決めてないのかな?」
『勧誘が嫌というほど来るけどな。俺としては帰宅部でよかったんだが、部活動は強制らしくて・・・・ガンプラを作る時間が、減る』
「刹那、運動得意なんだしこの際どこかの運動部に入ってみたら? 野球とか、サッカーとか」
『アレルヤ、野球部もサッカー部も、女子はマネージャーにしかなれない』
「え、そうなの!?」
自分が通った高校を思い出して、その違いに目を丸くする。こちらの考えていることを察したのか、呆れたように『学校が違うんだ、色々違うのは当たり前だろう』と笑われた(ような気がした。おそらく間違ってはいない)。
刹那とアレルヤには三年もの差が存在する。幼馴染という肩書きはあるものの、行動を共に出来たのはアレルヤが中学に上がるまでのことだ。アレルヤ自身、急に難しくなった勉強と部活動の合間を縫って逢瀬を重ねてはいたけれど、どうしても疎遠になりがちになってしまった。
そしてアレルヤが大学に進学すると同時に、つまり刹那が高校生になると彼女の父親の都合で遠方へと越さねばならなくなった。彼女の父親に非はないとわかっているけれど、アレルヤはどうしても恨まずにはいられない。
遠い。遠すぎる。彼女との距離も、彼女との差も。
『鴨川の水と賽の目と僧兵』
「へ?」
向こう側でため息が聞こえたかと首をかしげた瞬間、発せられた謎解きのような台詞に目を丸くする。どこかで聞いたことがあるような、と記憶を必死で漁る。
「・・・・白河法皇?」
『正解』
恐る恐る思いついた答えを述べると、満足そうな声で褒められた。高校時代のアレルヤが得意としていた教科のひとつが日本史なのだ、侮ってもらっては困る。
『俺たちの場合、そこが時間と距離に変わってしまうな』
鎌倉時代、権力の頂点を極めた白河法皇でさえ思い通りにならないものとして挙げたといわれるそれらを、刹那はどこか楽しそうに口にする。
『お前の考えている事くらいわかる。何年一緒にいると思っているんだ』
少し怒りを孕んだ声に、相手に見えないとわかりつつもアレルヤはその場で頭を下げた。何年一緒にいるかなんて、もうわからない。少なくとも声越しに自分の不安を理解してしまうくらいは、共に過ごしてきた。
『年の差がなんだ? 遠距離恋愛がどうした?』
それらはちっぽけなアレルヤの力ではどうしようもできなくて。いつだってその強大さに唇を噛み締めて、せめてこうして声が聞けたりメールを交わしたりするだけいいと、惨めな自分を慰めてきて。
アレルヤが大好きな少女は、アレルヤがどうしても勝てないものをいともかんたんに「そんなもの」と鼻で笑う。
『俺がお前との恋愛をやめる、理由にはならない』
きっぱりと言い切った少女は、煌く星の下でどんな顔をしているのだろう。いつもの無表情か、それとも乙女らしく頬を赤らめてか。
(どうしよう・・・)
「どうしよう、ねえ刹那、どうしよう」
『ん? どうかしたか?』
何か異変でもあったのか、と刹那の慌てる声が聞こえた。アレルヤは熱を帯びた頬を隠すかのようにその場にがっくりと座り込む。
「君に会いたくてたまらない」
その華奢な身体を抱きしめて、笑いかけて、手を繋いで、ちゃんと瞳を見ながらたわいのない話をして、それから、それから。
『・・・・アレルヤは』
たっぷり二十秒は間を空けて、刹那がどこか諦めたような声で言う。
『たまに反則だ』
「なにそれ」
反則だ、なんて責められる理由に心当たりなどない。反論しかけたアレルヤだが、制するように『俺も会いたい』なんて彼女にしては甘えを含んだ声色で言われてしまえば黙るしかない。
ゆっくりと終わっていく夜の下、アレルヤはひっそりと笑った。
僕は今すぐ君に会いたい
題名は奥華子さんの『変わらないもの』より。